タイ王国で音楽イベントを継続し続けている男がいる・・・その名は【濤川 憲紀】

 

 

タイ王国。東南アジアに位置する微笑みの国へは日本から直行で5時間40分。この国へは筆者も過去に2度、渡航している。その2回とも6月の雨季だった。赤道から北緯30度辺りに位置するタイは熱帯モンスーンに属している。年間通して平均気温が28.5度というのはその影響である。在留邦人は約5万人。タイムリーな話題としては読者諸兄もご存知の政府問題であるが、3月3日にバンコクの封鎖がようやく解除され、元の首都の姿を取り戻しつつある。先述の渡航の際に筆者はある現地滞在の日本人に出会った。今回はその人物を是非本稿で紹介したい。

男の名は濤川 憲紀(なみかわ のりとし) 1957年生まれの56歳。見た目は普通の中年男性である。ただ、いまタイで最もエンターテインメントを開拓している重要人物であるのだ。濤川氏は現在進行形で【J-LIVE】と【Fujiyama Night】という音楽イベントのオーガイナイザーとして活躍している。タイというロック・ミュージック未開の土地で催すイベントの詳細や、これまでの経緯等をLINE通話にて取材した。

 

Q.そもそも濤川さんの初タイはいつだったのですか?

A.初タイは30年以上前に社員旅行で来たのが初ですね。その後何度か遊びに来て、バンコクに住もうと思って来たのは2002年の3月です。だからバンコクに住むようになって丁度丸12年ですね。

Q.住むというのもまた人生の決断でしたよね。在住の決めてをお聞かせください。

A.それは、さっきも言った様に何度か遊びに来てて、その時にタイって日本の昭和と同じ匂いがするなって感じたんですよ。バンコクは都会なんだけど、ちょっと路地に入るとローカルな感じがあってね。そのローカル感がオレの小さかった頃の昭和に似てたんです。こんな街に住むのも良いなって思っていたんだけど、12年前にすごく日本が嫌になる出来事があったので、だったら行っちゃおうって思い切って来ちゃいました。

Q.タイで音楽イベントを仕掛ける着想についてお聞かせください。

A.オレはイベンターじゃないんで、仕掛けるって言う発想はないですね。 自分がやりたいから始めただけなんで。

Q.イベント発足のきっかけを教えてもらえますか?

A.きっかけねぇ…。ちょっと長くなるけどいい?(苦笑)今から9年前に友達同士でバンドを結成したの。それでバンドメンバーの結婚式や誕生日などを発表の場としていたんだけど、それ以外に発表の場もなくてね。バンドを組んだんだからそりゃ、次第に普通のライブがしたい欲望は大きくなる一方さ。ただ、じゃあどこでやるのかと。ファラン(タイ人が西洋人を指す呼称)が集まるパブでは、腕の良いファランやタイ人バンドが演奏していて、流石にそこに出させてくれと言うほどの腕も自信もなく、3年ほど途方に暮れていたんだ。そんなある日、バンドメンバーと日本から来たミュージシャンのライブを観に行った時にその箱が雰囲気、広さ、機材等々がすごく良くて「こんなところでライブができたら最高だね!」「じゃあ、ここを借りてやろう!」って事になり(笑)、その時オレはバンド二つとアカペラユニットにも所属していたので、あともう1バンド集めてイベントを起こそうって事になった。そこから無謀にもそのライブハウスのオーナーと交渉 をしてみたものの、予算のないオレらにとってはとてもじゃないが手の出ない額だったのでその箱は断念し、違う箱を探して2008年11月15日(土)に【J-LIVE】を立ち上げた。以降、毎年11月に開催しているよ。とりあえず、お披露目の場ができたと言う事で練習にも力が入り、スタジオにもちょくちょく入っていると、どういう訳かファランのオーガナイズするライブイベントに呼ばれる事になったんだ。詳しい話を聞いてみると、出演バンドは5バンドで、全てが日本人バンドだという事。ライブの日に顔を合わせてみると、音楽のレベルも高く、こんなに沢山のバンドがバンコクにはあるんだと気付かせてもらった。その後、そのオーガナイザーの友達のファランからもライブイベントに呼ばれ、その時は日本人バンドはオレ達だけだったんだけどそんなライブの事よりも、ここでまたその箱を気に入ってしまったんだ。その後も同じオーガナイザーに呼ばれてライブを行っているうちに「ここで日本人バンドを集めてライブできたら面白そうだ!」「J-LIVEにもつなげられるし」と言う事で、早速オーナーと交渉したら即OK!で、その2ヶ月後に【Fujiyama Night Vol.1】がスタートしたんだ。

