私が「表現の自由」というテーマを考える上でキーワードだと考えているのは、「表現者の覚悟」と「表現に対する寛容」です。原理的に言えば何等かの表現をする場合、表現者が意図するか否かに関わらず、マイナスに感じる受信者はいるでしょう。それが、意図的であるか否かということは重要な区別ではありますが、意図的でなくともマイナスに感じる受信者がいることを表現者は認識する必要があります。そして、マイナスに感じた受信者は、表現者を批判する(批判表現する)権利があるのですが、その表現者の表現に対してあくまで寛容である必要があるでしょう。このような表現に関するルールが成立する為には表現者と受信者の関係に一定の合意条件が必要です。しかし昨今、テクノロジーやグローバル化の影響などでこれらの前提が通用しない局面がみられます。
例えばフェイクニュースの問題などがあげられます。この問題の本質は「表現者」がこれまでの静的な存在ではなく、非常に動的で実態のつかみづらい存在であるということでしょう。つまりこの問題は確かに、「表現の自由」に関わる問題でありますが、より根本的に言えば実態のつかみづらい主体の権利義務の問題であると捉えられるのです。