【トルコ・シリア大地震】「ピロティ形式建築」対策必需 日本―トルコ間「首相府災害危機管理庁(AFAD)」造りをシリアの民生防災にも活かせ

  by tomokihidachi  Tags :  

[筆者コラージュ作成(Twitterなどの動画より)]

2023年2月6日 1:31 AM(日本時間10:17 AM)、トルコのガジアンテップ県を震源地とするM7.7の巨大地震が発生した。次いで同日、10:46 AM(同)にカフラマンマラシュ県でM7.5のほぼ同規模の地震が襲う。さらにハタイ県、シリアの北西部などM6.5やM6.0の地震を含む余震がこれまでに1200回以上起きている。
 1999年に起きたM7.6のトルコ・イズミット大地震では5万人の重軽傷者が被災者となった。そのうちの主要な10の病院では移動式手術室のような緊急医療搬送を必要とした。 
 また2月21日、トルコの震災による全壊・半壊した建物はビルが16万4000棟、民家が51万8000件に上り合わせて68万棟超えの建築物倒壊被害が報告された。
 対してシリア反体制派支配地域では、シリア政府が調査せず建物被害は未把握だとされている。

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【トルコ・シリア大地震】「ピロティ形式建築」対策必需 日本―トルコ間「首相府災害危機管理庁(AFAD)」造りをシリアの防災民生にも活かせ
<リード>
【1】日本にいてもTwitter投稿動画情報で現地の情景描写ルポの試み
【2】行政援助が行き届かない「村落部」にこそ国際NGOの「人道支援」の手を
【3】「アラビアプレート」が元凶 東アナトリア断層の西横ずれ「スリップ・レート」
【4】「ピロティ形式建築」対策需要 日本―トルコ間の「首相府災害危機管理庁(AFAD)」造りをシリアの防災民生にも
【5】「低体温症」「クラッシュ症候群」への災害医療必然 シリアの一部洪水被害で感染症「コレラ対策キット」配給を
【6】【解説】なぜシリア北西部には初動段階で外国からの医療チームや救命隊は現地入りが阻まれたのか?
【7】シリアの被災者は「国際政治の犠牲者」だ アサド政権に「経済制裁」解除狙いの「震災外交」利用をさせるな
<結び> 「A-PAD」10周年「人道・災害対応モデルをアジアへ」主導する日本に注目集まる
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日本にいてもTwitter投稿動画情報で現地の情景描写ルポの試み

2023年2月11日にトルコの「オフロード救急車(UMKE)レスキュー」がトルコ南部のハタイ県ベレンで、震災から131時間を超えたベージュの髪にやややつれた表情の少女を倒壊瓦礫の中から救い出した。少女を取り囲むように、各地から集まった救援隊や報道関係者、また震災で家を失ったトルコ市民からも口笛と歓声が上がった。レスキューは少女を毛布で包んで低体温を温めながら抱え上げ、そのまま「UMKE」に乗せて機能している病院へと搬送した。 
[出典:Twitter @asahicom 動画(2023年2月7日)]

トルコ「首相府防災危機管理庁(AFAD)」がその略字を背中に背負わせて派遣したオレンジのユニフォームにランプ装着型黄色ヘルメットという出立の捜索救助隊は、同日夜、震災発生から138時間が経過したトルコ南部カフラマンマラシュで、防災照明設備を全射して闇が支配するトルコの残骸から奇跡的に少女を救助した。10人がかりで少女を担架に乗せ移動しながら点滴の救命措置を施し、生命の尊さを讃えて取り囲む群集に見送られながら救急車で搬送された。
[出典:Twitter @afbpBBcom 動画(2023年2月06日)]

 だが、震災直後はとにかく地震の恐怖心で未明に飛び起き、着の身着のまま家から慌てて外へ出てきたトルコの被災者が大半を占めた。
 視認できる範囲で言えば、藍色の上着とジーンズ、あるいは水色のズボンに長袖にベストを着た男性の姿が多く見られた。
 スーパーにあるプラスチック製のカゴの上に膝掛けと思われるショールを敷いて俯き、座り込んでいるメガネをかけた初老の男性。岩のカケラの隙間から垂れる布製の生活用具だったものが無惨な状態に。後ろには家屋で使用していたであろう、コードが何重にも絡み合っている。
[出典:Twitter @BNODesk 動画(2023年2月6日)]

