初投稿。Lunaticnoirと申します。
現代人は想像力に欠けるとよく言われますが、いわゆる肉体的・精神的な“痛み”については特に顕著で、犯罪に繋がるにもかかわらず残忍な事件が跡を絶ちません。また、少年法という法に守られている場合、被害者はマスコミ等に晒されて二重三重の被害を被るのに対し、加害者は保護され、中には出所して本を書くという者まで現れています。
こうした事件に対し、「目には目を」で有名なハンムラビ法典(上記画像)のような血を血で贖うような、恨みの連鎖に繋がるような事は個人的にもあまり望ましくありませんが、これとは別に何らかの刑罰が必要かもしれないと考えた事あります。
当初、友人数名にこの話をした所、笑いながらも同意する人の多さにびっくりすると同時に「あり得ない事ではあるが、少しはアリな所もある」と判断し、書かせていただきました。
鞭打ちの刑
これは今でもイスラム諸国やシンガポール・マレーシアなどで現在も執行されている刑です。
シンガポールなどの場合は刑法に基づいて執行され、死亡などに至らないように配慮されてもいます。
これを、殺人などの重大な犯罪を犯した犯人に一振りで良いので実行してみたらいかがでしょう。
背中の皮一枚無くなるかもしれないのと何日か背中を下にして寝れなくなるという結果があるかもしれませんが、
「あなたが相手にした事は、これの数百倍、数万倍も酷い事です。」
と伝える事で少しは罪の意識も変わるかもしれない。
体罰も無く、親から叱られる事も少なく、頭にコブを作った事も、膝にかさぶたを作った事もない子供ばかりの今、“痛み”の体験の無さから来る想像力の貧困が犯罪の原因になっている事も少なくないかもしれません。
刑罰を与える相手もまた仏教の座禅の時に叩かれる肩のように背中に「喝っ」と愛をこめて一度鞭をふるう。
アリでしょうか。
それとも暴論でしょうか。
(写真はハンムラビ法典wikiからの転載です)