地域で生きるということ、仕事がなくなっても生きていく道

  by 吉田亭  Tags :  

拙くも、地域振興のお手伝いを少しながらしています。
知り合いのいる自治体に企画を提案する。プロジェクトが立ち上がって、そこから担当者がどうにか調査費の予算を持ってくる。何件かありますので、企画がスムーズにいくかどうかはわかりませんが、だいたい調査費までで停滞してしまうことが多いのが皮膚感覚としてあります。
これを戦略経営を専門にしているビジネススクールの教授に精査をお願いしたことがありました。その際に言われたことは二つ。
ひとつめは、企画立ち上げまではよくあるパターン。
ふたつめは、これを持続可能に、広く深くしていくのはエンドユーザーをどう取り込むかに関わるかが課題。
自分なりに成功例を敷衍してみることに。
主に、ネット、リアル、TVを考えながら、どのように地域振興および活性化につながるかと考えました。
SNSをはじめ、ブログ、ツイッター、動画サイト。ユーザーなしでは番組自体成り立たない。しかも、大手WEBサービス企業はCMも打ち好調のように一見思える。ただし、いまだPRの部分でTVに依存していることは否めない。
この流れが、リアルの世界。もっと言えば、デバイスを通じてネットの世界へ。ではなく、個人の生活圏内に点在していたら、それは面白いでしょう。さらに身近にゆるやかなネットワークが在ることで個人的に安心感が生まれはしないだろうか。
こういったことを具体案としてプレゼンテーションすることで、実際に地域ブランドをつくっている例がある。
たとえば、高円寺の阿波おどりや北海道のYOSAKOIソーラン祭りは、全国からだけでなく、海外の方も観覧しに来る。そして、なにより、この祭りに参加するにあたって、1年間準備するという、ひとつのネットワークに参加する。もしかしたら、そこには祭りだけではない、さまざまなコミュニケーションが日々生まれてくる可能性はあるでしょう。
または、甲子園も然り。注目の学校、注目の選手、そして応援団。甲子園の夏の名物として「かち割氷」がある。そして、甲子園ブランドは、漫画の「タッチ」を生みだし、プロ野球で活躍するさまざまな選手を生み出しました。甲子園がその独特の異彩を放っているのは、砂を持ち帰る選手がいるということ。ある意味、聖地のような場所となっている。
そして1年間の総決算としてひとつのストーリーをつくりあげる。
いいともは若干意識されないながらも、視聴者参加型の番組づくりという体裁になっている。テレホンショッキングでの、タモリさんと観客者のやりとり。レギュラー陣、ゲストと観客者のやりとり。「おーっ!」は芸能人としての人気のバロメーター的な掛け声。「え~っ!」はその逆ということになります。
結局、例を挙げながら成功例で感じたこと、あるいは考えたことは、人間関係の摩擦。摩擦係数の度合いがキーポイントになるのではないかと個人的な結論に至りました。コミュニケーションを交流と言い換えるならば、その逆は直流。TVの視聴率の衰退はこの直流に当てはまるのではないか。ネットサービスで時折ニュースに出る○○疲れというものは、逆に言えば、交流を求めたがゆえの疲れであり、至極当然の疲れとも言えますし、むしろ良い傾向にあると思えます。
単に地域を“自治体という行政がある地域”に定義しているわけではありません。
人はなにがしかのネットワークあるいは共同体、コミュニティに定義されて考え、発言し、行動せざるをえないという不可避な存在であるとも言えます。
上記から地域で楽しく生きていくこととは、疲れも含めて、リスクテイクを“みんな”で負っていくこと。主語を“わたし”ではなく、“みんな”というリスクテイクとリスクヘッジを包含する道筋を製作すること。
そのような界隈を土台にすることがまずもって必要なのではなかろうか。
 

イベント関連のマーケティング、食文化、街探訪、地方自治を生涯専門に。 腰をすえ、長く専門とともに成長できること。

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