皆さんは、何かコンプレックスをお持ちだろうか。
今時、コンプレックスを何も持っていない人のほうが珍しいかもしれない。
学歴、仕事、容姿、恋愛……。現代人はいつもいろんな事に悩み、劣等感を抱えて生きている。
だが実は、その存在を明確に認識し、「私は◯◯に対してコンプレックスを感じている」と客観的に語れる場合は、必ずしもコンプレックスとは呼ばないのだ。
「コンプレックス」はもともと心理学の用語なのだが、その本来の意味は、単なる「劣等感」とはちょっと違う。
普段はあまり意識されることはなく、それでいて無意識のうちに行動に影響を与えてしまうようなもの。それがコンプレックスだ。だから、何かに対して劣等感を感じていても、それを客観的に認識できており、きちんと向き合えているのなら、それはコンプレックスとは呼ばない。
では、無意識のうちに行動に影響を与えてしまうとは、具体的にどういうことだろうか。
私たちは、自分の意思で行動を選んでいる、自分の行動は全て自分でコントロールしていると、思い込んでいる。
だがそれは違う。私たちの自我や主体性というのは、とても弱いものなのだ。無意識というものに、非常に大きな影響を受けている。
貴方は、普段は冷静で論理的な話し方をする人が、特定の話題になると急に落ち着きを失い、不自然なほどに多弁になったり攻撃的になったりしているのを、見たことがないだろうか。あるいは、貴方自身がそうなってしまったことは、ないだろうか。
これはまさに、無意識という領域に潜むコンプレックスによって、その人の言動が影響を受けてしまっている状態だ。
やたらと独身者を見下す既婚女性、特定の職業や学歴の人を論理的な理由もなく罵倒する人、自分は触れたこともないのに何か特定の趣味や価値観を過剰に攻撃する人、事あるごとに自分の業績や貢献をアピールしなくては気が済まない人……。
これらの振る舞いは、周囲の人間にとっては不快であったり滑稽であったりするのだが、本人はそれに気付いていないことが多い。あるいは、薄々気付いてはいても、なかなかやめることが出来ない。
このような言動の背景には、コンプレックスがある。普段は無意識の領域でじっとしているコンプレックスが、特定の話題やシチュエーションによって刺激され、自我を狂わせ、言動に影響を与える。
程度の差こそあるが、このような傾向は誰だって持っている。
コンプレックスを抱えているから、それに振り回されてしまうからといって、あまり気に病む必要はない。
しかし、負の側面を持っているのも、やはり事実だ。人間関係に悪い影響を与えてしまうことがあるだろうし、狭い価値観や考え方に固執し、人生の可能性を狭めてしまうこともあるだろう。
コンプレックスが強くなりすぎると、恐怖症や強迫観念、ノイローゼなどを引き起こすこともある。
例えば私の場合、17歳ぐらいのときに対人恐怖症になり、外に出れなくなってしまった。
「外に出るのなんて大した問題ではない」「誰も私のことなんて気にしてないのだから、堂々としてればいい」。頭ではそう思っていても、理性ではなく無意識が、外に出ることや人と接することを拒み、上手く動けなくなってしまった。
では、どのようにコンプレックスと向きあえばいいのだろうか。
コンプレックスを乗り越える術は、あるのだろうか。
「◯◯をすれば上手く」といったマニュアル的な解答は、恐らく存在しない。
状況は様々であり、各人がそれぞれに試行錯誤していくしかない。
ただ、ひとつ言えるのは、コンプレックスを「倒そう」「消そう」と考えていては上手くいかない、ということだ。それは決して倒せるようなものではないし、消せるものでもない。コンプレックスを否定しようと意識すればするほど、深みにはまり、抜け出せなくなるだろう。
コンプレックスの原因となっているものを、否定するのではなく、引き受ける。その存在を認めて、受け入れる。
そこからしか、道は開けない。
先ほどの私の例で言えば、自分が対人恐怖症であることを認めて受け入れることが、第一歩になる。
人と上手く関われない自分、何も話せずにオドオドしてしまう自分、社会経験が不足しているがゆえに極端に世間知らずの自分……。
そんな自分を、まずは自分自身が、受け入れてあげる。
それをせず、そんな事はないんだと無理して自分を強く見せようとしたり、誤魔化そうとしたりすると、かえってややこしくなる。病理は深くなる。
自分の弱い部分、嫌いな部分、劣等感を抱えている部分。
そういったものを認め、受け入れるのは、とても困難な作業だ。
簡単には認められないからこそ、コンプレックスになってしまっているとも言える。
コンプレックスを受け入れる作業には、強烈な痛みや悲しみが伴い、それは「死」に喩えられることもあるほどだ。
時として、自分の無能さ、未熟さ、醜さに、打ちのめされることもあるだろう。
だが、自分の劣っている部分を、隠すべきもの、恥ずべきものとしてではなく、かけがえのない自分の一部分として、受け入れ、愛することが出来たのなら。その時はきっと、これまでにない解放感と、心地のよい安心感を、得られているはずだ。
「コンプレックスを拒否したり、回避したりすることなく、それとの対決を通じて、死と再生の体験をし、自我の力をだんだんと強めてゆくことが自己実現の過程なのである」(河合隼雄『コンプレックス』岩波新書)。
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