私が言うまでもないが、新卒大学生の就職活動の早期化に歯止めがかかり、来春卒業の学生の就職活動のスタートが、大学三年の10月から、12月へ後ろ倒しになった。
冬の寒い時期に幕張メッセや国際展示場の付近に来れば、まっ黒なリクルートスーツに身を包んだ集団が溢れんばかりに埋め尽くされるわけだ。
それは傍から見れば、奇妙な光景に感じるが、数年前私自身がその中にいたのも事実である。
私が就職活動をしていたのは、2009年。
世間ではリーマンショックの翌年で、「学生の内定取り消し」が騒がれた後のことであった。それまで実感はないものの、入学当初から徐々に上がりだす有効求人倍率や、就職実績を学生課の掲示板で見てきた私たちにとっては、何か実感はないものの、ぼんやりとした「えらいことになった」という雰囲気を抱きながらのスタートであった。
学生課からは、「今年は採用を絞る傾向に・・」「就職活動ん早期化がより進み早めに動かないと生き遅れます」だの、「地元就職はなお厳しくなるでしょう」というような言葉が突き刺さり、ここまでいわれるとまるで就職するなと言うような感じさえしてくるのであった。
それでも「コネなし、ツテなし、スキルなし」の「3ない」を兼ねそろえた、地方の一大学生だった私にとっては、「ものを書く仕事をしたいけれど、そういう仕事は就職課やインターネットの求人を見て、なれますよというものではないし、そうでなければ学生の身分を離れたら、就社するしか食べる道なし」と思っていたため、心のどこかで疑問を抱きながらも、しぶしぶとスーツに身を包み、やれ履歴書だ、エントリーシートだのを書く日々が始まったのであった。
試験のために貯金を切り崩し、九州の田舎から都市部へと足び交通費を捻出することもざらであり、毎度のごとくチケットカウンターで福沢諭吉と引き換えに、航空券を受け取る私から出るものは、ため息しかなかった。
面接に至っても、「何かスポーツ系の部活は・・」「好きなスポーツは・・」などという質問をされ、体育会系爽やかスポーツ青年と恐ろしくかけ離れた、文化系青年だった私は返答に非常に困り、こんなにもスポーツ畑で生きてきた人間が重宝される世の中に、生きづらささえ感じたものだ。
度重なるお祈りメール(不採用通知)に嫌気もさし、世間から放り出されるような気分になる学生が多いのもわかるのである。
結局のところ今にして思えば、就職活動というのは詰まるところになると、「企業の一員としての正規社員での就職を目指すための活動」が最終目的であり、新卒就職に於いてすべてが失敗してしまうと、それ以降の全てにおいて生きづらくなってしまうよ、という風に仕向けられているような気がしてならない。そして、未だにそう思うのも事実だ。
このような状況下で、「すぐ辞める若者」が未だに問題にっているのだから、一概にそれは「辞めること」だけを責めずにはいられない。「大学を出たら働かなきゃ食べていけない」そして「安定的に働くには、就職ではなく就社することが何よりの安全パイであり、それよりほかない」と思いつつ、数打ちゃあたるでもらった内定先に身を投じ、ミスマッチを感じながらも食べるために生きていくよりほかないのだから、そこに拒否反応が出て辞めてしまうのは当然であろうし、それはある種の潔さとさえ感じる。
私のように、就社せずにはいられず、ひとえに就職活動をするしかなかった学生も、多いはずだ。そして、今もどこかでそう思いながら就職活動している学生がいるかもしれない。
街ゆく就職活動中の学生らしき姿を見かけると、「何が何でもとにかく職を」と思う気持ちももつなとは言わないが、一企業の正社員であることが、安全パイであることが、必ずしも万人に当てはまることではないし、すべてがそれでプラスに働くわけではないよ、と感じるのであった。