最終回:「夢のような思い出と言われても、それがどんな夢だかわからない」弟を見て母恋しさに涙しながらも……あまりにもあっけない幕切れに見るリアル~ツッコみたくなる源氏物語の残念な男女~

突然弟が目の前に! 母恋しさにこぼれ落ちる涙

薫は横川の僧都に会い、浮舟の存在を確かめます。しかしそのまま彼が会いに行くと、せっかく仏の道に入った浮舟の心を乱すかも知れないと僧都は懸念。そこで薫は弟の小君を遣いに立て、小野の庵を訪ねさせます。

一方、浮舟のいる小野の庵では、謎の少年が僧都の手紙を持ってきたので大混乱。でも少年の顔がどことなく浮舟に似ていることから、尼君は訳がわからないままに「可愛らしいお遣いさんね。きっとご姉弟なのでしょう。それにしても、この期に及んでもちっとも打ち明けてくれないんだから」。

浮舟がちらりと見ると、たしかにそれは弟の小君でした。身投げを決意したあの夜、走馬灯のように脳裏を駆け巡った懐かしい人びとの面々に、この弟の顔もありました。

母親が特に可愛がり、宇治にも時々遊びに来ていた懐かしい弟。その弟が目の前にいる。まるで夢でも見ているかのようです。

弟の顔を見て、浮舟は母のことを聞きたくてたまらくなります。セレブの薫や匂宮のことはウワサになっても、自分の母のことなど誰も話題にしないから……。彼女の目からほろほろと涙がこぼれます。

「元カレとよりを戻して……」師の意外な意見に彼女は

浮舟は感無量ですが、事情のわからない尼君はなんのことやらさっぱり。兄の僧都から「入道の姫君へ」とある手紙を開いてみると、このようなことが書いてあります。

「今朝(僧都が手紙を書いたのは昨日)、こちらに薫の右大将さまがお出でになり、あれこれお尋ねになったので、最初から今までのことを詳しくお話してしまいました。

おふたりの深い関係を無視し、このような山中で出家の儀式を行ってしまったことは、かえって仏のお叱りを受けることになるであろうと、お話を伺って大変驚いております。

かくなる上は、薫さまとの関係を修復され、愛執の罪を晴らして差し上げることをおすすめいたします。たとえ一日でも、出家をした功徳は計り知れないものです。還俗なさっても仏心を忘れずにお過ごしなさいませ。

詳しいことは後日、私から直接お話いいたします。とりあえず、この小君からいろいろ聞いてください」。

僧都を信頼し、仏の道を歩んでいこうと思った浮舟ですが、その師からいきなり「元カレとよりを戻して暮らせ」とは……。しかも愛執の念を晴らしてあげたらいいとか、そんなの知らんがな!!

尼君は小君に「あなたもお姉さまにお話ししたいことがあるでしょう。せっかくだからお部屋の方に」と促しますが、浮舟はすでに死んだはずの、しかも尼姿になってしまった自分を弟に見せるのも恥ずかしく、しばらく沈黙した後、以下のように主張します。

とにかく自分は過去のことはほとんど思い出せない。ぼんやりと思い出せるのは片親だった母が常に自分を心配してくれていたことだけ。この少年の顔は昔見たことがあるような気がするが、今更その周囲の人びとに自分が行きていることは知らせたくない。ましてこのお手紙にあるお方にはまったく知られたくない。

母が生きているなら、母にだけは会いたいと思うが、この手紙はなにかの間違いだとなんとかいい紛らわしてほしい、と。

尼君は呆れた様子で「そんなことできっこないわ。兄(僧都)は僧侶のなかでも特に真っ正直なタイプですから、ごまかしなんてききませんよ。それに大将さまというやんごとなきお方に、適当な嘘なんてつけるものですか。まったく本当に、見たこともないほど頑固でいらっしゃるわね」。

結局おばさん尼たちは、可愛い小君に同情し、浮舟の部屋の前まで彼を招じ入れました。小君も薫から「死んだお姉さまが生きているよ」とは聞いていたものの、予想していた展開とぜんぜん違う塩対応に、どう呼びかけていいのかまごつきます。かわいそう。

「とにかくあの頃の話だけでも…」元カレの手紙に感極まる

戸惑う弟は伏し目がちに「あの、もう一通お手紙を預かってきているのですが……。僧都さまがおっしゃったことが全てなのに、どうしてこんなによそよそしくなさるのですか。僕を見知らぬ他人のように思われるのでしたら、これ以上もう何もいいません。

