ゴミの捨て方 それにより生き方も違ってくる

  by あおぞら  Tags :  

 我が住まいは800世帯以上が住む集合住宅のアパートである。日本で言う『マンション』はアメリカで言う大邸宅のことで、まっ、そのニューヨークのアパートのゴミ捨て場で、捨てられたゴミを見ると、『捨て主はどんな人?』と思うこともままある。

 各階に2カ所 ゴミ捨て場は “COMPACTOR” のプレートがドアに貼られ、ドアを開けると半畳程の空間に、リサイクル用の大きな青いプラスティック箱が左に置かれ、右にはダスターシュートがあり、壁には目上の位置に棚が二カ所しつらえてある。ここには割れやすい電球や、リサイクルにあたらないもの、また、イラナイしかもキレイな状態の食器や日用品が、誰かに再利用されたそうに置かれている。

 ゴミを集めるアパートのスタッフに中々大変な仕事と同情したくなるのは、壁の目上の位置にしつらえた棚にどういうわけかストローが突き刺されたままのソフトドリンク入りのプラスティックカップや、使い切っていないトマトソースの瓶が乱雑に置かれている。誰がやっているかは知らないが、無性に腹が立つ。

 人の見えない所での『悪行』は卑劣である。ゴミ捨てには当然ルールがある。ゴミ回収のスタッフはガラガラと小さな車輪がついた大きな丸い茶色のゴミ箱に、先ずリサイクルゴミ箱内に敷かれた厚手のビニール袋に入ったゴミを回収し、その後、棚にある別のゴミも回収するが、中身の入った他人の飲みかけの汚いプラスティックカップをどう処理するのだろう? 千手観音ならいざ知らず、二本の手では多くのゴミ処理に支障が出る。

 こういうイヤな光景を目にすると、日本のあのゴミのない、また分別ゴミに関してもキチンとされている祖国を懐かしく、誇らしく思う。今や、多少乱れてはいるかもしれないし、よくニュース記事で見るインバウンド客が、ゴミを捨て散らかしている証拠写真は目も当てられないが、それにしてもアメリカは酷い。

 缶を捨てる時も、瓶も、ジャーもすべて中身は取り出してキレイに洗って水を切りゴミ箱に入れる。でも、これって当たり前のことに思う。アメリカのスーパーの魚売り場は豊富ではないので、日系スーパーで買うサバの味噌煮缶をよく購入するが、これは缶にサバがへばりついてスポンジのざらついた部分を使いクレンザーでこすり落とす。正直、面倒である。でも、それはすべきである。ましてや缶の文字は英語ではない言語の日本語。

 アメリカ人の友人が仕事で東京と名古屋を訪れた。日本の清潔さと、新幹線の乗り心地と、街にゴミが落ちていないことに感嘆していた。面白い視点は、ニューヨークには至る所にゴミ箱があり、至る所にゴミがある。しかし、日本はゴミ箱が少なく、ゴミも落ちていないと。とても不思議だったと言っていた。

 アメリカの不思議は、例えばギャラリーや美術館に入る時、入館のシールを渡されることがあり、シールの裏紙を床に捨てるバカ者がいること。それを注意もしないセキュリティーの人、そしてセキュリティーはゴミは拾わない。分業が徹底しているアメリカでは、美術館で不法な行為をする者を監視注意をする業務内容に『ゴミ拾い』は記されていないと思う。でも、美術鑑賞する我々からすれば繊細なルノワールの絵の前のゴミは興ざめである。

 大谷翔平選手は積極的にゴミを拾うと言う。PRESIDENT Online 2024年04月18日付け記事によると

「模範となる人物」を目指してきた
 
トップに立つ人間、成果を上げる人間は、模範となる人物、真面目にやってきた人間であるべきで、自分もそうありたいというのが大谷の考え方です。

だからこそ、大谷は今でもグラウンドを歩いているときにしゃがんでゴミを拾うことがあります。高校時代は、佐々木監督から言われた「球場の一番高いマウンドに立つ人間は、みんなが一番嫌がる仕事をしなさい」という教えを守り、寮のトイレ掃除も文句一つ言わずにやっていました。

 不必要とされるものがゴミ、それにも敬意を払う生き方は、きっと人生を浄化させてくれると思う。

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