夢か現か…死の喪失感に呆然とする父子
秋風の吹く夕暮れに、ついに帰らぬ人となった紫の上。源氏は取り残された喪失感にただ呆然するばかりです。夕霧も朝夕しっかり父に付き添って、あれこれ世話を焼いて過ごしています。
台風のような強い風が吹くたび、夕霧はひと目彼女を見たあの日のことを思い出します。
本当に一瞬だったけれど、あの時、天から舞い降りた女神か天女のように見えた紫の上。それなのに拝見したのはお亡くなりになってからだった……。今となっては、灯りのもとで亡骸を見たことこそが夢のような気がする。確かに、生前はあれほど厳重警戒していたのに、夕霧が紫の上の死に顔を見て源氏が何も言わないこと事態が妙でしたからね~。
とはいえ、関わりの薄い義理の息子という立場ではおおっぴらに泣くこともできず、夕霧は父の代わりに僧侶たちに指示を出し、自分もまた念仏を唱えて過ごしています。
夕霧でさえ夢か現か幻か、という状態ですが、当の源氏は寝ても起きても涙のかわくことがありません。想いはそれぞれ異なれど、父子は紫の上を失った衝撃に打ちのめされ、時間の感覚もなくなったように思われました。
「未練はない」!?愛妻を失っても彼が出家できない理由
「私は容姿にも才能にも恵まれ、人とは異なる人生を生きてきた。その一方で、幼い頃から身近な人たちと次々に別れるという悲しい目にも多く遭ってきた。
それは”この世は無常である”という仏のお諭しであったかもしれないのに、長々と俗世で過ごした挙げ句、最愛の妻と死に別れるという類のない悲しみに襲われた……。
今こそこの世の未練はなくなった。出家しない理由はない。だが、こんなに気持ちの整理がつかないのでは、修行どころではない」。
源氏は仏前で数珠を繰りながらそんな事を考えていました。確かに、出家出家と言いながら、なんやかんやと先延ばしにしてきた人生でした。紫の上が出家したいと言ったときも「それなら一緒に」と言いつつ結局ズルズル過ごしてしまい、ついに彼女だけが他界してしまいました。
源氏は手を合わせながら「どうか、この心の動揺を沈めて下さい」と仏様に祈るのですが、お寺など集中できる環境ならともかく、紫の上の思い出が残る二条院で、気持ちの整理がつくはずもありません。
ここまで心が乱れているのに、一方では世間体を意識し(妻を失って惚けた挙げ句、心が弱って出家したとは言われたくない)と見栄を張る始末。
「未練はなくなった」といいつつ、まだまだそのあたりの事が捨てきれない源氏。心が弱って出家したって言われたところでそのとおりだし、今更誰がどう言おうが別にどうでもいいじゃん!と思うのですが、開き直れないのが源氏の今でした。いざとなると些末なことが気になって決断できず、後悔を繰り返す間にも時間は過ぎていきます。
「弱った所を見せたくない」親友からのお悔やみで見せた”男の意地”
源氏の生涯の親友であり、ライバルであった頭の中将も、紫の上の訃報に心からのお悔やみを伝えました。
「昔、夕霧の母・葵が亡くなったのもこの時期だった……」。2人は仮面夫婦のように見えたのに、若い源氏が妻を失ってひどく落ち込んでいた様子が、昨日のことのように思い出されます。妹と親友の夫婦仲を案じていた兄としては、その事が実に印象的でした。
「あの時、葵の死を悼んだ人々の多くも既に旅立った。遅かれ早かれみんな死ぬ。そこに大した差はないな」。華やかで若々しかった頭の中将も、長男の柏木に先立たれて以降、死ぬのは年齢の順ではないこと、その”世の無常”がしみじみと身にしみるのでした。
「いにしへの秋さへ今の心地して 濡れにし袖に露ぞおきそふ」30年前の妹の死のことが今のように思い出され、今回の訃報に涙を流しております――と言うのが頭の中将からのメッセージ。剛毅な人ですが、さすがにしんみりした内容です。
