マラソンで勝つ日本へエールを!

  by akirataka219  Tags :  

 
先の日曜日2/1、別府大分毎日マラソンが開催されました。国際陸上競技連盟(IAAF)が格付けする世界の主要ロードレースのシルバーラベリングレース、国内外からハイレベルのランナーが集います。私も市民ランナーの一人として、関門制限時間不通過者の収容バスにすぐ後ろを追われる恐怖を楽しみ(?)つつ、全体のほぼドンジリを走ってまいりました。
 スタートから序盤10㎞のダウンヒル(下り)コースで楽々と思わせておきながら、39回の曲がり角で減速させつつ中盤以降に繰り返される小さめアップダウンで脚を使わせ、35㎞の佃大橋以後3度にわたる登り・うねりの罠にランナーを陥れる東京マラソンとはまったく異なり、また、高低差5~10mの上り坂が19回もあり20㎞以上続く海沿いコースで強い向い風に晒され、風がないかと思えば折り返しを含め49回もの曲がり角で減速を強いるうえに炎天下気温25℃なんてざらにある新潟シティーマラソンとも異なり、アップダウンと呼べるほどの登り坂は一つもなく折り返しも含めた曲がり角はたったの8回。向い風というより心地よい海風が追い風になってくれる平易な高速コースに惹かれ、脚自慢のランナーたちは「憧れの別大」参加標準記録を得るために此処彼処、陸連公認コースのフルマラソンに遠征するのです。
 気温8℃、晴れの好コンディションの中、今年もトップランナーはじめ走り上手な市民ランナー3500人余りがスタート地点「大分うみたまご」に集いました。世界の強豪に交じり日本人トップのタイムは2時間10分46秒。過去の日本人最高は、あの公務員ランナー川内優輝選手の2時間8分15秒…1㎞あたり≒182.5秒。
 う~ん。
 これが「世界との差」というやつか。
 炎天下、気温35℃北京五輪2008男子マラソン優勝タイムはサムエル・ワンジル(ケニア)の2時間6分32秒。1㎞あたり≒180秒。川内ペースとワンジルペースは1秒で約9㎝ずつ差がつき、以後100mごとに1.6m、1㎞ごとに16mの差、ゴールで682mの差。
 世界最高タイム、デニス・キメット( ケニア)の2時間2分57秒との比較にいたっては、1㎞あたり≒175秒、1秒でワンジルとの差の3倍≒27㎝ずつ、以後100mごとに4.8mずつ、1㎞ごとに48m、ゴールでは2,100mの差になります。
 お正月の風物詩「箱根駅伝」は各校とも全国の高校から高速ランナーを集め、今や往復総合の優勝タイムは10時間49分27秒。あの山登り5区を含めた1㎞の平均ラップでワンジルをしのぐ179.5秒はとてつもない高速化で、今年の総合12位順天堂大学のタイム11時間13分32秒は一昨年の優勝タイムとほぼ同じ。
 これだけ学生ランナーが高速化しているのに、五輪を含むマラソンでなぜ日本人は勝てないのか、勝つ方法はあるのか?