 緑色のショベルカーなど重機の支援はトルコには早期の段階で届いており、トルコの建築物も建て付け自体は堅個であり、頑強にそそり立っているにも拘らず、その間に介在する建物は目を疑うほど完全に瓦礫の残骸と化している。
 白いテントが立ち並ぶ中、赤新月社の緊急援助のフェーズで助けられる命は全て救ったと判断した後に残された広大な灰色のコンクリートブロック。白い雪が降りかかる氷点下の極寒の中、雪の白さと入り混じった粉塵を撒き上げながら、大々的にAFADなど支援の手が入ったトルコでは重機、シャベルカーで鉄の残骸を掘り起こして平地にするプロセスへと移行した。
[出典:Twitter @Reuters Japan(2023年2月7日)]

 自動車4台が駐車していた7階建てマンションの前方。荷台に資材を積んだ軽トラックが急発進し、続く2台の車列が連なって発車した次の瞬間、マンションの一階から潰すように一気に崩落。一瞬で廃墟の平地と化した。周囲には濛々(もうもう)と粉塵を上げ近くに立っていた電柱と上階が接触したのか、一瞬、火花が散った。背後にあった青い壁の建物は耐震性が強化されていたのか、不動であった。
[出典:Twitter @BNODesk 動画(2023年2月6日)]

 震災に伴う火災のためか、5階建てと4階建ての住居の上には黒い雲が垂れ込め、風によって流されていく。TVの衛星アンテナと思われる取り付けがなんとか残っている。
 人々はダウンにズボンという防寒着でニット帽や冬季パーカーのフードを被り、暮れかけた道を歩いている。コンクリなのか、煉瓦造りなのか、木造か織りなされて残骸と化した建物の屋根に登って6人くらいの被災者が立ち尽くして変わり果てた街並みを傍観している。
[出典:Twitter @PeaceWindsJapan動画(2023年2月7日)]

 人間が一人で抱え上げられそうな岩石がバラバラに積み上がっている。
 相対して細々とした軽石の破片の盛られた中でコードや鉄線が扇状に広がる。中にはソーラーパネルが3枚そそり立っており、その左右の瓦礫の山に挟まれる位置にある道路は、かろうじて車両一台が通行できるくらいの幅が残っている。そこには一台の車が道半ばで駐車しており、後方からの道を急ぐ無数の車列で渋滞が起きている。
 瓦礫の底の眼下には広大な森が広がっており、左の瓦礫の中には布製の衣類や手作りの布バックなどが散乱している。
[出典:Twitter @BNODesk動画(2023年2月6日)]

 トルコの街路樹が居並ぶ通り沿いの煉瓦造りと見られるインフラが破壊され、広く赤い天井が潰れた下位階の瓦礫を覆う形で、周囲にはガラスも砕け散っている。
 コンクリートでできた道路が地震の突上げを喰らう形でそのまま盛り上がり直線状に衝撃が走り抜けて完全にインフラが破壊されてしまった。
[出典:Twitter @BNODesk動画(2023年2月6日)]

 それでも被災者は「折れない生きる力」を持ち合わせている。トルコ中部で飲食店を営むオメル・ファルクさんは、南部のハタイで炊き出しを始めた。切り揃えられた短髪に背中にイラストの入った長袖を着、ズボンに運動靴という比較的薄着の立ち姿。
 巨大な銀鍋を2つ並べ、もうもうと白い湯気が上がる中で、温かい飲み物やトルコ料理でよく知られる「ナン」を提供。白いワゴン車で運んできた食材などを入れた段ボール類が積み上げられ、中型のガスボンベも運んできた。ベストに長袖というやはり薄着に見える着こなしで炊き出しを手伝っていたのも自身が被災したボランティアだ。イスラム教圏だからか、顔の彫りが深く、口髭と顎髭の男性が多い。
[出典:Twitter @Reuters Japan 動画(2023年2月7日)
]
 トルコの「オスマンガージー」は「ブルサ県」の「ブルサ市」の中央大都市圏であり、ここからも炊き出しの支援の手が入っていた。
女性は必ずしもヒジャブを被っているわけではなく、緑や赤のニット帽を被っている被災者が男女ともに見受けられた。フード付きのダウンコートを着こなし、藍色の薄着の衣服、ベストに長袖、フード付きのパーカーを被るなど、極寒を凌がなくてはならないのに、軽量ダウンの薄着で炊き出しに並ぶ老若男女の姿があった。救いなのは、そこで子供たちが笑顔で列に並んでいたことだ。 
[出典:Twitter @Reuters Japan 動画(2023年2月7日)]

