畿内紀伊半島には、多くの神話が息づいている。
それは、神武東征の地であるからに他ならない。
今ではレジャーが広まり、日本全国津々浦々まで足跡がついていない地はないのではないかと思うくらいである。
茹だる夏の暑さはどこへやら、急激に朝晩の気温は下がり、もう紅葉迫るこの時期に伝説の地を辿ってみよう。
最終的な神武東征のルートは、和歌山新宮(しんぐう)にて太平洋に注ぐ熊野川を遡る。
まず、河口近くには、那智の滝で有名な那智(なち)さんがある。
そして、那智さんには、熊野神社のひとつである、熊野那智大社がある。
熊野神社とは熊野三山として、熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社の三社があり、全国熊野神社の総本山となる。
古くは熊野詣や伊勢参りの際に使われた熊野古道の終着であり、熊野古道は世界遺産に登録されている。
熊野川を遡ると、程なくして、熊野本宮大社に行き着く。
近くに、瀞八丁(どろはっちょう)という渓谷がある。30年前であれば、人は殆どいなかった。まだ、レジャーが深山幽谷まで届いていなかった。あまりに峻烈で川底まで透きとおり、エメラルドグリーンに輝く清らかな川に、夏の真っ盛り飛び込むと、脳震盪を起こすほど冷烈な水だった。
次にあるのは、大峰山。今でも、女人禁制の霊山である。
修験道、山伏山岳信仰のメッカで、伝説の開祖役小角(えんのおづぬ)をシンボルとする。
更に遡ると、大台ケ原。
神や魔物が棲みつくという、鬱蒼とした原生林が広がる。
そして、奈良の奥吉野である、十津川となる。
今でこそ有名だが、昔は秘境の地であった。川には虻(あぶ)が多くいて、何度も痛い目にあった記憶がある。
当時、日本一の吊り橋には、ひとつの看板があった。
“わたしゃ十津川、奥山育ち、山も深けりゃ、情けも深い”
神武東征ルートは、吉野に入って終着となる。
このルートを地図で辿ると、周辺には、“神”という文字がつく地名が多いことに改めて気付かされる。
神話というものは、作り話であって、寓話であると思う節がある。
しかし、そうではない。
地名というものは、一度決まると金輪際変わらないものである。延々と引き継がれるものなのだ。
そして、如何なるものでも、一片の真実なくしては、後世には伝わらない。
少なくともそこは、筆者は信じて疑わないところである。
旅愁漂う紅葉の季節、いにしえに思いを馳せ、世界遺産を散策してみては。