『送られて、送りたくなる』メールを心がけよう

  by あおぞら  Tags :  

メールのやりとりを頻繁していた時、ストレスがたまっていったことがあった。例えば頼まれごとをして、こちらで調べて送信しても、それに関しての返信が数日返ってこないことがあったり、またこちらからの質問に対して回答を書かずに、全く関係ない近況を書いてこられたり、或いは発信メールに件名を全く書かない人もいた。空欄の件名の主はすぐにピンと来るのだが、後に過去のメールを検索する時には受け手としては往生する。

これらのことに対してなかなか本人には言えないものである。思ったことを口に出して言うのも大変だが、それを文章で残すとあまりいい結果は出ないと思ったほうがいい。世の中は自分の思ったことが相手にきちんと伝達できていないことの方が多いのだ。

メールの普及により、礼儀正しい人、対応の早い人、文章のしっかりした人、頭のいい人….ここらへんがすぐに判断できるようになっているような気がする。文章のしっかりした頭のいい人も素晴らしいが、それより大切なことは対応をなるべく早くすることだと思う。そして、対応がすぐできない時には必ずひとこと添えるのである。毎日メールチェックをしないので対応が遅れることや、場合によってはパソコンの調子が悪いこともあるだろうし、そんな小さなことでもきちんと相手に伝達するのがのぞましい。

受信メールは一旦読み、そしてメモを用意し質問事項を書き出しておくのだ。面倒と思われるかも知れないがメールで質問されたことは、取りこぼすことなく答えるのだ。意外にこれが出来ている人は少ないのではないだろうか。

仕事のメールは全身全霊で対応するが、パーソナルなメールに対応が鈍くなるのは人間的に好ましくない。公私わけ隔てなく誠心誠意対応するのである。

小さなことをキチンとしている人は人間的信用を勝ち得るのだ。

気分によって返信を返したり返さなかったりするのは、本人にとりそれが重大なことではないと思っていても、返されない側としては心証の良いものではない。

メールの対応で感心させられる人がいる。簡単な季節の挨拶からはじまり、こちらの状況を聞いてくれる、そして自分の近況を短く知らせて、本題に入る。本題もきちんと文章を改行して、見た目にもわかりやすく統一されている。最後には締めの言葉がきちんと使われ、そのようなメールを頂くと嬉しくて何度も何度も読み返してしまう。

メールは手紙と違い、文字を手書きすることなく、切手を貼ることなく、ポストに投函しにいくことなく、それこそ『お手軽』に送信できるものだ。だからこそ、細心の注意をはらい、送信前にはキチンと読み返し、誤字脱字をチェックして心を込めて送るものだと思う。

今、手元に国際郵便で送っていただいた日本茶の小箱がある。それを開けるとお茶の美味しい淹れ方のしおりが入っている。そのしおりの『贈られて、贈りたくなるお茶の味』とある。メールに通じるものがある。

『送られて、送りたくなる』メールを心がけたいものだ。

画像:frickr from YAHOO!
http://www.flickr.com/photos/73562900@N04/6638068841/sizes/m/in/photostream/

ニューヨークから発信しています