行政援助が行き届かない「村落部」にこそ国際NGOの「人道支援」の手を

 

[筆者コラージュ作成(出典:「PEACE WINDS JAPAN」&「空飛ぶ捜索救援団「ARROWS」)]

 国際緊急援助支援が高く評価されている日本のNGO「PEACE WINDS JAPAN(以下略、PWJ)」は最初の地震を受け、緊急支援プロジェクト「空とぶ捜索医療団”ARROWS”」を結成し、共に命の緊急援助72時間の間に遂行できるリミットのため意思決定の迅速さを要する同日23時45分(日本時間)にはトルコへ向けて出国していた。
 医師2名、看護師2名、コーディネーター2名、広報官2名他含む医療チーム体制で現地提携団体の災害救助グループ「GEA」と協働で「都市型捜索救助隊(Urban Search And Rescue:USAR)としてのアセスメントを行った。
 被災者の中でも最も脆弱(Vulnerable)と言われる災害弱者の数はトルコの人口2300万人に対し、「子供:144万人(総人口比:27%)」「高齢者;35万人(総人口比:7%)」。「総数で528万人」だ。その上、救命基地である「被災病院;383施設」にも上った。
 被災者は無論のこと、緊急援助を行うPWJのスタッフも被災地で安全な寝場所を確保することは絶対である。トルコの「アダナ」に国連をはじめとする国際機関が相次いで拠点を築いていた。PWJも目の前の倒壊家屋が崩れた粉塵の立ち込める中、瓦礫から救命救急搬送する高度危険リスクのフェーズでは、とにかく一人でも多くの助けられる人命救助を目指し目の前の命と向き合ってきた。
だが危険フェーズが引き下げられた段階で、拠点としたアダナから約8時間をかけてトルコの支援が不十分な忘れ去られた街「アデュヤマン」に届ける物資支援をも行った。郊外の地方にまで支援の手が行き届きにくい現状。先遣隊からはトルコの被災病院における暖房器具やテントなどの高いニーズが報告されていた。赤い家型のテントで宿泊している被災患者が暖をとるためか白や茶色の毛布に布類など衣類が散乱している。低体温症を防ぐためにか、下敷きにしている段ボールはあっても、プライバシーなどを守る用途の段ボールによる仕切りがない状態。プライバシーが確保できない。病院機能は失われており、スタッフにも患者にもテントが不足している状況だ。至急、民生用テントと医療テントを配給してほしい」という物資ニーズがあった。行政の支援から取り残された地域や世帯は壊れた家に住めないか、あるいは倒壊していなくてもいつ余震で崩れるか分からないので、仮暮らしの住まいに仕方なく身を寄せるか、子供含め路上生活者になっている状況だ。
現地に派遣されたPWJのスタッフは「私たちNGOは糸ようじのように支援からこぼれ落ちたニーズにしっかりと応えていくことこそ大事な役割だ」と強調する。
PWJの「トルコ・シリア大地震」緊急援助初動報告を日本から行った稲葉基高 医師は、現場から送られてきた同NGOの初動活動映像を紹介した。稲葉氏は通常、僻地医療に携わっているという。稲葉氏以外にも日常から過疎地で診療を行う高い志ある医師の存在は日本の国際緊急援助の誇りとする至宝である。

[出典:「難民を助ける会(AAR)」景平義文 中東エリアマネージャー]