 

Q.なるほど。バンド結成から面白い流れが生まれたんですね。ちなみに2つのイベントは何周年になるのですか?

A.自分がオーガナイズしている定例イベントはさっき話した2つだけです。【J-LIVE】は2008年11月に始めて、年1回のペースで開催してます。なので、今年の11月で丸6年。一方【Fujiyama Night】は2010年5月に始めて、月1回のペースで開催してます。こちらは今年の5月で丸4年になります。あ、あとね、伊勢丹バンコク店で、伊勢丹さんが主催する七夕イベントとクリスマスイベントでは、オレが助っ人オーガナイザーとしてお手伝いとかもしてますね。それと細かなところでは、知り合いのお店でイベントがあると声掛けられたりして、その時も伊勢丹さんと同様に助っ人オーガナイザーとして取りまとめをやってます。

Q.ほんっと多忙ですよね(笑)。せっかくですのでイベントで活躍されているバンドなどを教えてください。

A.バンコクには面白い連中が沢山居るんだけど、とりあえず音楽つながり的に『aire』のGinnちゃんと『LowFat』の佐野ちゃんかな。Ginnちゃんはジャンルで言うとインストゥルメント・ポストロックって言うのかな? 日泰混成バンド『aire』というバンドでドラムを叩いていて【dessin the world】というインディーズレーベルの主宰者でもある人です。『aire』は日本のCDショップにも置かせてもらってるので、ひょっとしたら日本でも知っている人が居るかも知れないですね。佐野ちゃんは同じく日泰混成バンドの日本語ハードコア・パンクバンド『LowFat』のボーカルで、普段は大学で日本語を教えてる先生です。普段とライブでは全く違う人間に変わるので、そのギャップがすごく面白い。この2人と2バンドを是非紹介したいですね。2人はバンコクにある日本語FMラジオ番組【アンダーグランドで会いましょう】と言う番組を持っていて、そこで日本のバンドやバンコクで活躍中のインディーズバンドの紹介とかしてるんだけど、音楽について詳しいし、それに彼らは音楽に臨む姿勢ってのがすごく真剣で熱いものを持ってますね。オレと違ってね(笑)。

 

Q.そうですか。2バンド共、大変興味が湧いてきました。ところで濤川さんの音楽ルーツとギター歴について教えてください。

A.音楽のルーツね…そんなたいした事ないんだけど…とりあえず、ちゃんと音楽を聴き始めたのが中学3年の時だね。それが『吉田拓郎』だったので、同時にギターも始めた。だから途中ブランクはあるけど、ギター弾き始めてからもう40年以上も経つって事なんだ、はぁ…まったく進歩ないってのがツライ(苦笑)当時はまだフォークブームで、『井上陽水』や『泉谷しげる』とか良く聞きましたね。その後、『はっぴいえんど』にハマって、そこから『ティンパンアレイ』を聴き、そのバックミュージシャンに『渡辺香津美』というギタリストが居てね、この人からクロスオーバー~フュージョン~Jazzに流れて行って、現在に至るって感じかな? 途中高校生の時に『CSN&Y』と言うアメリカのバンドに凝って一生懸命コピーしてたんだけど、人前で演奏するまでにはいかなくてそのまま諦めてしまったんだけど、それから40年近く経った今、このバンコクでメンバーが見つかり『NAK』というアコースティックユニットで演奏させてもらってます。これは結構嬉しかったですね。40年近く経って念願が叶ったって感じです。

