月や太陽と暮らす

  by アモーレ桂  Tags :  

古典落語を聴いていると、今の人にはわかりにくい台詞がよく出てくる。たとえば、お饅頭を見て泣いている人が「清正公様の申し子か」と言われたと聞いても、なかなか今の人にはそれがギャグだとわからない。ところで、落語の「七段目」に、次のような台詞がある。
「晦日に月の出る里も、闇があるから覚えておけ」
この台詞、今の人だと聞いても違和感がないだろう。だが、江戸時代の人にとってみると、「晦日に月が出る」はずがないのだから、「晦日に月の出る里」っていうと「普通の世界ではない」ということがわかるわけである。
どうして?と思われた方は、今の暦にどっぷりつかっている証拠で、昔の暦は太陰暦で月の満ち欠けを基準としていたことを思い出してほしい。つまり、1日は必ず新月だし、15日といえば必ず満月、そして晦日はまた真っ暗ということになる。今の感覚だと、「今日は中秋の名月だよ」なんて言われなければ、今日が満月かどうかわからない。逆に言うと、当時は日付を言えば、月の形がわかることなる。よって、元禄15年12月14日の赤穂浪士の討ち入りというと月の形は、ほぼ満月と特定できることになる。
今年は節電の夏ということで、ずいぶんと暗い夜を意識したが、当時の夜はそりゃあ暗いわけで、だから月の形は重要な情報で、それをリズムに生活していたことになる。

そこまで書いて気がつかれると思うが、今の人たちはほとんど月を意識して暮らしていないはずである。今日は新月だから、夜出歩くのはやめとこう・・・なんて人はまずいないだろう。都市に暮らす人々には、月や星を意識することもない。なにしろ、24時間営業のコンビニの明かりがついている。お金の決済も、コンビニやパソコンで済んでしまい、振込みは15時までに、なんて概念は、もはやいつの時代のことだよって感じだ。そう考えてみると、今の我々の暮らしは便利であることは事実だろうが、本当に人間という動物にとって幸せなんだろうかと。
などと思っていたら、衝撃のニュースを目にした。「なんと大学生・短大生の4人に1人が、日没の方角を間違えている」というもの。学校での教育のあり方も問われるだろうが、およそ太陽や月を意識していないことの証拠でもあろう。江戸時代の人は、学問で習っていたのでなく、暮らしの中で当たり前に知っていたものである。

時代の変化により、演じられなくなった落語もたくさんある。それはある種、しかたのないことではある。だが、文化は変わっても太陽や月は昔のままのはず。それを意識しなくなった現代人は、もはや自然の中の存在ではなくなっているとも言えよう。
「暦とともに、季節を楽しみ、月を愛でる」そんな暮らしは、今ではかえって不自然な生活になってしまったのかも知れない。http://www.j-cast.com/2011/11/21113842.html?p=all
衝撃 大学生のあきれた知能程度 4人に1人「太陽は東に沈む」!

落語に精通し、自らも高座に上がることもあります。一方で、歴史・地理を中心にしたマニアであり、全国すべての県に最低二泊以上しております。お酒も好きですし、海外旅行を含め旅行が趣味。サッカー、日本秘湯を守る会のファンでもあります。またスマホ二台持ちをはじめとした新しモノ好きで、ブログは5年以上毎日欠かさず更新しています。

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