「難民を助ける会(AAR)」景平義文 中東エリアマネージャーは「トルコ南東部地震被災者支援」として、トルコの首都アンカラから余震で病院含む建造物倒壊が甚大なハタイ入りした。
 発災して自分の住まいを失い公園に仮設テントを立てたり、ブルーシートを張ってその中で被災者生活を送る市民らの姿を目にした。簡易提供の避難所であり、トイレがない施設もあってインフラの整備も進まず不衛生な環境を強いられている。
世界有数の地震頻発国であるトルコ。防災管理を行う組織として日本の防災技術を習い、かつて設置された「首相府防災危機管理庁(AFAD)」の行政支援が行き届いている都心部はまだマシだ。荒野のような村落部には、あまり人道支援の手が届いていない。
 もともと、「シリア難民キャンプ」だった南東部が地方も町中も大地震による影響が甚大であり、次々と緊急援助に来た私たちNGO「AAR」も救援せざるを得ない状況に巻き込まれていった。店などが入っていた業者の建造物も倒壊し、そもそも内戦で元々の暮らしに影を落としている現状にプラスして今回の「トルコ・シリア大地震」が二重苦の災難となってやってきた、という表現が妥当かもしれない。
 AARは仮設診療所を設け、1日50人の被災患者に診療を施し、1日500人規模で物資を支援した。平素から家族や親族との関係性が密接だというトルコ人。ガジアンテプ県で被災した人々が避難生活の仮設テントやブルーシート内の仮避難所にも入れないと、頼ることのできる家族がその「受け皿」になるケースが多いという。社会的セーフティーネットで例えばイスタンブールの親族の元へ災害リスク管理の段階的な枠組みで身を寄せると、中長期的な「受け皿」の役割が処理できなくなって行って、ストレスが蓄積し、それが原因でDVが増えていく懸念もある。ストレスマネージメントとなる息抜きの「場」が必要だ。
 トルコのレジェット・タイイップ・エルドアン大統領が今回の震災を受け、先行して住宅の確保やインフラの立て直しに尽力しても、「トルコ政府にできるAFADなどの行政支援とNGOとがどこでマッチングできるか、役割分担を差別化していくべきだ」と景平氏は提言する。
「(特活)ジャパン・プラットフォーム」主催「トルコ南東部地震被災者支援 オンライン説明会」(2023年2月17日)」

「アラビアプレート」が元凶 東アナトリア断層の西横ずれ「スリップ・レート」

[出典:東北大学災害科学国際研究所(IRIDeS)遠田]晋次 教授(陸域地震学・火山学研究)]

 東北大学の遠田晋次 教授(陸域地震学・火山学研究)は「トルコ・シリア地震」についてその発生のメカニズムを次のように解説した。
 「トルコは従来からプレートに囲まれた地震災害多発国と言われてきた。北アナトリア断層及び東アナトリア断層は1000km以上もプレート境界が走り、活断層でもある。1939年にほぼ同じ規模のM7.8エルジンジャン大地震が起きた。死者3万人以上。上記の断層帯でドミノ倒し状に発災して行き、主に西側へ向かって地震が相次ぎ波及していった。1999年8月17日にはトルコのイスタンブールの少し東側、工業都市だったイズミットでM7.4の大地震が起き、死者2万人以上が犠牲になった。その3ヶ月後の同年11月12日にデュズジュ大地震が起きた。このような一つの歴史的地震活動のプレート境界はいかに造られたか?1000数年前にアラビアプレートが北に動いたことが一番の元凶だ。これがトルコの東側にぶつかってトルコの国自体を西に追い出すような動きを見せた。(写真1)砂の層に鉄のブロックを当て込むとブロックが押し出された結果、北には右横ずれの北アナトリア断層が出来た。またこのコンクリートブロックのすぐ近くには左横ずれの東アナトリア断層が誕生したという経緯がある。ではどういう風にひずみが生じるのか?『英国全地球航法衛星システム(UK-GNSS)』が解析している北アナトリア断層帯は非常に大きく歪(ひず)んでいるが、東アナトリア断層帯はさほど横ずれを起こす状況にまで進行してはいない。東アナトリア断層帯はプレート状ではあるが、その構造はかなり複雑だ。(画像2)の赤い線は断層の分布だが、特徴的なのは東のシンプルさに対して西側に行くと並走や分岐をしている。実はこの動きのことを『スリップ・レート』と研究者の中では言う。平均的にいかに年間プレートが動くのか?年間10mmだ。緩やかな雪崩式に動くわけではないが、東側のそういう動きに対し、西側は分岐しているため個々の断層に関しては生じた歪みを分岐していく形で大地震を起こす状態まで蓄積していくだろう」

[出典:東北大学災害科学国際研究所(IRIDeS)遠田晋次 教授(陸域地震学・火山学研究)]

「ピロティ形式建築」対策需要 日本―トルコ間の「首相府災害危機管理庁(AFAD)」造りをシリアの防災民生にも

[出典:東北大学災害科学国際研究所(IRIDeS)榎田 竜太 准教授(地震工学研究)]

2023年2月6日「トルコ・シリア(ガジィアンテプ)地震」では、建物の崩壊が生じた主なエリアについて

[出典:東北大学災害科学国際研究所(IRIDeS)榎田 竜太 准教授(地震工学研究)]

