『ニンジャスレイヤー ネオサイタマ炎上』レビュー:細かな課題はあるがアクションの爽快感&原作再現度の高さは魅力

あの「ニンジャスレイヤー」が正統派アクションゲームになるというニュースを見て以来、期待のニンジャソウルを昂らせていたニンジャヘッズ(=「ニンジャスレイヤー」ファンのこと)は少なくないだろう。もちろん、筆者もその一人だ。そんな、我々待望の『ニンジャスレイヤー ネオサイタマ炎上』がとうとう発売された!

もちろん筆者もニンジャヘッズの一人として本作を自腹購入したので、レビューをお届けしたい。

ストレートにカッコいい「ニンジャスレイヤー」がここに! 『ニンジャスレイヤー ネオサイタマ炎上』

『ニンジャスレイヤー ネオサイタマ炎上』は、オンライン小説として展開されている「ニンジャスレイヤー」が原作の横スクロールアクションゲーム。オンライン小説と書いたが、一般的なオンライン小説と比べると「ニンジャスレイヤー」は明らかに異質な存在だ。

このため「ニンジャスレイヤー」について、他のゲーム化作品と同じ土俵で比較するのは難しい。だからこそゲーム内容を解説する前に、まずは「ニンジャスレイヤー」の解説から始めたい。

現在、オンライン小説というワードから真っ先に思い浮かべるのは、「小説家になろう」や「カクヨム」といったオンライン小説投稿サイトではないだろうか。とりわけ「小説家になろう」からは単行本化作品、コミカライズ作品、アニメ化作品、ゲーム化作品が多数生み出されており、昨今のオンライン小説のトレンドを示す「なろう系」という言葉まで生まれるほどだ。

ただ「ニンジャスレイヤー」はこうしたオンライン小説投稿サイトではなく、SNSのTwitter(現X)で提供されてきた。Twitter(X)を使ったことがある人はご存知の通り、基本的にTwitter(X)は140文字という短文での投稿がメイン。小説を投稿するのに向いているとは、お世辞にも言えないだろう。

にもかかわらず、「ニンジャスレイヤー」はTwitter(X)を主戦場として小説を連載してきた。視点を変えればこれは、「ニンジャスレイヤー」が単純に小説をTwitter(X)に投稿してきたわけではないということを示している。「ニンジャスレイヤー」は「短文しか投稿できない」というTwitter(X)の仕組みを踏まえ、短文だからこそ引き立つ文章技術を駆使し、物語を紡いできたのだ。

▲画像は「ニンジャスレイヤー」単行本

「ニンジャスレイヤー」の日本語訳を手掛ける「ダイハードテイルズ」では、「ニンジャスレイヤー」のスタイルについて「パルプ」と表現している。パルプは、20世紀前半、主にアメリカで出版されていた大衆雑誌「パルプ・マガジン」に由来した言葉。

「パルプ・マガジン」が掲載するのは大衆向けの娯楽小説。大衆が買えるよう安価で低品質な紙を用いており、大衆が好むような低俗な話、くだらない話、三文小説……といったものが掲載されている。クエンティン・タランティーノの映画「パルプ・フィクション」も、この「パルプ・マガジン」に由来するタイトルだ。

つまり、一言でいえばパルプとは、「安っぽくて低俗だが、大衆が気軽に楽しめる娯楽」のこと。そして「ニンジャスレイヤー」とは、このコンセプトが貫かれた作品だ。

▲画像は「ニンジャスレイヤー」単行本

代表的なのが「ニンジャスレイヤー」の単行本で、一般の小説単行本とは異なる、週刊雑誌のようにザラザラした紙が用いられている。そう、「パルプ・マガジン」の紙だ。

また、アニメ化された『ニンジャスレイヤー フロムアニメイション』では、あえて一部にFLASHアニメの手法が取り入れられている。FLASHアニメの手法とは、キャラクターの動きを絵として一枚一枚描くのではなく、静止画のキャラクターをスライドさせて表現するもの。正直なところ、手抜きに見えるほど安っぽいと思う方もいるかもしれない。

だが、それは時代を彩った手法であり、何よりパルプを表現する上では、安っぽくてナンボだろう。

▲画像は『AREA 4643』

そして、実は本作『ニンジャスレイヤー ネオサイタマ炎上』より先に、「ニンジャスレイヤー」と世界観を同じくするゲームが登場している。『AREA 4643』という全方位シューティングゲームで、「ニンジャスレイヤー」の主人公であるフジキド=サンも登場。『AREA 4643』はインディゲームとして作られており、粗いドットが特徴など、やはりパルプ的な空気感を備えている。

