ゲームプログラマが語る。新しいゲーム機が定期的に生まれる理由

  by Izumisawa  Tags :  

本年2月26日。『Nintendo 3DS』が満を持して登場した事は記憶に新しい所であろう。2004年より約7年間続いた『Nintendo DS』シリーズの後継となる新しい携帯ゲーム機であり、裸眼立体視機能を備えた非常にセンセーショナルな商品である。
迎えた同年12月17日。今度は『PS VITA』が市場に投入される事となった。10月14日には『iPhone 4S』も発売されており、本年はまさにゲーム機スマートフォン市場群雄割拠と呼ぶにふさわしい一年であろう。

市場に目新しい製品が投入されるという事実そのものに関して言えば、それ自体は刺激的な事であり、消費者の購入意欲に働きかけ景気を刺激する効果も期待出来る。一方で、一般ゲームユーザーにとり矢継ぎ早に新ゲーム機が登場するという事は、既に持っている機種が古くなるという事であり、期待していたゲームがプレイ出来なくなるかもしれないという不安や新機種購入に対する負担も含め必ずしも良い事ばかりではない。
筆者の様にゲーム開発を生業としている人間を抱えるメーカーも、新機種にてゲームを開発する為の技術を習得させなければならず、その為の組織的な投資負担も大きなものとなる事が通例だ。

こうした様々な障壁があるにも関わらず、次々と新しいゲーム機が市場に投入されていく理由とは何であろう。

ゲーム機一強、独占時代

時を遡る事、幾星霜。その昔、家庭における電子的な娯楽というものがそれほど多くは存在していなかった時代、子供達は雪の降る庭を駆け回り、コタツで丸くなりながら”あやとり”で遊び、ミカンを食べた手でトランプに興じていたものだ。大人達が独占するテレビやラジオを尻目に、手持ちの道具を巧みに利用し、工夫を凝らし、様々な遊びを発明するその姿には、”遊びを楽しむ”という事そのものに対する貪欲さが生き生きと備わっていた様に思う。

原始的でありながらも微笑ましい様相が世の子供達を彩っていた、昭和のある日。
『ファミリーコンピューター』がお茶の間にやってきた。

その手に何も持たずとも、何の道具が無くとも、遊びを楽しむ事にかけては天才的な貪欲さと才能を誇っていた子供達にとり、この魔法の赤い箱は、それはそれは魅力あふれる訪問者であり、大人達と世界をも巻き込んだ爆発的大ヒットを迎えたわけだ。

この時より、対抗機種の殆ど存在しない”任天堂一強時代”が幕を開け、後にやって来る競争相手が育つまで、その牙城が維持された期間は10年とも15年とも言われている。それ以前にも”ゲーム機”という商品自体は存在していたが、クォリティや完成度が低く、何より”ソフトを他社が作成する事も出来る”というサードパーティー制による市場的恩恵が未開であった事もあわせ、多くの人々を魅了する事は無かった。

通常、独占状態である市場に対し、大きなリスクを取った上で新機種を投入する必要は無い。企業利益最大化のみを論点とした上で極端な仮定とするが、もしも任天堂以外にゲーム機を販売開発するメーカーが存在していなければ、今現在においても世界には『ファミリーコンピューター』しか存在していなかったであろう。
「独占禁止法」という概念が既に存在している事からも判る様に、マーケットにおいて、独占という形が存在する事は原則として望ましい事では無い。もしも、真に競争が生まれないゲーム市場となっていたならば、その世界では駄作が乱発される事になり、ソフトの値段も暴騰していたに違いないのだ。
事実、『ファミリーコンピューター』時代全盛期においては、一本、一万円を超えるソフトが少なからず存在していた。

転換する時代、続く独占時代

任天堂という牙城に警笛が鳴り響いたある日、紆余曲折を経て『プレイステーション』が発売された。高い性能、スタイリッシュさと高級感を併せ持つルックス、同時発売タイトルの魅力溢れるラインナップ、その全てが周到に計画され、妥当任天堂の悲願が遂に達成された当時を鮮明に思い出す事の出来る方も多いであろう。

ハードウェアを開発するメーカーの増加に伴い、新たな支配者による新しい独占は任天堂時代のそれ程に強大なものでは無かったが、ゲーム業界における独占的傾向は現在に至るまで続く呪縛であると言って良い。

昨今のゲーム機というものは、ハードウェアメーカーが本体を製作し、サードパーティーと呼ばれるその他の会社と共にソフトを供給していく事が通例だ。ソフトを製作するメーカーにとり、どのゲーム機において開発販売するのかという選択は会社の存亡に関わる重要な分岐点となり得る。当然、より多くの販売を見込めるゲーム機に注力していく事が合理的であり、結果的に、販売台数の多いゲーム機が選択される事になる。

ある機種においてソフトを作るメーカーが増えれば、それに伴ってその機種の需要が増え、本体の需要が増えればその機種にてソフトを製作するメーカーが増える。このスパイラルが、結果的にハードウェア一強独占傾向を形成していく事になる。

ユートピアはやって来ない

その時々に存在する何らかの独占ゲーム機による牙城を破る為には、どういった方法があるだろう。ありきたりな方法論が通用する類の話ではない事は明かであるが、かつて『プレイステーション』が『ファミリーコンピューター』の牙城を破った様に、新しく魅力的な提案を創り続けていく事は、ゲーム業界に関わる全ての者にとっての命題であると言えるだろう。それは、企業利益を求める為のみではなく、ゲーム業界という産業を形成する上での、遣り甲斐や楽しさにも直結している根本的な理念でもあるからだ。

勝つゲーム機を創り、皆に楽しんで貰えるゲームを造り、ゲームを提供する事そのものに楽しさを見出す人間達の想いが、結果的に新しいゲーム機を生み続けている。

もしも、真に完成されたたった一つのゲーム機が生まれたならば。全世界全社均等出資ゲーム機であり、この機種においてのあらゆる利権が存在しておらず、全てのメーカーがその機種でゲームを作る様な時代がやってくるならば、過剰な新機種投入の意味も無くなり、ソフト価格が高騰する事も無く、ユーザーやメーカーにとっても理想のパラダイスゲーム業界時代となるであろう。

逆に言えば、その様な事にでもならない限り新機種はこれからも、更に勢いを増した上で生まれ続けていくだろう。開発者やメーカーが新たな技術的資金的投資を続け、ユーザーの負担を強いる事になってしまいながらも、だ。

しかし、それだけの犠牲があって初めてゲーム機は進化し続けていく事が出来る。
新しい表現や、新しい遊び。新しい体験が我々の目に魅力的に映る限り、その歩みが止まる事は無いだろう。

画像:SONY『PlayStation(R)Vita | プレイステーション(R) オフィシャルサイト』より
http://www.jp.playstation.com/psvita/special/

本業はPS4やスマートフォン等の次世代機ゲームプログラマ。 平行し、趣味のゲームアプリを沢山制作しています。

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