トルコの建築物は、主に鉄筋コンクリート(RC)フレームまたは組積(メーソンリー)構造 で構成される。公共建築物の多くは RC 構造と思われ、多くが平屋建ての住居家屋などは組 積構造であるものと考えられる。一般に RC 部材に比べて鋼材が高いこともあり、トルコで は耐震補強における鉄骨ブレースなどの鋼材の使用はあまり普及していない。
震源から45kmのカフラマンマラシュでは多くの建物が倒壊したが、鉄筋コンクリートフレームにレンガを詰めた、いわゆる「組積(メーソンリー)構造インフィル鉄筋コンクリート(RC)フレーム構造」では、かろうじて上層階の形を維持しているものもあった。震源から南に100km地点、シリアのアレッポでは日干しレンガ造りの構造物が完全に崩壊。震源から西に155km、トルコのアダナでは眼前に鉄筋コンクリート造りが完全に崩壊し「パンケーキ・クラッシュ」現象が起きている。(注1.「パンケーキ・クラッシュ」とは、地震の揺れで建物を支える柱などが急激に破壊され、上層階が下層階に折り重なるように、全層が連鎖的に崩壊する現象を指す。倒壊した階層が平たく押し潰されている様子が、パンケーキに似ている由来の俗称)
 日本と共通する災害時の建築物耐震性の課題が見受けられる。1階の耐震性が低い「ピロティ形式建築(店舗や駐車場など1階の耐震壁が少ない構造)」の対策需要は日本―トルコなどの国や地域を超えて根強いものがある。
 トルコでは1944年に初の耐震設計基準が規定された。その後度重なる改定が行われ、1998年には日本の「新耐震設計法」に相当する設計法を導入したトルコ。2007年以降2018年にもその規定は追加された。現在の高い設計法とトルコ国レベルでの「首相府災害危機管理庁(AFAD)」法に基づく防災関連法を整備した。AFAD長官だったオクタイ氏は現在、トルコ副大統領の任を務め、日本の国際協力機構(JICA)防災分野特別顧問である竹谷公男 特任教授(客員)とのパイプも太い。
 だが、トルコの住宅は日本のような建て替え代替わりの早い木造住宅ではなく、世代で受け継げるレンガ積み住宅が多いので、建て替え更新によって耐震強化するのが非常に難しい現実を抱えている。耐震基準制定前に建てられた「既存不適格建物」の被害が根底にあると見られ、復興の過程で耐震化をより確実なものにする必然性がある。

「低体温症」「クラッシュ症候群」への災害医療必然 シリアの一部洪水被害で感染症「コレラ対策キット」配給を

[出典:東北大学災害科学国際研究所(IRIDeS)佐々木宏之 准教授(災害医療国際協力学)]

 同時に緊急援助に駆けつけるトルコ現地で「人を救助することのできる特殊能力」を持った捜索・救助活動を行う世界各国の医療レスキューチーム自体が救助されなければならない側に立たされることもあり得るというリスクマネジメントは災害医療の現場では肝要である。また、建築物被害の課題でも挙げられた用語に似ている「クラッシュ症候群」という症例が災害医療でも別にある。
 東方大学災害科学国際研究所の佐々木宏之 准教授(災害医療国際協力学)は「瓦礫の下などに四肢の一部が長時間圧迫を受けてしまい(座圧)それが壊死を起こすと、救助された時にその血流が再開して壊死した細胞部から毒性物質が血液中に流れ込んで急性腎不全や致死性の不整脈、神経症を引き起こすことになる状態をいう。クラッシュ症候群の症例を示している被災者の方へ対するトルコ現地の医療機関がどの程度機能しているのか?『クラッシュ症候群』は人工透析を必要とすることもあり、多くの医療資源・水や電気などのライフラインを必要とする。ライフラインの活きている都心を離れた低度の被害で済んだ医療機関への搬送も必要となってくる手段があるか否か。」と問題提起した。その上で、現地で心配される「低体温症」についても言及した。「トルコの震源地近いカフラマンマラシュ県の(本速報報告会の日では)最低気温が(−4℃)、風速(2m/s)」つまり、体内温度は「−6℃」だ。積雪や降雨が度重なる悪天候にあって、身体が濡れている場合はさらにー10℃。今回の地震発生時、トルコやシリアの現地の人々は丁度眠っていた時間帯だった。パジャマ姿や素足に薄着など被災者の圧倒的多くが低体温症になってしまうリスクが地震直後から格段に高い被災環境にある」。さらに国際災害医療の専門家としての佐々木氏の立場から「被災者支援は確実に長期化するだろう。医療的にはメンタルケアや、(シリアで)続発するコレラなどの『感染症』。捜索活動に伴う怪我や破傷風に加え粉塵を吸い込んでの呼吸器障害や結膜炎のリスクもある。そして産婦人科の問題など迅速さや多様な判断が求められる災害医療の現場で、3.11を経験した日本の知見を活かして緊急救命医療に貢献してきてほしい」と警鐘を鳴らす一方、エールを送った。
[「東北大学災害科学国際研究所」主催「2023年2月トルコ南東部を震源とする地震に関する調査速報会」(2023年2月10日)] 