ちなみに『AREA 4643』は大傑作なので、是非プレイして欲しい。

▲画像は『AREA 4643』

Twitter連載、パルプ・マガジンを思わせる単行本、FLASHアニメの手法で実現されたアニメ、インディゲームでリリースされたスピンアウト作……。いずれも、単純に「手を抜いた」だとか、「技術が足りなかった」だとか、「制作費をケチった」などではない。パルプというコンセプトを貫く上で、あえてこうしたスタイルでリリースされてきたのだ。

だが、そうと分かってはいても、「カッコいい『ニンジャスレイヤー』も観たい」と願ってしまうのがニンジャヘッズというもの。とりわけ「ニンジャスレイヤー」コミック版はストレートに作品のカッコよさを表現している。だから同じようにカッコよさをストレートに表現したアニメやゲームも体験したい!

……そんな願いを叶えるかの如くリリースされたのが、本作、『ニンジャスレイヤー ネオサイタマ炎上』なのだ!

『ニンジャスレイヤー ネオサイタマ炎上』は、コミック版のように、「ニンジャスレイヤー」のカッコよさをストレートに抽出、ゲーム化した作品といえる。「ニンジャスレイヤー」のカッコよさとは、すなわちスピーディーでアクロバティックなニンジャ・アクション。本作は主人公・ニンジャスレイヤーを操作し、そのカッコいいアクションをたっぷり楽しめる正統派の横スクロールアクションとして構成されているのだ。

ゲームの流れは、ステージを選択し、ザコを倒しつつボスの元へ向かい、ボスを倒しステージクリア……というかたちになっている。ステージ開始時と終了時には会話パートが挿入され、ストーリーが描かれるという仕組み。もちろん、ストーリーやステージ構成、登場するキャラクターは原作「ニンジャスレイヤー ネオサイタマ炎上」に準拠している。

主人公であるニンジャスレイヤーのアクションは、左右の移動とジャンプに加えて、通常攻撃、スリケン、ジツ(術)、ニンジャダッシュが用意されている。通常攻撃は近接攻撃で、ボタン連打で自動的に連続技に発展。スリケンは遠距離攻撃で、弾数が制限されている。

また、ジツはゲージを貯めることで繰りだせる必殺技的アクション。ボン・パンチやサマーソルトキックなど、原作でもおなじみのジツが用意されている。

原作「ニンジャスレイヤー」のゲーム化という意味では攻撃アクションに目がいってしまうところだが、本作のゲーム性を支えているのはニンジャダッシュだろう。ボタンを押すことで、レバーを倒している方向へダッシュ攻撃でき、しかもダッシュゲージがある限りボタンを押せば何度でも軌道変更ができる。上手く使いこなすことができれば、攻撃からダッシュ移動で一旦敵から離れ、軌道変更しつつ再び急襲……といった、いかにもニンジャ的なアクションも可能だ。

そして、プレイヤー入力で任意に繰り出せるアクションではないが、「ナラク化」も触れないわけにはいかない。

「ニンジャスレイヤー」という作品世界におけるニンジャとは、現代の人間が平安時代のニンジャの魂=ニンジャソウルによって憑依された存在。主人公であるニンジャスレイヤーも例外ではなく、サラリマン(=サラリーマン)であるフジキド・ケンジが「ナラク」というニンジャソウルに憑依された存在だ。通常のニンジャスレイヤーの意識はフジキドのものだが、ダメージなどによりフジキドが意識を失うと、「ナラク」に意識が乗っ取られてしまう。

この原作シチュエーションをゲーム内で再現したのが「ナラク化」。ゲーム内で体力ゲージがゼロになると「ナラク化」し、「ニンジャスレイヤー」の攻撃力やスピードが一時的に強化される。しかし時間制限があり、時間が経過すると残り少ない体力で「ナラク化」が解除されてしまう。

一度「ナラク化」した状態で再度体力ゲージがゼロになるとゲームオーバーだ。

本作のゲームとしての魅力は2つあり、ひとつが爽快感。そもそも原作通りに主人公・ニンジャスレイヤーは強い。ザコ敵のほとんどは通常攻撃一発で倒せる。

その上で、ニンジャダッシュを組み合わせると、めちゃくちゃ気持ちイイ。しかも、ステージが進むと二段ジャンプやブリッジ回避といった新アクションが追加され、どんどん強く、爽快になっていく。特に、ニンジャダッシュを思い通りに使いこなすことができるようになると、自分がニンジャスレイヤーになったかような気持ちよさが味わえる。