 

Q.最後になりますが、今後の展望を『連載.jp』の読者の皆様へ向けて一言お願いします。
A.オレの場合は、あくまでも趣味なので、展望なんてものもないんですが、これからも音楽を通じて色んな方達と知り合えたら良いなって思ってます。バンコクに居るって事も大きい理由なのかも知れないけど、ベトナムのホーチミンに住んでいる日本人バンドや、香港に住んでいる 日本人バンドとも交流が持てたり、当然日本からのバンドとも仲良くさせてもらってます。特に日本からのバンドとはネットで『J‐LIVE』や『Fujiyama Night』の情報を見て「バンコクでライブをやりたいんですが」と言う連絡を良くもらうようになりましたね。先月も2バンド来て一緒にライブをやったんですが、そのうちの1バンドは、日本で結成30年を迎えた有名なジャパンメタルバンド『EARTHSHAKER』のMARCYさんが参加しているバンドでした。ちょっとしたアクシデントもあったんだけど、なんとかライブができて、お客さんはもちろんバンドのメンバーもすごく楽しんでくれたみたいでした。そんな繋がりがいっぱい持てたら楽しいかなって思ってます。読者の皆さんの中にもし「バンコクでライブをしてみたい!」って言う方がいらっしゃったら、是非一度私に声を掛けてみてください。出来る範囲でご協力しますので、バンコクで一緒に音楽を楽しみましょう!

 

電話口の濤川氏は昨年にお会いした時と変わらず終始元気なトーンで、またとても殊勝な方だと思った。突然の電話取材にも関わらず時間を割いていただき、心より感謝である。

筆者はまだ先述の音楽イベントには触れていない。話を聞いて俄然観に行かねば!と強く感じた。

日本人がタイ王国で実施する音楽ライブ。まさに国境の無い音楽の結晶イベントだ。そしてこれを毎年継続し続けるネットワークを築いた濤川氏の人望も然ることながら、それをバックアップするミュージシャンや現地とのリレーションも特筆すべき点だと思った。

「継続は力なり」である。あくまで主観だが、この先も続けることでいずれバンコク名物の存在になっていく吉兆を感じずにはいられない。

 

最後に濤川氏が言われたように、タイで何か演奏したいと思われた読者の皆様は下記のURLへアクセスしてみてはいかがだろうか。きっと海外ライブの夢も叶うはずだ。

https://www.facebook.com/Fujiyama.Night (Fujiyama Night&J-LIVE FACEBOOKページ)

https://www.facebook.com/noritoshi.namikawa?fref=ts濤川 憲紀 FACEBOOK)

作家。著作は2011年6月に処女作『奈落レアリスム』 12月に2作目『薔薇薔薇の石油』を相次ぎ発表。 2012年5月に3作目『接吻奇談』を発表。 2014年2月19日、1年余のブランクから復活し、契約を締結した電子書籍レーベル【インディーズ文庫】より『電池切れパラドックスとエレクトリックシティの涙腺』が新作長編小説として出版される。瞬間恋愛を軸に夜がしっかり抱き締めてくれる鮮烈なラヴストーリーがついに世に放たれた。 常に畏敬の念を抱き続けるのは、ウィリアム・バロウズ、L=F.セリーヌ、そして中島らも。奥山貴宏にも影響を受けている。 27から本格的に書き続けてきた布石が、紆余曲折を経て再度の執筆意欲を掻き立てることになった。執筆以外の活動は2013年10月~2014年3月まで全国78局コミュニティFM番組『この場所から』のラジオパーソナリティを務めた。

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