 答えは簡単、あるのです。
 箱根駅伝、実業団駅伝など、テレビ中継され視聴率をあげているすべての駅伝レース区間それぞれを40㎞にすれば、2時間5分を切るランナーは何人も出てくると思いますがいかがでしょうか。
 箱根の場合、現在の2区間分を一人で走ります。
 これまでの5区の選手は山登りと下りの両方を一人で走ります。
 テレビ中継は8:00~18:00で2日間になります。
 今まで通り10名走らせるのであれば「東京箱根間2往復駅伝競走」となります。
 無理なようにも感じますが、歴史的な無理を平然とやってのけるマスコミという「究極の煽り屋」が日本にはありますから必ずできます。かつて、ある新聞社は「対米対戦は到底無理」とする有識者・軍の最高幹部を完全に封じるまで国民感情を煽り「鬼畜米英」へ駆り立て、あのような無謀な戦争に導き広島・長崎をもって日本を破滅に至らしめた確固たる実績があります。
 マスコミが商人を巻き込んで改革すれば、5年どころかものの2年で日本から2時間5分を切る選手が出てくるはずです。 早稲田大・渡辺駅伝監督の辞任記者会見「早稲田で駅伝を走る願望が入学してくるランナーの最終目標になってしまっている…」これら象徴的な現在の悪弊すべてが改善され「誰を五輪のマラソン代表に抜擢すればよいのか」陸連専務理事への突撃インタビューが連日お茶の間を賑わせる日が必ずやってきます。

「日本の長距離選手を育成する」本来の箱根駅伝の主旨を踏襲し標榜するのであれば、日本が東京五輪2020年のマラソンでメダルを取るには、駅伝ひと区間40㎞…。
「それでは学生がついてこない、実業団にもそれだけ走れる選手、志の高い選手はいないのではないか…」
 案じることはありません。
 円谷幸吉選手も、君原健二選手も、森下広一選手も、瀬古利彦選手も、中山竹道選手も、有森裕子選手も高橋尚子選手も野口みずき選手も、みんなみんなそのような高い志があったわけで、今の学生ランナー・実業団ランナーも然り、志の高い選手は多数いるのです。
 この方法が即効性のあるしかも国際大会で確実に勝てる方法であることを知っている指導者はたくさんいます。商業主義に甘んじて「選手はいるけれど見いだせていない、ふるいにかけていない」だけ、詰まるところ「やれるのにやっていない」だけなのです。いかがでしょうか。
 
 それでは、日本選手の東京五輪2020マラソンレース金メダルに、乾杯~っ!
 

1982年、東京学芸大学教育学部卒業。東京都練馬区立石神井東中学校勤務(1982~1988年)、株式会社学習研究社教科図書編集部勤務(1988~2004年)を経て、現在、株式会社水王舎出版部勤務。 隠岐の島のばくだんにぎり 「旅」という字は「旗の下に人が並んで行くさま」の会意文字らしい。ゆえに一人旅は旅ではなく風まかせに歩く「漂泊」にあたるはずだが「月日は百代の過客、行きかふ年も旅人なり」と詠んだ芭蕉の意図からすると、日本では一人の場合でも「旅」として認められるのが普通と考えられる。 かつて全国交通安全運動の標語募集で総理大臣賞を受けた秀作「せまい日本そんなに急いでどこへ行く」とはいうものの、知られざる日本の此処彼処すべてを踏破するにはかなりの時間がかかるはずで、(故)開高健の著書「地球はグラスのふちを回る」にもそのことが記されている。 今回の目的地、隠岐の島。ミッション2つ。 ウルトラマラソンの参戦。島の教育委員会指導室長を務めている学生時代の同期に再会。 羽田から伊丹でプロペラ機に乗り継ぎ、機体の壁を一枚隔てただけのジェット機では味わえない高度2万フィートの空中臨場感を堪能。 縹色の空から徐々に高度を下げ窓の下に紺青の海が広がるころ、葉っぱをちぎったような小さな島をいくつも越えると、海岸線が入り組んだ円い大きな島が現れて、大地を覆いつくす深緑の鮮やかな稜線が視界に迫ってきた。 急峻な起伏と森林を縫うように島の中央と周囲には道が走り、いくつかの港や町に続いている。尾根の向こう側に夏の陽を浴びてエメラルドグリーンに輝く入り江が見えると、プロペラ機は大きく舵を切ってさらに高度を下げ、エンジンを唸らせながら空港に舞い降りた。 