人物重視もほどほど・・・

  by Miun Hsyun Kelly  Tags :  

 人物重視?入試に今更・・・?学問の最高学府である、大学の入学試験。学力のみで入学者を選抜するのが、至極当然なのではないだろうか?
 国公立大学入学試験の二次に、いずれ面接と論文のみで試験を行うことに決定したとの、文科省の発表。二回も学威力試験を行う必要はない。人物重視で合否を決めようということらしい。ただでさえ、学力低下が取りざたされている日本の大学生。AO入試の影響も見逃せないといわれて久しい。その傾向に、更に拍車をかけてしまうことになるのではないか?比べたくはないが・・・中国や韓国の大学生たちに、とっくに完敗している日本の大学生。ゆとり教育の弊害が問題となり、今や小学校、中学校を中心に、主要五教科の学習内容の難易度が上がってきている。なぜ大学だけ今になって、人物重視の方策をとる必要があるのだろうか。
 今回の決定は、小中高とは違う、大学らしさとは何かということを、文科省が無視しているとしか思えない。人物重視などと悠長なことをいっている余裕など、今の日本の大学にはないはずだ。人物と学力との相関性も見当たらない。厳しい学問の場としての大学のあり方を考えた場合、まず学力だ。学力のある、学問をやる気のある学生ならば、おのずと人物はついてくる。大学生ならば、ある程度の人物になっていて然るべきだ。人物重視といわれても、何だかバカにされているような気もするのだが。
 ヒトがヒトを判断する。その難しさ。文章を綴った数枚の紙とわずかな時間の面接で、そう簡単に人柄がわかるわけではあるまい。面接官や採点者の主観も大いに影響してしまう。学力検査の方が、はるかに客観的に公平に、合否を判断できる。面接や論文での判断には、相当な労力も必要だ。それを絶対の責任をもって行うことができる大学が、一体どれだけあるだろうか?
 より良い入試にしていくには、もちろん改革が必要だ。ただ、根幹を忘れてはならない。大学という学問の場としてトップにあるものへの入学を決める試験なのだ。日本の大学の威厳が損なわれるような入試だけにはならないよう、慎重に検討していただきたいものである。

思い込んだら徹底的にやらずにいられない性格。香港が気になって以来、広東語を勉強中。塾、予備校で英語を中心に教えているので、英語の訓練も欠かさない。 毎日のヨガエクササイズで、心身の健康維持に努めている。 幼い頃からオルガンやエレクトーンを、大人になってからはピアノを習っているので、絶対音感あり。好きなことは、アジア方面への旅行。まだまだ開拓していない国があり、時間があるときは、いつも旅の計画を練っている。小柄な体に似合わない、よくとおる声が自身の魅力のひとつだと自負。

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