トルコ南東部シリア北西部の震源に近いアレッポ、ハタイ、ラタキアで最も壊滅的な損害を被った。
2023年2月23日には「トルコ・シリア」両国併せ死者5万人を超える激甚災害で、14日間以上食料も水もなく倒壊家屋の瓦礫の下に閉じ込められた被災者もいた。これだけの地震規模で奇跡的に救助されたシリア市民の中には建物と瓦礫の間の大部分が空洞だったことも不幸中の幸いだと見做す「UN-OCHA(国連人道問題調整機関)」の報告書もみられる。
命が助かった被災者はホームレスや国内避難民(IDPs)になるなど、仮設の避難シェルターや寒気を防ぐ借り暮らしのテントなどに身を寄せる。
シリアでは震災前からアラブの春以降、決起した民衆による「革命」を掲げた12年に及ぶ内戦で生活が脅かされる状況に陥っており、公的サービスなど基本的な支援を受けられずに、数千もの世帯が越境。1530人が今も人道支援を必要としている。2022年の国連報告書によれば。病院の59%と一次医療施設の57%だけが機能しているということだ。
 シリアの「保健省」(MoH:Ministry of Health)は震災直後、洪水被害による感染症から「コレラ対策キット」をはじめ、15メートルトン以上の医薬品を特に被害の大きかった「アレッポ」「ハマ」「ラタキア」に配給し医療施設にも物資を届けた。移動式医療部隊(Mobile Medical Units: MMUs)と「インターナショナル・メディカル・コープス」が共に役割を分担し、精神健康心理学的援助(Mental health and psychosocial support: MHPSS)面や「外科」「内科」分野の医療職員を投入した。心理学的一次援助(Psychological First Aid : PFA)も緊急度一次レベルから需要が高く、 シリア北西部ラタキア県「ジャブレ」や同県「アル・クルダハ」市でも2つの医療チームが助けられる命のため、ニーズのマッチした物資支援を行なった。
 シリア市民が予てから10年以上も続く内戦で、ただでさえ設の悪い寝床や煉瓦を積んだだけの仮の棲家や 難民キャンプ(IDPs)での生活を強いられ、「トルコ側からは救助を必要として搬送されてくるのは、重軽傷者の被災者ではなく「ご遺体」ばかりがシリアに運ばれてくる現状だ」と訴える在日シリア人ジャーナリストの証言もある。

【解説】なぜシリア北西部には初動段階で外国からの医療チームや救命隊は現地入りが阻まれたのか?

 緊急援助の一線を引く72時間までの真剣勝負の危険フェーズが最も高かった初動段階からトルコやシリアのバッシャール・アサド政権が反体制派から取り返したエリアには比較的早期に支援の手が差し伸べられたのに、シリア北西部の特に「体制派のエリア」には、なぜ外国の医療チームや救命隊は現地入りが阻まれたのか?

[出典:軍事ジャーナリスト 黒井文太郎氏]

