昭和と平成ではアイドルの質も違うし、またアメリカの映画産業も20世紀と21世紀に入ってからは確実に大きな違いがある。共に圧倒的な存在感が欠如して、その他大勢と言うか『一盛セット』的な存在が業界で生き残っていくようになっている。
AKB48のような大所帯アイドルは当初その存在を知った時、信じられなかった。そんなに大人数が舞台上でバッグダンサー的な後列含めすべてがグループメンバーでいることや、またアメリカの映画界では20世紀であれば女優、俳優はそれぞれ主演二人で織りなされる物語が、今やスター級を複数集めて制作する映画が多くなっている。自己顕示欲の強いアメリカの女優にしても、自分だけで主役を張れるのでなく、他の女優も参戦することを快く思っていないのは明白だが、それでも仕事はこなしたいから甘んじて受ける風潮がある。要するに時代が精鋭を求めなくなっているのではないだろうか。
最近、松本人志がタクシー運転手に渡した3000円のおつりをの件で巷を賑わしていたが、その怒りをぶつけていた番組で共演者の後輩芸人は「100%間違っていない」のような後押し発言をして、これまたイエスマン的な後方支援にちょっと嫌気がさしたけど、こういうなれ合いや、また団体で勝負するような芸能界の風潮からも反面教師的にあえて一匹狼的生き方を推奨したくなった。
一昔前の話で恐縮だが、ビートたけしが出版社をたけし軍団と共に襲撃した件につき、横山やすしが「一人で行け、あほんだらぁ」のような発言をしたと記憶している。団体で襲撃するのは男として弱いことを意図していたと察するが、芸能界の大物も結局一人では行動できなかったわけで、たけしも松本人志も後輩芸人たちと行動を共にすることが多いようだ。
そう思うとスクリーンの寅さんとは全く違った性格の渥美清は、プライベートを全く見せずに偏屈なまでに自分の私生活を貫いた。また高倉健も人の上に君臨して、周りの取り巻きからスター扱いされることを嫌った。本当に強い人は自分の愚痴すらも人にこぼすことなく、辛さに耐え忍び、それらを生きる強さに転換できる知恵と精神力があるのではないかと思う。
人間は変れないようで変われるし、また変われるようで変われない部分もある。ただ、意識して変わる努力をすることで徐々に願う姿に近づくものだと思う。今の時代は先が見えない、そして先が読めない。かのホリエモンも講演会で「5年先はわからない」と言っていたけど強く同意する。
AKB48の握手会や選挙に投票したいために聞かないCDを大量に買って捨てるファンに高額納税者はいないだろう。だからその支出がどれだけの痛手であるかを本人たちは十分にわかって無駄買いをしているのだ、弱い。AKB48も関係者もそれらの事実を知ったうえで平気でごみ箱行のCDがあろうがなかろうが買ってもらってなんぼなのである、購入者をバカにしている。でも、当事者たちがそれでいいなら周りが口をはさむことはないでしょうと言う声も聞こえてきそうだが、こういう感覚が日本に蔓延すると、ひいては国が弱体化するのだ。
今からでも遅くない、あえて孤独の道を選び、短期間でもいいから3か月、半年くらいの単位で今までの生き方を少し変えてみて、あえて困難を選んでみよう。多勢に流れずに自己を確立しよう。そう意識した時からきっと、お金の使い方も、食べ物も、習慣も変りより良い生き方に変っていく。
己を見つめ、これからまだまだ長い人生を歩むには、特に若い日に一匹狼の強さを学んでみると良い。