飛行機は新幹線より3倍も4倍も速い文明の利器だから、東京から九〇〇キロほどの距離を乗り継ぎ時間を含め2時間たらずで飛んでしまう。いつもなら体だけが現地に運ばれて、心がスピードに追いつかずなかなか到着しないのだが今日は違う。心はすでに空港近くの港町を通り抜け、海風を感じながら磯に沿ってくねくね走る道を先んじて、隠岐の島町教育委員会へ向かっている。 「ここまでよくきたね。選手受付まで車で案内するよ」 空港までわざわざ出迎えに来てくれた同期の指導室長と久しぶりの再会。マラソンの受付を終え、じゃあ夕飯でもと近くの飯屋へ行くと、同期の顔見知り先生方数名がどやどやと傾れ込んできて、同期と杯を交え「国語教育改造計画」なる議論をはじめ「論理的読解法と国語指導の実践」とのテーマが熱を帯びていく。 「世界中の人類がだねえ、まず『男と女』を一般化したことによって論理が始まったわけで」「言葉を使う論理というのは世界の普遍であって、主語を省略する今の日本語そのままでは論理的に世界では通用しない」「英語、古文、政治、哲学、科学、宇宙、そして八百万の神――論理はあらゆるものに通じているのさ」 「つまり『すべての言葉は論理に通じる』ってわけだな」 「なるほど!」 白熱した議論が一つまとまったところで、「ノドグロ」の干物を勧められる。マダイやヒラメ、トラフグにも引けを取らない高級魚。喉が黒い淡い紅色をした白身の魚でアカムツともいうらしい。ムツとは脂のことで、体長20センチほどの小さな開きの焼き物は、白身なのに滴りあふれる脂をじっとりと輝かせていて、箸をつけると柔らかで癖のない甘味が沁みわたる。透明感にみちたコクと上品な味に魅せられると、テーブルに片肘をついてグラスを傾けながら、ご主人、こいつは脂というより果汁だね、などと食通を気どった生意気な口を利いてみたくなる。 つづいて、白イカ、マアジ、バイ貝、サザエ、岩カキ。意志の力では逆らうことのできない欲求が、口腔と大脳のあいだを何度も行ったり来たりの、うまいものづくし。 論理を敷衍しに来たはずなのに、味蕾が叫ぶ、肉体にこもった言葉が唸る。 「おっ!」「うまい!」感情語の連発。オブザーバーというより傍観者の小生、そもそも目的は教育談義ではなくマラソンであって、彼ら曰く「うまいものを食べて、論理を見失った」状況らしい。 主語述語を明確にして不特定多数の第三者へ伝えるなら「うまいものを食べたせいで、私は論理を見失った」が論理的に正しい一文であるとのこと。 きわめつけはやっぱり岩海苔か。 寒い北風と荒海が岩礁を激しく洗う季節、12月の終わりから2月にかけて、その岩に生えてくる岩海苔摘みが一斉に始まるそうだ。命がけの危険な作業で採れた貴重な天然岩海苔を、竹細工のすだれに張って2〜3日で乾燥させ、弱火でゆっくり緑色に変わるまで焼いて仕上げた板海苔は、十数センチ四方で一枚四〇〇円くらいするらしい。 その高価な岩海苔でにぎりめしを真っ黒になるまで包んだ「ばくだんにぎり」 にぎりめしをしっとり包む黒緑の光沢にかぶりついた瞬間、峻烈で翳りのない濃厚な磯の香りと絶妙な塩加減が五感を占拠し、海苔にたいする既成概念を激しく揺り動かす。 単なるうまいものへの瞠目や、卓抜な味わいとの邂逅ではない。未知なる文化との予期せぬ衝突それとも革命か。「これは美味い」と驚嘆する声に、もはや論理なし。 『すべての論理は胃に通じる』 生まれ変わるなら海岸動物になって、冬の荒磯で逆巻く怒涛に打たれながら、この岩海苔を食べて暮らしたいと思わせる、滋味、精緻、絶品。超A級。 絶賛に気を良くした先生方。 「東京からおいでになったのですね。ここの岩海苔は美味いでしょう」 「タンパク質、カロチン、ビタミンA、B1、B2、C、繊維、ミネラルが豊富。頭が良くなる、身体が強くなる、心も強くなる。それで論理を学べば習熟も速くなる。こんな海の恵に囲まれて育ち、さらに論理を身につけたなら、二十一世紀の日本を背負って立つ人材が隠岐から出る日も遠くない」とご満悦。 実際に幕末の混乱の中「自らのことは自らで守り、自らの願いは自らで実現する」ために、松江藩郡代を追放し自治政権を樹立しようと隠岐維新があったそうだ。 