人材採用の場面でよく聞くフレーズがあります。
「法学部出身なら公務員にならないのか?(目指さないのか?)」
「文学部出身なら教師を目指さないのか?」
「社会学部出身ならマスコミを目指さないのか?」
「工学部ならば大学院やメーカーの技術職を目指さないのか?」
お決まりのフレーズだと思います。でも不思議と 「経済学部出身なら……」というのを聞かないのは何故でしょうか? どの業界、研究職以外の全ての職種で潰しが利くからでしょうか?
経済学部出身の人間が世の中に溢れているからでしょう。
大学の就職希望者限定のフレーズを引用してしまいましたが、同じことは短大・専修学校・専門学校……にも言えることだと思いますが、大学以外の学卒就職希望者に対してこうしたお決まりのフレーズを使う人間を知りません(聞いたことがありません)最終学歴によって求めるものが違うからでしょうか?
大学→幹部
それ以外→専門性を求める
実際はこうした構図は崩れてしまっているに等しいと思いますが、組織を成り立たせるための常識のようなものとしてこうした考え方があり続けるから、冒頭で述べたようなお決まりのフレーズを使う人間が「いまだに存在している」のかもしれません。
私は、こうした固定観念が社会の停滞、引いては国力の低下にも繋がっていると思います。
本来、大学に求められているのは「社会に出てからその高度な知識を生かした活動を行って国力を高めていって欲しい」ということでしょう。今までは大学で学んだ専門分野を生かす場所が、経済が成長し続けている限り社会にはあり続けていた。しかし、大学は毎年卒業生を輩出し続けています。経済成長が鈍化していくことで、専門分野を生かすことのできる場所が少なくなっていきます。これは、コネが強みを持つ社会になってきたということもると思います。こうしたことがまかり通るようになっていることも国力低下の原因でもあるでしょう。
こうしたことから大半の人間が「専門分野を生かせる場所」に進むことが出来ずに専門外の分野に進まざるを得なくなります。青臭い考えかもしれませんが、こうした現実があるにも関わらず冒頭で述べたようなお決まりのフレーズを使うことは間違っていると思います。
医療系学部の場合であっても同様でしょう。むしろ、こうした人達がまったく違う道を進もうとすると文系・理系の人達よりも辛い日々が続くのだと思います。また、中途採用の場合は、異職種の場合に言われるかもしれません。中途採用の場合、専門性と経験を求められますが賃金を得るためには専門性と経験を生かすことのできない状況になることもあるでしょう。こうした時にまで専門性と経験を求めるのもいかがなものでしょうか?
組織として求めているものとあまりにも違っていれば「やる気」があっても断らざるを得ないでしょう(電気工事なのに文学部で電気工事の知識やアルバイト経験もなかったり…すればどうしたって断らざるを得ません)
しかし、まったく違わず本人のやる気が満ち溢れていればチャンスを与えるべきではないでしょうか?(採用する体力のある組織に限ります)