集中治療室に入れなかった私のパートナー
百合嫁=レズビアンカップルの妻・藤間紫苑です。
百合嫁の日常1 https://rensai.jp/94765 の続きです。
お待たせしました。
1989年のある日。
家族の誰も病室にいない隙をついて、私はカノジョを母に会わせました。
とはいえ、一日何時間も寝ている母。
この日も意識はありません。
「ママ、カノジョを連れてきたよ。いつもお世話になっているんだ」
枕元で私がそう囁くと、いきなり母の目が開き、点滴の管が何本も刺さった体で起き上がろうとします。
「ママ、無理しないで」
とても気取り屋の母は座り、すっと背中を伸ばすとこう言いました。
「いつもありがとう。紫苑をよろしくお願いします」
そして頭を下げるのです。
「はい。お任せください」
カノジョがそう言うと、母は安心したようにまた横になり、すぅっと眠りました。
それがカノジョと母が話した、たった一回の奇跡でした。
カノジョはそれからもモスバーガーで待ち続けてくれました。
母が危篤。その時、私のパートナーは集中治療室に入れなかった。
私の母は暫くして看護師室から監視出来る集中治療室へ移されました。
この病院では親族以外、集中治療室へ入れません。
「紫苑、モスバーガーで待ってるね」
「いつも待たせてごめんね」
私とカノジョはそう言って、この日も病院の玄関で別れました。
私が病室へ行くと、入れ替わりに祖母と義姉が食事に出かけました。
そして虫の知らせを感じたのか、遠くに暮らす姉がやってきました。
すると。
母の脈が段々ゆっくりとなっていきます。
「意識が戻るよう、お母さんに呼びかけて!」
看護師さんが叫びます。
「ママ!」
私達は何度もなんども呼び続けました。
しかし。
母の心拍は止まってしまいました。
偶然にも子供達が全員集まっている時、眠るように母は亡くなったのです。
母の手がゆっくりと冷たくなっていきました。
その時も、カノジョは一人寂しく、モスバーガーで待ち続けてくれていました。
この日から、私は婚姻制度やパートナーシップ制度がセクシャルマイノリティーにも法整備されないかと、思うようになったのです。
■ セクシャルマイノリティーのパートナーシップ制度の前段階とも言える東京都渋谷区の取り組み
渋谷区「男女平等及び多様性を尊重する社会を推進する条例案」全文【速報】
http://getnews.jp/archives/832260
■ 日本の集中治療室における面会の実態調査(第1報)― 面会の機会拡大に向けての検討―
http://harp.lib.hiroshima-u.ac.jp/jrchcn/detail/1203020140605163658