先行きも含め、色々混沌としている音楽状況の中、今年筆者はそれなりの期待を持ってボカロを中心としたニコニコ動画の音楽文化にも注目していたりもしていました。一応2011年の秋位から、自分も観察だてらにニコニコ動画に参戦したりもしながら持った感想なのですけど、結論から書いてしまえば、今年の状況としてはニコニコもそろそろピークが過ぎたのかな、という感じもありつつだったように思ったかもしれません。ボカロがもうちょっと盛り上がるかと思ったら、そうでもなかった、という所でしょうか。もちろん、今年は大手コンビニチェーン等のタイアップもありましたので、それなりに盛り上がったと言えなくもないのでしょうけど、とりたてて大きな流れにならないまま、このままずるずると停滞していく雰囲気もあると思いました。
それが筆者の狭くて偏った実体験であることを間引いたとして、それでも全体として「ニコニコは気持ち悪い」という評価が、若い人の間でも定着した感もあるような空気を感じたからかもしれません。今となっては普通の中学、高校でニコニコを見ている人は、クラスで1~2人という状況が、筆者の周りでは多かったのです。特に中学の時は良く見てたけど、高校になってからは見なくなった、という例が多かったのが去年までとの違いのような気はします。もちろん、中学生の男の子の間では相変わらず勢いが残っている地域もあるようですが。
ニコニコを見なくなった高校生に話を聞くと、単純に特別な歌を歌える訳でもなんでもない人が、雰囲気だけでもて囃されている感じが気持ち悪い、ということのようです。
ボカロの中の、特にポップス系の曲や、一部の「歌ってみた」カテゴリーの人気の歌い手さんの歌等は、確かにレベルに達していないものも多いと、筆者も思ったりします。例えばボカロ曲の中で健全優良系のポップスであれば、それは『いきものがかり』なんかと比べるしかない訳ですけど(紅白のトリですもの)、それと比べれば殆どの曲は、それが絶大な人気を誇るボカロPさんの曲であっても(全てではないですが)全くレベルに達していないという感想を、筆者も持っていたりします。若い人の感覚にはついていけないなー、等と思うことにここ数年すっかり馴れてしまった筆者にとって、今の高校生の感覚として一致するものがあることは正直、意外なものはあったかもしれません。
子供はいつの時代も、大人の悪い所を真似して大きくなっていきます。
ニコニコに限らず、ここ数年の一部の若い人文化は、大人が人の才能を言いくるめている様を見て育った子供達の、一つの到達点ではあると思うのです。勉強のできる子はできない子に合わせてわざと解らないふりをして、足の速い子は足の遅い子に合わせてわざと遅く走って、そして人間はみんな平等なんです、というまやかしを子供に植え付けた過去20年間の蓄積の集大成が、一部の若い人文化の核を成していると感じることは、筆者は多いかもしれません。今の若い人の文化を、社会のレールに乗っただけで自身が鍛えられる事なく親になってしまった大人達の、自制できない嫉妬心に屈した教育現場の知恵と工夫を見て育った子供達の文化、と言ってしまうと言い過ぎでしょうかね。
バンド関係ですと、『凛として時雨』は、そういう大人の悪い所を逆手に取って「俺達は新しい」と言い切ってしまう手法でバンドを運営したりしてますが、このバンドはここ数年の若い人のそういう文化を象徴しているような気はします。技術レベルとしては下の下を這いつくばるような、いわゆる“破綻”系の音を出すバンドですけど、「大人が“それ”を通用させてるんなら“これ”だって通用しなきゃおかしいですよね?」ということを、独特の鋭い視点で形にしてきているバンドではあると思います。個人的な好き嫌いを別にすれば、「その通りです」としか、僕らでも返しようがない所をこのバンドは突いてきていると思うのです。それを敏感に感じ取れる若い人が「そうだそうだー!」と賛同して集まるという構図を、このバンドは作ることに成功しているのではないでしょうか。
