仁和三年のジャック・ザ・リッパー

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■ 霧深き、倫敦(ろんどん)のお話 ■

ジャック・ザ・リッパー。

現代的な猟奇殺人、劇場型犯罪というものの元祖とも呼ばれる謎の人物のことを、みなさんもご存知のことだろう。1888年、少なくとも五人の女性を主に公共の場で殺害し、そのうち三件では被害者の遺体から内臓の一部を摘出するというおぞましい行為に手を染めた、殺人者。それだけでも充分衝撃的だが、ジャックはそれに留まることはなかった。傲慢極まる犯行予告文を新聞社に送りつけ、警察と世間を徹底的に嘲笑し、そのまま闇に消えた。

いまだにこの人物が何者なのか、明らかにはなっていない。多くの論者が様々な説を唱え、それは120年以上が経過した今でも変わることはない。年齢、職業、動機、精神状態、性別すら、語る者によって変わる。その影響力もいまだ甚大だ。同様の事件が起こるたびに、それが何処で起きた事件であっても、あの倫敦(ろんどん)の濃霧の中へと人々の想像力は飛躍し、顔の見えないジャックのことを思うだろう。そして切り裂きジャックは今も、“後輩”たちにその名を貸しているのだ。

■ 謎多き、平安京のお話 ■

切り裂きジャックはまさに猟奇殺人者の始祖であり、王だ。しかし彼に遡ること1000年、仁和三年の日本に、彼の“先輩”がいた、と言ったらみなさんはどう思うだろうか。

これから、日本の“史実”の中に登場する殺人者、“仁和三年のジャック・ザ・リッパー”について、お話しようと思う。ご拝聴いただきたく……

『日本三代実録』という書物がある。編年体、漢文。当時の史書である。この中に、仁和三年(西暦887年)の出来事として、ある奇っ怪な話が載せられている。場所は平安京、つまり当時の首都だ。深夜、美女が三人歩いていた。そこに松の木の下から美男子が声をかけた。女性のうち一人が誘われるまま、男の手を取り、木の下で話をはじめた。しばらくして、声が聞こえなくなった。気になって木の下に行ってみると、男女の姿はなかった。

……そして女の手と足だけが、そこに落ちていた。

通報を受けた役人たちが駆けつけて探したが、被害者のカラダが見つかることはなかった。

人々はこの凶事を鬼の仕業だと噂(うわさ)したという。しかし、皆さんお気づきのとおり、これこそ私が語ろうとしている“仁和三年のジャック・ザ・リッパー”の凶行に関する歴史的報告だ。

同じ話を題材にして『扶桑略記』および『今昔物語集』にも話が載せられているが、『扶桑略記』は『日本三代実録』からの転載と言える同内容の文章であり、『今昔物語集』は逆に内容にかなり異同があるものの事件の起こった仁和三年から最低でも200年以上が経過して成立した書物なので、事実に即しているとは断定しがたい面がある。だからここから先の話は『日本三代実録』のみをベースにして進めてゆきたい。

■ 二つの“事件”の関連性 ― “犯人”と社会それぞれの ― ■

1888年の倫敦(ろんどん)と、887年の平安京、場所も時間もまったく違えど、不思議と二つの事件には関連性がある。

まず被害者は女性で、残酷にも“解体”されていること。犯罪が夜闇に紛れて行われていること。“犯人”のことを平安京の人々は鬼だと噂(うわさ)したが、ジャックも当時の倫敦(ろんどん)では幽霊もしくは悪魔のような怪物として想像されることが多かったこと。双方の被害者が“犯人”を警戒した様子がないこと。そして双方とも目撃者が皆無なわけではないのに、結局、その正体が不明なままであること。

特に、夜に女性に声をかけて、警戒されるどころかむしろ歓迎されていることを考えると、犯人は女性から好感をもたれる、もしくは少なくとも警戒心を抱かれない人物だったのだろう。平安京の殺人者のほうは容姿端麗な男性と明記されているが、切り裂きジャックもそうだったのだろうか? いずれにせよ、殺害の意図があるのを最後の瞬間まで隠しきったのだから、容姿のみならず、話術、好人物に見せかける演技力、そしてなにより胆力に優れていたのだろう。

そして異常だった。……そう、とことん異常だった。

しかし異常さは、不幸なことに、殺人者たちだけの共通点なのではなく、ふたつの事件が起こったそれぞれの社会においても共有されていたのだ。

1888年のイギリスは、ヴィクトリア女王の治世、いわゆヴィクトリア朝の末期であり、産業革命によるイギリス帝国の成熟が終わりつつある時期だった。革命の負の側面が徐々に重くのしかかりつつあるタイミングであり、産業を底から支えていたにもかかわらず依然として貧困を強いられていた労働者たちの不満や、階級、人種に関する差別意識、また被差別側からの反発も次第にクローズアップされてきていた時代だった。植民地での反乱も頻発し、世相は乱れ、切り裂きジャックほどセンセーショナルなものではないにせよ、多くの猟奇的な事件が起こっていた。またアメリカやドイツなどの技術力・工業力が大きくなり、イギリスの独走態勢は崩れつつあった。

887年の日本は、多くの災害に襲われていた。仁和地震と呼ばれる大規模な地震(推定でマグニチュード8強)があり、家屋の倒壊、津波などで多くの死者を出した。また、飢饉(ききん)、大雨、台風などが頻発し、日本中が苦難に喘(あえ)いでいた。都では、天皇家と藤原氏との間に生じていた緊張状態から、不毛な政治的混乱が続いていた。そしてついに、阿衡事件(あこうじけん)と呼ばれる政争の結果、当時の日本の実権が天皇家ではなく藤原氏に独占されていることが、世間にも知れ渡っていく。そのような状況で人々は戸惑い、無責任な噂(うわさ)や悪質なデマに踊らされ、不安に苛まされていた。

社会の闇は人々の心に影を落とし、その影の中に、まるで悪夢のように殺人鬼が蠢(うごめ)く。

■ 二つの“事件”が投げかける課題 ■

1120年前の日本、120年前のイギリス、その社会は闇の中にあった……では、今の日本はどうであろうか。仁和三年のジャック・ザ・リッパー、私達はこの殺人鬼の誕生から何を学び、そして何を忌避すべきなのであろうか。

※ 画像はパブリック・ドメインです。

演劇ユニットで脚本、個人的に小説、mixiなどでニュースに関する日記など、執筆活動を続けてきました。場所によっては多少乱暴な文章も書いていますが、時と場合に応じて文章のテンションを変える曲者です。 関心のある分野、得意分野は、文学(国内は純文学、海外は純文学とジャンル文学双方)、洋楽、映画(特にアクションやホラー)、格闘技、あとは当然ですが舞台関係、特に小劇場のジャンルには詳しいほうだと思います。お笑いも好きでよく見ます。英語は読み書きと日常会話くらいはできます。民俗学、神話なども多少マニアックな領域に入り込んでいます。

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