 軍事ジャーナリストの黒井文太郎氏は震災前から12年も続くシリア内戦の裏事情も含め政治的背景を説明する。「反体制派の武装勢力とアサド軍側は軍事境界線で睨み合っている。アサド政権側にはロシア、イラン、イラク、エジプト、アラブ首長国連邦(UAE)、ヨルダン、レバノン、インドが資金援助など早々と支援を打ち出した。対して反体制派の武装勢力のエリア、シリア北西部はクロスボーダーで陸路からトルコ国境から入ることができる。だが、北側のトルコも震災があったため道路事情やインフラの破壊などで支援のルートが止まっている状態だった。それ故、外国からの支援が入国するのに困難を極め、国連が介在するということになった。理由は紛争地帯で治安が悪く、アサド政権側は「自分たちの国土である」と主張。「北西部の武装勢力は不法なテロリストであるから入ってこられないように支援ルートを止める。そこに普通の国が援助に入っていくと、イスラム教圏内のため物事が潤滑に進まないとの見通しがあった。そこで国連をメインに支援していく方針を固める。国連安保理が取り仕切って支援のあり方を意思決定していく。ところがアサド政権の後ろ盾であるロシアが拒否権を発動するため全会一致がなかなか通らない。不法地帯を開くわけにはいかない。トルコから入る検問所の一部を限定して国連活動自体も制限されることになった。一度国連本部で決定されるとその下部国連機関に縛られることになるからだ。国連本部としてもロシアの意向が反映されるため、本来ならばオープンにしない越境を人道的に許そうという立場を打ち出した。かなりの忖度が入っており国連に強く言えないというのが本音だ。国連安保理決議はかなり厳格に遵守されることが故に手続き上、緊急支援に迅速に動かなかった。2月6日に起きた震災から3日も経った9日にようやく支援の手がシリア北西部にも入ることになる。重機類や生存者探知のための器具は搬入されなかった上、食料や水などの生活支援の物資が若干入ってくるだけ。いまだに崩れた家屋からご遺体の捜索も進まず、被災シリア市民らから怒りの声が国連に向けられた。」と黒井氏は解説した。

「国連人道問題調整機関(UN-OCHA)」マーティン・グリフィス氏(国連事務次長・緊急人道援助担当)はトルコ南東部とシリア北西部を相次いで視察。緊急援助捜索医療の命のリミット72時間を過ぎた後も、各国から続々と入国する先派隊から入ってくる流動的な支援物資や施設配備のニーズのマッチング調査をヒアリングした上で一人でも多くの被災者に行き渡るようミッションを遂行して回っていた。しかし、初動の対応遅れについて国連の責任を問われると、グリフィス氏はこれを認めたという経緯もある。

シリアの被災者は「国際政治の犠牲者」だ アサド政権に「経済制裁」解除狙いの「震災外交」利用をさせるな

[出典:「(特活)Stand with Syria Japan] シリア危機支援事業 シリア現地コーディネータームハンマド・スラージュさん]

「(特活)Stand with Syria Japan」のシリア危機支援事業 シリア現地コーディネータームハンマド・スラージュ氏は震災を現場で体験した。
 「自然災害に政治を持ち込ませたくない。テントや仮設的な場所に住むことを余儀なくされているシリア人は『乞食』なんかではない。食料や何かを求めるのも所謂、貧乏人だからではない。元は大学の先生だったとかヒエラルキーの高い人たちも数多く被災している。本来的には財産があったのだけれど、それを政治的なプロセスから剥奪されてこのような状況に置かれざるを得なかった人々だ。私たちが『革命』を始めたのは、震災でテントや食料が欲しいためだからではない。私たちの「革命」のための基本的な要求はあったわけだが、国際社会が歪曲化させ問題をすり替えてしまった。結果として、一番人道的に必要な重機類が入るべき時に国連は国境さえ開けなかった。ここで言う犠牲者とは『国際政治の犠牲者』だと私たちは考えている。それだけでなく、国境を超えた国際社会の人々も無視するという態度によって、一人でも多くの人にこれ以上犠牲者を生まないで頂きたい」とスラージュ氏は時折、目頭を抑えて訴えた。その上で「この震災でテントや食料が欲しいからシリア危機人道支援の活動を続けてきたと矮小化して捉えて欲しいわけではない。私たちは12年前から起こした「革命」に基本的主題を以って活動しているのだと言うことを知ってほしい。当然の権利として人々が保障されているはずの『人間として認められたい』という理念を『シリア人が生きていることを諦めない』でいる限り、私たちは人道支援活動を続けていく』とスラージュ氏は繰り返し強調した。

[出典:「(特活)Stand with Syria Japan(SSJ)」の山田一竹 代表]

「(特活)Stand with Syria Japan(SSJ)」の山田一竹 代表は「アサド政権がこの『トルコ・シリア大地震』と言う人道危機を利用して、着々とシリアの国際社会への復帰を目指していく『震災外交』を狙いとしているのではないか。日本も含めてアサド政権に科してきた『経済制裁』を解除すべきではないか?」との声が国際社会から上がったとき、私たちは非常に危惧した。2019年1月に米国が確立した「シーザーシリア民間人保護法」には、「人道支援として必要とする」という文言がどこにもない。経済制裁自体が人道支援を含んでいないという性質のもので、今ある狭義の意味として、『(人道支援の文言が)入らないのは経済制裁が原因だからだ』と見なされている。さらにあろうことか、難民を保護する立場の「国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)」の職員が同様のことを発言していることに、非常に憤りと危機感を以って「SS J」としては緊急声明を出した。現地シリア人の方の多くも同じ気持ちであり、この声明は彼らの声を代弁するものだ。」と警鐘を鳴らす。

