『そろそろ風俗に行こうかと思っていたけど、(芥川賞の)受賞の知らせが来たので行かなくてよかった。』
芥川賞受賞の記者会見でこう言い放ち話題をさらった作家、西村賢太氏が5日の『笑っていいとも』に出演した。
楽しい独身生活の秘訣は『現状維持』で上昇志向は一切ないという。
旅行にも快適な住居にも車にも興味はなく、友達もいない。結婚には興味なく、日常的に風俗を利用し、女性は見た目しか興味が無く、自分で稼いだお金は全部自分のためだけに使いたい-と言うその人生観にテレビタレントたちは『一緒だと思われたくない』と本人を目の前にしていってしまうほどであった。
特に、『お金は自分のためだけに使いたい。女性にプレゼントするとしてもそれは自分がときめきたいからであって、いわばときめきを買うのだ。そのときめきが無くなれば女性とは別れる』
との発言にテレビタレントたち(特に女性陣)が呆れていたが、筆者はむしろその自己洞察力に関心してしまった。
恋という形を非常に端的に捉えているのではないだろうか。
ときめきがあるうちはお金を出してプレゼントを買うし、喜ぶ顔を見てもっとときめこうとする。しかしそのときめきが無くなれば多くの恋はそこで終わりになる。
それは女性にしたって同じだろう。ただ、多くの人がそこまで自己を洞察せずに日々を過ごしているのだ。
もちろん、そこから互いの人格を尊重しあうという愛の形に発展する幸福な例も多々あると思うし、(そしてその場合多くは互いの家庭を持つという形へと終結する)多くの人がその境地を目指して恋をしている。
これだけの自己洞察力を持ちながら、西村氏がその境地を目指すに至れない理由は何だろう―
そこまで考えて思ったことだが。西村氏は、このテレビ出演に関してもまた小説のネタに使うのだろうか。
確かに上記の西村氏の発言だけをみると『一緒だと思われたくない』と本人を前にして言ってしまった男性タレントの気持ちも分からないでもない。
しかし西村氏の場合、通常では担いきれないほどの生い立ちの不幸というか悲しみ、業というものを背負って生きてきた人物だ。
その心の傷を背負うのに精一杯で、他者を尊重するという愛の形まで想いを馳せる境地に至れないように思う。(それでも、読者のおかげで作家として身を立てていられるという感謝の念はある人物なのだ。)
他の人たちと人生観のギャップが出てきてしまう事も仕方ないように思える。
テレビで見ていても、時折悲しそうな顔をしているようにも見えた。(それでも芥川賞受賞の記者会見時に比べると、はるかに目つきが穏やかになってきているように思えるが)
そしてそのギャップを見つめ、自己を徹底して対象化して作品にする事こそが西村賢太文学の真骨頂であろう。
父が犯した犯罪に苦しむという悲しみを背負った自分と、両親から守られて育ってきた人たちとの違いを見つめ、芥川賞を受賞した『苦役列車』を凌ぐ読み応えの作品を期待したい。