
自警のジョージ・ジマーマン氏の無罪判決。ヒトを殺しても、アメリカでは罪にならないのか?いや、そうした”ありふれた”疑問の前に、やはりアメリカは永遠に懲りないと思う。銃が人を守るのではない。アメリカは、銃を守っている社会だと主張しているようで・・・
ジマーマン氏が、近所を歩いていたトレイボーン・マーテイン君を不審に思い、銃で射殺し てしまった、かの事件。自身の身を守るためなら何事も正当防衛にあたるという、フロリダ州の法律。それが驚きだ。そもそもジマーマン氏はボランテイアであり、銃を合法に保持できる警官ではない。なのに、銃を持っていた・・・銃とは全く無縁の日本で暮らす者として、何かがおかしいと思わざるをえない。なぜ、メデイアはこのことを指摘しないのか?
今回の判決に対し、アメリカ都市部では、当然のことながら抗議デモが起こっている。マーテイン君に正義を、と。一方、ジマーマン氏も銃を保持していなければ、このような悲劇は起きなかったはずと、主張する人もいる。市民たちは、もうとうにわかっているのだ。 一体、アメリカでは今までどれだけ”無駄な発砲”のせいで、命が失われてきたことか。銃がいかにヒトの心を変質させるものか、アメリカは痛いほどわかっているはず。銃さえなければ・・・この言葉に、結局は尽きるのではないだろうか?
オバマ大統領は、今回の件にもっと冷静になるように呼びかけている。マーテイン君は、ひょっとしたら35年前の自身だったかもしtれないと。アメリカは法国家であり、その方に基づいて今回の評決が下されたとしている。確かに法は、人を保護するものというより、正義を維持するものであろう。その正義も、銃という鉄の塊の下では、薄らいだものになってしまうようだ。
今回の判決に、人種差別を掲げる人もいるが。ヒスパニックとアフリカン・アメリカンとの確執がそれほど大きいとは思えない。ジマーマン氏は、フロリダにおいて存在の大きいキューバ系のヒスパニックではないとのこいとであるし。元々移民の国であるアメリカ。全てにおいて人不差別を理由にしていたら、根本の問題が見えなくなってしまうのではないだろうか。
本来地域を守るはずの自警男性が、守るどころか一人の少年を死に追いやってしまった。守られたのは、やはり銃なのではないか。真の原因に目をつぶろうとするアメリカ社会に、トンネルの出口が見えてくる日が一日も早く訪れることを願うばかりである。