水木しげる先生ご逝去の報が日本を駆け巡った。
『ゲゲゲのの鬼太郎』をはじめとした、世代を超えたベストセラー作品を育てられた表現者だけに、様々な方が別れを惜しまれているようだ。
『ゲゲゲの鬼太郎』も、再読してみると、昭和40年代に社会問題となった公害問題(作品中では、トイレの垢をなめる「あかなめ」という妖怪を登場させて、公害問題を比喩的に問いかけている)や、折々の社会問題を問いかけておられることに気づく。また、悪魔くんや河童の三平といった作品も、どうようの暗喩ではないかと解釈される箇所が見られる。
私見だが、そういった問題を作品の中に綴られるのは、水木先生御自身の戦争経験が影響しているのではないかと思う。
事実、水木先生御自身は、第二次世界大戦末期の激戦区であったニューギニア・ラバウル方面で従軍されて、左腕を負傷されておられる。
ニューギニア・ラバウル戦線は、激戦だけでなく、補給が乏しくなったため、戦闘だけでなく餓えや熱帯病で亡くなられた方が多い地域でもある。
40代以上の読者なら、実際に第二次世界大戦に参戦された大人の話を聞く機会もあったと思う。
日本は経済状態こそ豊かになってはいたものの、ソビエトとアメリカの冷戦時代のまっただ中で、大規模な戦争が再燃するのではないかという意見がいつもどこからか聞こえてきていた。そういったこともあって、筆者は『総員玉砕せよ』を最初に拝読させていただいた際の、生々しい読後感を今も覚えている。
本作は、第二次世界大戦末期の1945年3月3日に、南太平洋のニューブリテン島に上陸作戦を試みる米軍を迎え撃つ500名の日本兵を描いた作品である。満足な兵器もなく、弾薬や食糧の補給もなく戦う日本軍兵士。捕虜となって辱めを受けるなら自決せよと教育された兵士たちが、聖ジョージ岬での悲劇的な事件に追い詰められる様は胸に痛い。
水木先生は、検閲(戦時中は、表現規制について法令で厳しく制限されていた)を経験された時代をご存知の作家である。戦後、そのような規制が解けて、作品を世に送り出したとはいえ、当時、世論を動かすほどの作品を輩出していた文学者などの表現者に対する弾圧はおそらく目にされたであろう。真相は知りようもないが、水木先生の戦争をテーマにした作品は、御自身が戦争で経験されたことについて、無意識的にマスクをかけられているように思えるのだ。
時代はめぐって、日本がかつての大戦に突入する前の時代によく似てきたといわれる。
かつての戦争について描かれた水木先生の作品は遺作ではないし、また物語ではないだろう。コミカルな作品の中に隠された社会への暗喩や、戦争をテーマに扱った作品に綴られた静かな怒りについて再考することを、水木先生が望まれているような気がしてならない。