しかし源氏は(あの人の性格だ、素直に弱気なところを出すと女々しい男と思うのだろう)と裏読みして
「露けさは昔今ともおもほえず おほかた秋の夜こそつらけれ」今も昔も涙に暮れているのは同じ、そもそも秋というのはつらい季節なのです――とそっけなく返します。
こんなところで変に気を回さないでもいいのに……と思ってしまいますが、昔からよく知る相手だからこそ、かえって弱いところは見せたくない!という意地が出るのかも。しかしこういった心の動きも、確かに出家とはまだ遠い感じがします。
セクハラも今は過去…養女からのお悔やみにただ呆然
頭の中将に続き、源氏の心を動かしたお悔やみは、養女の秋好中宮からのものでした。
「枯れ果つる野辺を憂しとや亡き人の 秋に心をとどめざりけむ」あの方が春を愛し、秋を好まれなかったのは、枯れ果てた野をお嫌いになったからだったのでしょうか。今になってその理由がわかりました。
春が好きで、六条院でも春の町に住んだ紫の上、秋を好み、秋の町を里内裏にした秋好中宮。どちらの季節が素晴らしいかと、意匠を凝らし風流な遊びで競ったこともありました。六条院が最も明るく華やいでいたあの頃……。
源氏は中宮のお手紙を手に、繰り返し繰り返し読み返します。(もはや、もののあはれ、風情をともに分かち合えるのはこの方くらいになってしまった……)。
才気煥発な母・六条ほどではありませんが、繊細で優雅なセンスを持った養女(と言っても紫の上より1つ下)の秋好中宮。仲の良かった紫の上の死につきない悲しみをしたためた便りでした。
源氏としては「私の代わりに愛人にしないで」と六条から釘を刺されたため、養女にしたあとにも好き心を起こして、なんとか顔を見ようと思ったり、時にはセクハラまがいの発言をして嫌がられたり。あふれるスケベ心も今は遠い思い出です。
「昇りにし雲居ながらもかへり見よ われ飽きはてぬ常ならぬ世に」中宮様という雲上のお方となられてもどうかお察しください、わたしはこの無常の世に飽きました──。
何をするにも現実感がない源氏は、手紙を包んだあとも、まだぼんやりと放心していました。
息子を頼り女房たちに甘え…まだまだ出家は遠い夢
こんな調子なので、弔問客への挨拶や法要などはすべて夕霧まかせ、生活のことは女房任せです。
源氏は寂しさを紛らわすために女房たちの詰め所にいる時間が長くなり、仏前でお経を唱えるときも女房たちを集めて、そばに付いていてもらう始末。
紫の上がいれば彼女独りで済んだことを、今はいろんな所に分散して支えてもらっている、という感じでしょうか。それほど、彼女の存在が大きかったというのがよくわかります。
仏前で祈ることといえば(千年も万年も一緒にいたいと思ったのに……。この後は極楽浄土で再会することを祈ろう)と思いつつも、未だに実行には至りません。
なにより、出家すれば夕霧に頼ったり、女房たちにお世話をお願いしてもらうこともできないし、寂しいから付いていてもらうというのもできなくなります。紫の上ロスに苦しむ源氏は、まだまだ周囲の人の優しさに甘え、支えられないといられない。確かにこれでは出家は難しそうです。
作者も「心は決まっているのに、世間体を気にしているところが残念」とバッサリ斬っていますが、紫の上の支えを失って、精神的に自立できていないところが露呈したなぁという感じです。
こうした状態がダラダラと続いたまま年末を迎え、新春を迎えます。
簡単なあらすじや相関図はこちらのサイトが参考になります。
3分で読む源氏物語 http://genji.choice8989.info/index.html
源氏物語の世界 再編集版 http://www.genji-monogatari.net/