一方、ボス戦はステージ途中ほどカンタンではない。しかし、強力なボスで苦戦したとしても、「ナラク化」という切り札によってなんとか倒せるバランスとなっている。

これはゲームとしての爽快感に加え、原作再現という意味でも魅力的。フジキドが追い詰められ、心ならずも「ナラク化」によってなんとか敵を倒す……という原作シチュエーションがゲーム内で再現されるのだ。

そして、2つ目の魅力がまさに原作再現度。「ナラク化」によってボスを倒せるという点もさることながら、クローンヤクザ、鬼瓦ツェッペリン、バイオスモトリ、ソウカイヤのニンジャたち……と、ゲーム全体を通して原作再現度が高い。

特に地味な点ではあるが、ステージを選択可能にしている点は秀逸だと感じた。最初に紹介した通り、原作「ニンジャスレイヤー」はTwitter小説。Twitter(X)のタイムラインはどんどん情報が流れてしまいまとめ読みしにくいので、どのエピソードからでも読めるよう、あえて時系列を崩した物語構造となっていた。

ストーリーの時系列を気にせずプレイ可能なステージ選択要素は、原作へのリスペクトを感じる仕様といえるだろう。

残念ポイントか? パルプとしての表現か? 手放しでは褒められない部分も

ここまで基本的に本作を好意的に評価してきたが、本作には手放しでは褒められない部分もいくつか存在している。そのひとつが、ステージの長さと、復帰ポイントの位置だ。

本作では、ボスへ到達するまでザコ戦を行いつつ、ステージを移動していくことになる。このステージ移動部分が個人的には結構長いと感じた。

ただ、爽快感を感じさせるためにはある程度の長さが必要という部分もあるだろう。本作では、大量の敵を移動しながら次々倒していく……という要素が爽快感を担っている。このため、大量の敵を出現させるだけの長さが必要だ。

と同時に、原作小説でニンジャスレイヤーが敵を倒す際の「イヤー!」「グワー!」「イヤー!」「グワー!」「イヤー!」「グワー!」……という表現を連想させてくれるので、単純にステージを短くすればいいというものではない。

ただステージ途中でゲームオーバーになった場合の復帰ポイントが、スタート地点、中間地点、ボス直前……という大まかなかたちでしか用意されていないので、どうしても1ステージ攻略に時間がかかってしまう。もちろん、操作に慣れれば安定してクリアできるようになる。また、プレイヤーが操作に習熟していくという体験が、フジキドがニンジャの力に習熟していくという原作再現になっている……と言えないこともない。

とはいえ、こうした点を考慮してももう少し短めのステージでサクっと爽快感を味わえてもよかったのではないだろうか……と感じてしまった。

他には細かな部分で作り込みの甘さを感じた。

たとえば会話パートでは、ボタン長押しによって会話パート全部をスキップすることが可能なものの、セリフ単位でのスキップはできない。これはなんともまどろっこしい。特に原作ファンであればあるほどそのシーンが脳に焼き付いているため、セリフ単位で細かくスキップできないことがもどかしく感じるだろう。

また、キャラクターの動きについても、ファミコン時代のゲームのように背景にハマってしまったり、歩行アニメーションが滑っているように見えたり、ニンジャスレイヤーとは関係ない方向を見ていたり……と、作り込みの甘さを感じる部分があった。

「ニンジャスレイヤー」という作品はパルプというコンセプトに貫かれていると書いた通り、こうした点はすべてパルプというコンセプトに基づいた演出と取る考え方もあるのかもしれない。しかし仮にパルプというコンセプトに従っているとしても、『ニンジャスレイヤー フロムアニメイション』や『AREA 4643』の持つ方向性と、本作の作り込みの部分については、別の問題ではないかと思う。このため筆者としては、できれば今後のアップデートなどで調整して欲しいと思っている。

気軽にプレイして爽快感を味わえる点はまさにパルプ!

ここまで本作の優れた点と課題の両方を紹介してきた。では筆者が個人的に本作をどう評価しているのかというと……割と気に入っている。確かに細かな課題は抱えているものの、それ以上にアクションの爽快感や、原作再現度の高さを評価しているからだ。

特に爽快感については、「気軽にプレイして気持ちイイ」という点で、まさしく大衆娯楽、パルプを体現しているといえるだろう。筆者は今回、Tシャツつきのデラックス版を自腹購入しているが、まったく後悔はない。本作の通常版の価格は3000円程度なので、興味のある人はプレイする価値アリではないだろうか。

文/田中一広

ガジェット通信ゲーム班

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