ガンだった夫の他界・娘と離れ離れだった9年間……島田珠代が『徹子の部屋』で壮絶過去を語り大反響

  by 田中周作  Tags :  

吉本新喜劇の女芸人・島田珠代の知られざる過去が、26日放送の『徹子の部屋』(テレビ朝日系)で明らかとなり、ネットで反響を呼んでいる。

同番組初登場となった島田。冒頭、いきなり、おなじみの「パンティーテックス」を全力披露し、「履いてました」と報告。徹子は「良かったです。おめでとうございます」と手を叩いた。この後、芸人を志したキッカケや東京進出の挫折、また吉本の社員と結婚するも、8年で離婚したエピソードを回想した。

話はここから一転、シリアスなものに。2度目に結婚した相手が、名古屋のドラマで知り合った小道具の男性。愛娘にも恵まれたものの、娘が8か月のとき、夫にステージ4の直腸がんが見つかり、5年の余命宣告を受けてしまう。
 
島田は当時、抗がん剤の知識がそこまで深くなかったこともあり、抗がん剤治療を受ける夫のイライラ、つらさが分からなかったという。彼女は、「抗がん剤が、どういうものなのかっていうのを、もうちょっと勉強していたら、もっと優しくなれて、もうちょっと変わってたのにって悔やまれます」と涙を流し始めた。

その頃、親子3人は島田の故郷・大阪で暮らしていたものの、関係が悪化する夫婦仲を改善しようと、夫が、大好きな名古屋に戻ることに。ただここで夫は、3歳の娘を連れて行きたいと申し出る。「余命5年で俺の生きる糧はどこにある?」と訴え、島田も「私だって寂しいよ」と話し合いに。結果、夫は娘を連れて、主治医もいる名古屋で暮らし始めた。島田は2週間に一度そこを訪れていたという。 

島田が再び大阪へ戻らなければいけないとき、甘えたい盛りの娘は名古屋駅で「ママがいい!」と訴えて泣きじゃくっていたという。島田は「そのときのことを思い出すと、やっぱり……涙が止まらないです」と嗚咽。

5年の余命と言われていた夫は11年生き続け、3年前に他界。その後娘とは9年ぶりに再び暮ら始めるも、12歳という思春期の彼女からは「ママは私とちゃんと生活もしてない」「小学校の時間割は全部お父ちゃんがしてくれていた。ママはそんなのしてくれなかったのに、怒るだけ怒るなんてズルい」などと言われて喧嘩になってしまったのだとか。

島田は「ちゃんと話し合おう」と決めて再び娘と向き合うことに。すると娘からは「悪かった時はママも謝って。大人だって謝らなきゃいけない時もあるのよ」と諭されたそう。島田は「私は間違っていたなと思った。子どもによって親が成長するということはこういうことなんだと思って、それからは良好な関係になりました」と報告。CMをはさんで10分以上、泣きながら語っていた島田だったが、最後、愛娘からの手紙でまたもや大号泣していた。
 
普段の芸風とは想像もできない意外な姿に視聴者からは「そんな人生があったとは……涙無くしては見れない神回」「あの芸の裏にそんな大変な人生があったとは」「久しぶりに岩盤浴行けて、徹子の部屋を岩盤房で寝転んで見てたんだけど、涙無しに見られなかった」といった声が寄せられている。

ライター。