コミケの同人サークル系の音楽でも同じような哲学の流れで集客しているバンドがちらほらいるのですが、『凛として時雨』のような計画性を持った方向性というよりは、単に未熟なだけのバンドが成り行きでそうなってしまった風のものも多く、実は中身そのものはまだまだ内容の薄いパフォーマンスではあると思います。それでも一応リキッド(ルーム)でワンマンをやれる規模の活動ができていたりはするので、大人のまやかしを逆手に取って自分達の都合を守る、というその子供の哲学は、時代の波としてそれなりに大きいものがあるのだと思います。
結局、今年に入って、どうもその流れに変化が生まれてきているのではないかと、いうことなのです。ニコニコを見なくなった高校生が何を聞いていたかというと、ワンオク(ONE OK ROCK)とラッド(RADWINPS)のような、メジャーからリリースのあるバンドを聞いているようでした(もちろん、それ以外のバンドでも盛り上がっているバンドはあります)。そしてワンオクやラッドを聞く高校生でニコニコを見る人は極めて少ないようで、普通にメジャーからリリースのあるバンドを聞く人とニコニコや時雨を聞く人は、完全に別系統の友達関係で成り立っているのが、最近の高校生の現状のようです。ワンオクもラッドも、ニコニコ動画の音楽や『凛として時雨』等と比べると、極めて正攻法で音楽が作られています。ある意味、鍛えられていないとできない音楽の方が数字上は上を行っている、という所で、高校生の感覚が、大人のまやかしを逆手に取るだけで自分達の都合を守ることから、少し距離をおくようになっている状況がそこに浮かび上がっているのかもしれません。ニコニコ動画の文化を初めとした、去年までの破竹の勢いを見せた“大人の弱みに付け込む文化”に歯止めが掛かっているのだとしたら、今年は一つの節目になる年だったのではないでしょうか。
社会全体を見渡してみれば、今年はPanasonicを筆頭に、docomoやSONYといった、平凡な人が努力をしたら必ずできることだけを全ての“正しい”評価基準として適用し続けた企業の、その規模を維持しきれない経営状況が次々と明るみになった年でもあります。推測を承知で書いてしまえば、平凡な人がどんなに努力をしてもできないことをやってのける人材が、その能力を遺憾なく発揮すればこそ発展した世界のグローバル企業との差が開くばかりの日本企業の実態は、高校生にもしっかり伝わっていると考えるのは、あながち穿った見方ではない気はしています。
状況が刻々と変化している中、相も変わらず音楽業界では売り方や宣伝方法、著作権のシステム上の不備を整備し直すような話(もちろんそれもとても大事なことなので)で溢れかえっておりますが、どんな音楽を育てたらいいのか、という話に関しては、皆さんある部分“様子見”を決め込んでいらっしゃるのが、筆者には少し物足りなく感じられたりするでしょうか。ロックやR&B、それにまつわる軽音楽は、若い人の「自分はこんな大人になりたい」という願望を、部分的であっても、反影するものなのです。そういう視点を持って、今どの音楽を育てて行こう、という判断をしていくことも、実は音楽業界には今必要なことだと筆者は思うのです。売り方や宣伝方法、著作権のシステム上の不備等は、そもそもが営業部門の仕事であって、制作の仕事ではありません。制作部門は、むしろ今ある現状をしっかり観察して、芽のありそうなものをどう育てよう、くらいの無邪気さで音楽と向き合っていくことが一番求められているのではないでしょうか。
そういう意味でも、こんな筆者の狭くて偏った“中高生の実態”だけでなく、もっと色々な地域やコミュニティーで、今現実に何が起きているのかという話を、筆者も聞きたいですし、読みたいですし、来年以降、業界内でそんな制作部門としての話がもっと活発になることを、筆者は密かに期待していたりします。
※写真:http://www.ashinari.com/2009/04/09-016598.php?category=31