 山田氏が言及した2019年1月に提出された「シーザーシリア民間人保護法」は厳冬を迎えているシリアに対し一旦は6月に下院を通過した後なぜか全ての行政文書に罫線を引かれ上院で無かったことにされる。さらにその後下院で「中東米国安全保障強化法」が2月に通過。最終的には12月20日にその米国の国防を第一に考えた「米国国防権限法」が立法化。
「民間人保護法」とは名ばかりで肝心のシリア民間人を置き去りにした「法の形骸化」に成り下がった。
[「(特活)Stand with Syria Japan」主催「シリア危機を再考察するーアサド政権の残虐性に迫るー」(2023年2月23日)]

 シリア人は「災害の避難訓練」も学校などで教育していないという。日本が「国際協力機関(JICA)」を通じてトルコに指導した「防災行政」造りを代表する「首相府防災危機管理庁(AFAD)」のような制度造りを今後、シリアにも提供していけないか?
 だが、そこで気をつけなければならないのは、シリアのバッシャール・アサド大統領一族が牛耳るアサド政権のための「防災制度支援」をすることだけは絶対に避けなければならないということだ。「SSJ」のシリア・プロジェクト・マネージャーのスラージュさんが強く訴えたように「私たちシリア人は震災で食糧やテントなどの物資が必要だから政府に物乞いをしてお情けを施してほしいからという理由で12年前から「革命」を起こしたわけではない。私たちシリア人、一人一人が『人間として受ける当たり前の基本的人権の保障』つまり、「シリア人として生きることを諦めたくないから」人道支援のために武器を取らないやり方で闘ってきた使命を矮小化して欲しくない」という彼らの芯からの訴えこそを防災民生支援基準のトップ・プライオリティーにすべきではないか。スラージュさんを始めとする志あるシリア人の方は「アサドに魂を売り渡したくない」と思っている。今回の震災においても海外からの緊急援助は全て「アサド」を通じて受け取られ、以前シリア憲法を改正した時にも無意味だったように、国際緊急援助資金は全てアサド一族のポケットマネーに入ることになっている。

 誰のための支援をするのか?最も多くのシリア民間人を殺戮している周知のアサド行政防災支援などは断じて許さず、民生防災支援こそを日本は掲げるべきである。

<結び>「A-PAD」10周年「人道・災害対応モデルをアジアへ」主導する日本に注目集まる

 2023年2月28日には「アジア・パシフィック・アライアンス(A-PAD:Asia Pacific Alliance for Disaster Management)」が「A-PAD 10年周年記念フォーラム」を主催する。震災大国としての島国・日本が「アジア太平洋地域」のNGO・企業・政府などが国や組織を超えて連携する日本発のプラットフォームとして活動してきた実績を提げ、A-PADが「日本の官民連携の人道・災害対応モデルをアジアへ」と題してフォーラムを行う。主催者側は「トルコ緊急支援の報告」も一部に予定している。国際防災をイニシアチブしている日本の動向にも、改めて注目が集まっている。

tomokihidachi

2003年、日芸文芸学科卒業。マガジンハウス「ダ・カーポ」編集部フリー契約ライター。編プロで書籍の編集職にも関わり、Devex.Japan、「国際開発ジャーナル」で記事を発表。本に関するWEBニュースサイト「ビーカイブ」から本格的にジャーナリズムの実績を積む。この他、TBS報道局CGルーム提携企業や(株)共同テレビジョン映像取材部に勤務した。個人で新潟中越大震災取材や3.11の2週間後にボランティアとして福島に現地入り。現在は市民ライター(種々雑多な副業と兼業)として執筆しながら21年目の闘病中。(株)「ログミー」編集部やクラウドソーシング系のフリー単発案件、NPO地域精神保健機構COMHBOで「コンボライター」の実績もある。(財)日本国際問題研究所「軍縮・科学技術センター」令和元年「軍縮・不拡散」合宿講座認定証取得。目下プログラミングの研修を控え体調調整しながら多くの案件にアプライ中。時代を鋭く抉る社会派作家志望!無数の不採用通知に負けず職業を選ばず様々な仕事をこなしながら書き続け、35年かけプロの作家になったノリーンエアズを敬愛。

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