でもこのお手紙は人づてでなく、直接お渡しせよとのご命令です。ぜひとも、お姉さまに差し上げたいのですが」。尼君は放心状態の浮舟をなだめすかし、この手紙を持ってきました。

それでもなかなか読もうとしない浮舟に、尼君は手紙を開いて見せます。以前と変わらぬ薫の端正な字、染み付いた独特のあの香り。「とにかく何にでも大騒ぎする尼君は、もうこれだけでも大変素晴らしいと大興奮するだろう」と、作者はチクリと嫌味を言っています。

さまざまな罪を作られたあなたのことは、僧都さまに免じ許すことにします。とにかく今は、せめてあの当時の、夢のような思い出話だけでもしたいとばかり思われて、気が急くのはどうしたことかと、我ながら情けないほどです。まして、はた目にはどう映ることやら。

法の師を訪ねる道をしるべにて 思わぬ山に踏みまどうかな

この子のことは忘れてしまいましたか。あなたがいなくなってしまった後、忘れ形見としてそばにいてもらっています」。

紛れもない薫から自分への手紙。行間から言葉に尽くせぬあれやこれやがにじみ出るようです。かといって、薫に再会してどうするのか、尼になった今の姿を見られるのもたまらない。

浮舟の心はここで最高潮に達し、今まで以上に激しく乱れ、どうしていいかわからず泣いてうつ伏せるばかりです。取り付く島もない様子に(まったく世間知らずのお嬢さんだわ)と、尼君もいよいよ手を焼きます。

返事がないのが返事……感動の対面、無残な現実

なにか一言とせっつく尼君に、浮舟は薫の手紙を開いたまま突き返して言います。「思い出そうとしても、まったく思い当たるフシがございません。夢のような思い出話とありましたが、それがいったいどんな夢だったのか、私にはどうしてもわかりませんの。

少し心が静かになれば、このお手紙の内容がわかる日がくるのかもしれませんが。とにかく今日はもうお引取りください。とても気分が悪くて……。それにやはり人違いでしたとなれば、みっともないでしょう」。

「あんまりですよ! 不作法にもほどがあります。大将さまにこんなことが知れたら、お世話をしている私達までお咎めを被るかもしれませんのに」。尼君の口撃にうんざりした浮舟は衣の中に顔を引っ込めて突っ伏し、完全無視の構え。亀みたい。

仕方なく尼君は「ごめんなさいね、物の怪のせいかしら。ここに来てからずっと具合が悪くて、お手紙を見てまた落ち着かなってしまわれたようで……」

庵では子君をもてなしますが、子君はソワソワして落ち着かず、「せっかくここまで来たのに、お返事をいただけないのでは殿に何と申し上げたらいいのでしょう。どうか一言、なにか仰ってください」

尼君は「本当にね」と、最後に一言なにか言うよう浮舟を促しますが、彼女は何も言いません。感動の対面を期待していた小君はがっかりしながら帰京します。骨折り損。

「もしや他の男が?」あっけない幕切れ、そのリアル

小君の帰りを今や遅しと待ち構えていた薫は、彼が手ぶらで帰ってきたのに愕然とし「これじゃ行かせないほうがましだった」。また、浮舟が返事をしなかったのは「もしや誰か他の男が彼女を囲っているせいでは」。そう、かつて自分がしていたのと同じように……。

ここで長い長い源氏物語は唐突に終わります。「えっ?」という感じですが、これでおしまいです。本当に。そしてこの突き放されたような気分は、ラストシーンの薫の心境そのものなのでしょう。

信頼していた僧都にまで「還俗しろ」と言われ、弟を見て懐かしさに胸を締め付けられながらも、最後まで返事をしなかった浮舟の胸中を瀬戸内寂聴は『女人源氏物語』でこのように描いています。

出家させてくださった僧都さえ、今になって還俗をすすめられるのでは、何を頼りに仏を信じていけばいいのでしょう……。いいえ、わたくしは僧都の弟子にしていただいたとはいえ、それはこの世の方便で、わたくしの出家は、目に見えないみ仏という光に身も心も捧げる誓約だったのです。人の心は自分の心もふくめて信じられず、男女の愛など夢の浮橋よりもはかないものであっても、それをはかないものと見定めさせていただけたのは、やはりみ仏のお恵みなのかもしれません。(中略)

薫君さまのお手紙に対してどうしても、一言もお返事ができなかったのはなぜなのか、わたくしにはわかりません。

けれども心が少しでも落ち着いた今になって想い返せば、お返事をしないよう、何かがわたくしを制してくれたのではないでしょうか。そのほうがよかったのか、悪かったのか、わたくしにはわかりません。

