甲賀三郎諏訪と建御名方は同一人物だったのだろうか?とふと思ってみた。
甲賀三郎諏方は浅間山付近で蛇体となって人間界に戻った後に諏訪後に赴き諏訪大明神となったが、建御名方は武甕槌に敗れて糸魚川から姫川沿いに南下して安曇野を経て諏訪に赴き諏訪大明神になったとされる。(南から小野神社を経由して天竜川沿いに北上し諏訪へ赴いたとされる説もある)
諏訪明神は、龍蛇神としての色彩が濃い。諏訪上社本宮で12月下旬に行なわれる「御室(おむろ)神事」は、土室(つちむろ)の中に、茅で作った三体の蛇を祀るのだが、これは冬眠中の蛇の祭祀と考えられる。また、元日に本宮前の御手洗川贄の氷を割って、二匹の蛙を射る「蛙狩の神事」は、この蛇神に供える贄(にえ)と思われる。諏訪の土着のミシャグチというのは、蛇のことを指しているという説が最も有力であるので、甲賀三郎諏方がミシャグチの由来であると仮定してみた。
甲賀というのは、言うまでもなく滋賀県の一地方であるが、古来朝廷に献上する馬を育成していた牧が信濃国にたくさんあった。その中で一番有力だった望月の牧を管理する滋野一族の望月氏だった。馬を朝廷に献上する前に調教する為に甲賀の地に分家した甲賀望月氏と甲賀三郎伝説の伝承は一致する。
諏訪明神のシンボルとして神輿に立てる薙鎌(なぎかま)というものがある。神長官守矢史料館の建物に打ち付けられているのを見たことがあるのだが、インドの神にナーガ神という神がおり、インド、東南アジアでは、龍や蛇を示す言葉であるが、甲賀三郎諏方の身を守ったのが鉈鎌であるとされ、薙鎌に形状が酷似している。
諏訪縁起を語る甲賀三郎伝説や諏訪大明神絵詞においても、明神は大蛇として登場する。 諏訪上社のことを調べているうちにミシャグチ関連のことは頻繁に出てくるのだが、公式に祭神とされる建御名方については未だに謎のままである。最近読んだ本の中にミシャグチ=フォッサマグナを鎮め給う地震の神という説が発表されていて目から鱗モノだった。
諏訪神社は長野県に一番多いと思っていたのだが、実は新潟県に一番多いということを知った。。地震や水害の被害の度重なる姫川沿いに諏訪神社が目白押しに存在するのがミシャグチ=フォッサマグナを鎮め給う地震の神という説に非常に合致すると感じた。建御名方が大地震の後にまさにフォサマグナ沿いの姫川沿いに諏訪神社を勧請しながら、被災地を慰問しながら南下して諏訪へ至ったのではという仮説を立ててみた。