先日、「新卒ニート問題」が報道され、大きな話題となった。
2012年春に大学を卒業した約56万人のうち、約3万3千人が、進学も就職の準備もしていないという。
雇用環境は悪化の一途をたどるばかりであり、若者の就職難は喫緊の課題となっている。
もちろん、教育機関や行政も手をこまねいているわけではなく、様々な対策を講じてはいる。
就職セミナー、職業訓練、キャリア教育、就労支援機関の設置……。
これらの対策は決して間違っていないと思うし、必要なことだと思う。
だがいずれも、「個人」に問題があるとする立場に基づいたものばかりなのだ。
国も大学も、若者が働けないような社会には問題がある、とは考えず、働けずにいる個々人の若者にこそ問題や原因があるのだと、考えている。
そういった価値観に基づき、各種の対策は講じられている。
個人を対象とした支援が悪いわけではない。
しかし、そこにばかり注力してしまうと、社会が抱えている問題点を見逃してしまう恐れがある。そしてそれがさらに、社会には何の問題もなく、そこに適応できない若者や求職者にこそ非があるのだ、といった態度につながりかねない。
事実、働こうとしない個人こそが悪いのであり、就職難の責任は学生にあるのだという論調が、未だに幅を利かせている。
『大卒就職率63.9% 正社員の求人十分 「まず飛び込んで」』
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120828-00000107-san-soci
厚労省やキャリアセンターの担当者によれば、求人は十分にあるにも関わらず、学生が選り好みばかりしているから、就職できないらしい。四の五の言わずに”飛び込み”、”自分を仕事に合わせる努力をしていく”べきだそうだ。
ブラック企業で働きたくない、心身を痛めつけられるような職場で働きたくない。
きわめて真っ当な主張だと思うのだが、これは「選り好み」らしい。
そして企業は、自分たちの職場環境を改めようともせず、学生は”自分を仕事に合わせる努力”をするべきだと、主張する。
自分たちの都合や要求は頑なに手放さず、学生にばかり負担や我慢を強いる。そしてそれを拒否する若者のことは、採用しない。学生が企業を選別するのは「選り好み」だと批判するが、企業が学生を選別するのは「厳選採用」なんだと正当化する。
企業と若者、甘えているのは一体どちらなのだろう?
就職難の根本的な原因は、それぞれの若者や労働者などの個人にあるのではなく、企業や社会の側にこそある。そのように発想を転換していくことが、不可欠ではないだろうか。
就職できずにいる個人への対策も重要だが、それ以上に、労働市場の変革こそが必要だ。
新卒でなくても就職できる。介護や子育てによりフルタイムで働けなくても、きちんとした待遇で雇ってもらえる。心身のバランスを崩すほどの長時間労働を強いられない。少しくらい対人能力が低くても、それを理由に排除されない。単純労働や低賃金で使い捨てにされたりしない。
そのような企業や職場が増えていけば、就職率は自然と回復していくだろうし、企業の人手不足も解決するはずだ。
そんなのは理想論だという批判もあるかもしれないが、その理想を実現していくことこそが、経営者の仕事のはずだ。メディアに露出したりカンボジアに学校を立てたりしている暇があるなら、自社の職場環境の改善に努めて頂きたい。それこそが、経営者の本業だろう。
企業は、学生に甘えるのをそろそろ終わりにして、自分たちの在り方を真摯に見つめ直すべきだ。
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