もしかすると、近代日本のさきがけとなった松下村塾の俊英たちも、同じ対馬の潮で育った岩海苔で真っ黒に巻いた「ばくだんにぎり」を食べながら、生まれも環境も違う国家としての他者意識を背負い、未来を語り、外夷に挑み、幕府と戦い、維新の礎を築いたんじゃなかろうか。吉田松陰、高杉晋作、久坂玄瑞――。論理を理解し、自ら物を考え、智を研き、旧慣に惑溺せず、進みて退かず達して止まらず、日本を変えた若者たち。岩海苔の玄妙な味わいは歴史をさかのぼる、昔を思い遣る。話題が弾む。 「彼らもきっと食べたろうね、うん、ばくだんにぎりは改革を支えたエネルギーだ」 「じゃあ以後150年の進歩はどうだったのか」と談が及ぶ。 …文明と経済の飛躍でいろんなことが便利になった、店に行けば水から空気まで何でも買える、端末ボタンを押せば何かと事が足り、難しいことが簡単になって、重い物も軽く持てるし、遠い場所も近くなって、今や日本中どこでも同じ造りの建物が見られるようになったよね、と結論づけると、いいや違うぞちょっと待てよと反論が飛ぶ。高度成長期の1970年、岡本太郎が「人類の進歩と調和」をうたう大阪万博の無機的な未来建築志向に憤り、パビリオンを睥睨するため会場の中心に「太陽の塔」をデザインしたんだと…。それがなんだよどうしたんだと訝れば、だってそうだろ、この45年、日本は価値観や生活様式がごちゃ混ぜになって、今までの社会的な標準も矜持もありゃしない、じつに曖昧な時世に漂っているじゃないか、将来の選択肢が広がって、好きなことが何でもできる自由の一方で、何を目指せばよいのかわからない不自由も現れる、だからたしかに無機的だった、こいつが子どもたちには厄介なんだよ、大変なんだと宙を見あげて嘆きながら、グラスの氷をカチンと鳴らし、わかめ焼酎を一口やって、大きく顔をしかめゴクっと喉に響かせる。 …それに言葉が軽くなったよ、伝統や文化はおろか命の尊厳さえ軽くあしらう風潮も現れた、心地よく、抵抗感のない、心に入りやすい言葉、すなわち感情語が社会を浸食し始めているんじゃないか、世代を超えた正しい言葉がなくなって、物を考えず、話し合いも解決もできない、一様に感じるだけの、感性と一瞬の好き嫌いの判断で、あらゆる物を無心して、安逸な選択をくりかえし華美を飾る、それでいて人はけっこう不安な日々を送っているよね、そうでしょ、と、苦い顔でまた一口。 おいおい、そいつはまずいよ、岩海苔どころの問題じゃないぞ、子どもたちは今のこんな環境と争えるのか、これからの世の中をより良く変えていけるのだろうかと、深遠な命題を投げかけ合って未来を思い煩うのだが、答えは簡単。変えていける。 世の中を動かすのはお金でも石油でも科学技術でもない。 言葉である。論理である。そして「学ぶ」と「育つ」はともに自動詞だ。論理を身につけ、他者意識を持ち、自ずと物事を理解し、自分の言葉で説明し、幅広い価値観を身につけ、ばくだんにぎりを食べながら、現代や未来について考えることができるようになったなら、いずれ世の中を大きく変える子どもたちが必ず育つ。その小さな芽が育つ日まで、論理をほどこし習熟をはかる――。 日本の未来を拓くエネルギー。 明朝スタートのウルトラマラソンを走りきるエネルギー。 ばくだんにぎり。 ヘトヘトになってウルトラマラソンを完走した翌日. 痛い脚を引きずりながら同期と別れを惜しみつつ隠岐の島を飛び立つ。 島が見えなくなって景色からちょっと目を離したあいだに海を渡ってしまったらしく、気がつくと本州上空にいて高度をかなり下げていた。宍道湖、松江、鳥取砂丘、丹後半島――。原形の地図を眺め、若狭湾から丹波の山並みを越えて機首を下げると、麓に広がる平野を埋め尽くす巨大な都市がいくつも見えてきた。 伊丹空港に近づくと、建物をモザイク状に隙間なく敷き詰めた街中に、緑あふれる大きな公園があって「太陽の塔」が大阪の摩天楼を右手に立っていた。 現在、過去、未来を怜悧に見据える形相と、両腕を大きく空に広げる変わらぬ姿が異彩を放つ。先生方の熱心な教育談義が印象的だったせいか「国語教育改造計画」を激励する雄叫びが今にも聞こえてきそうだった。

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