けれども、すべてをみ仏にゆだねた今のわたくしは、自分の心に正直に従うことが、み仏のみ心に従っていると思われるのです。あれもひとつの浮橋だったのではないでしょうか。男と女の間の恋もはかない浮橋なら、み仏に近づく橋も危うい浮橋で、油断したらいつふり落とされるかわからないか細い橋なのかもしれません。(瀬戸内寂聴 『女人源氏物語』より)

苦難の果てに浮舟がたどり着いたのは、母や乳母の期待した「高貴な方の寵愛を受けて何不自由なく生涯を送ること」でもなく、薫や匂宮が求めた「いつでも可愛らしく自分を待っていてくれる女」になることでもありませんでした。

そしてついに尼僧とはなったものの、それは僧都や仏様の教えだけを盲目的に信じていけばいい、ということでもありません。常に慎重だった僧都が、最後の最後で見せた手のひら返しにはがっかり感しかないわけですが、徳の高いお坊さんであっても所詮は人間。そしてほんとうの意味で彼女がどうすれば幸せなのかを理解していなかった、ということが見えてくるのも憎い演出です。

これは何も女性に限らず、周囲の期待や社会的に良いとされる人生を送るのがいいこと、正しいことなのだと思って生きている人、そう思わされている人、そういうふうに思ってきたけど疑問を感じている……といった人たちに投げかけられた一つのメッセージのようにも感じられます。

ただ、浮舟が本当に自分で「こうしてよかった」と思えるまでには、文字通り死ぬほど苦しい思いをしなければなりませんでしたし、それは周りから理解もされず、批判も浴び続けるような辛い道です。

一方、浮舟からの返事がもらえなかったのは「他の男がかつての自分のように彼女を囲っているのでは」という勘ぐりに終始し、それがラストシーンとなった薫。彼が手にしたいのは愛する女の愛ではなく、喪失された愛恋であると述べた吉本隆明は、自身の源氏物語論のなかでこうまとめています。

物語の構成がもっと別様だったとでも想定しなければ、誰もがこの結末から物足りぬあっけない気持のままほうり出される。だがはじめから喪失の愛恋しかできなかった薫大将は、もともと失うべき対象など何も持っていなかったのだ。読み手はじぶんがたどってきた潜在的な物語の中で、冷たい薫の感懐をそんなふうに納得する。(吉本隆明 『源氏物語論』より)

最初から最後まで、自分が傷つくことを恐れ、見栄やプライドをかなぐり捨てて相手に向き合うことのできなかった彼。「夢のような思い出話だけでも」という薫に対し、浮舟は「夢と言われても、それがどんな夢だったかわからない」と返されているあたりにも、互いの共感のなさがよく出ています。

数々の残念な出来事を経ても変わらない、変わる気のない薫。彼が何度も自分で言うように、すべての出来事はドMの彼に仏が与え給うた苦行林と思うしかないのかも。それにしても人との距離を過剰に気にする今の世の中の写し鏡のような薫は、とても千年以上前に書かれたお話の主人公とは思えません。薫のイタさはあらゆる意味で現代人へのブーメランだと思います。

ハッピーエンドでもなく、しかしバッドエンドとも言えず、物語は終わります。作者がどういう思いでこの物語を書き、そしてこのようなエンディングにしたのか、これを書いている筆者には到底わかりません。でも、なんとなくですが「これが現実よ」と言われているような気がしてなりません。

これからもおばさん尼たちは口うるさいだろうし、おばあちゃん尼たちはイビキがものすごいだろうし、あの諦めの悪い中将もまた来るかもしれない。小野の庵は決してユートピアではありません。それでも浮舟は生きていくのでしょう。時々は碁を打ったり、ちょっと笑ったりもしながら。その情景を想像する時、私は理想でも夢でもない、思いがけない出来事もいっぱいある、リアルな人生ってこんな風だろうな、と思うのです。

【参考資料】
源氏物語論 吉本隆明(洋泉社MC文庫)
女人源氏物語 瀬戸内寂聴(集英社文庫)
新源氏物語 源氏がたり 田辺聖子(新潮文庫)
源氏物語と日本人 河合隼雄 (講談社+α文庫)
3分で読む源氏物語 http://genji.choice8989.info/index.html
源氏物語の世界 再編集版 http://www.genji-monogatari.net/

こんにちは!相澤マイコです。普段、感じていること・考えていることから、「ふーん」とか「へー」って思えそうなことを書きます。

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