何の因果か……初めての時とは大きく変わった彼の心境
京への引っ越しを直前に控える中、突然に死んだ浮舟。しかしどうにも不審な点が……。疑問を感じた匂宮は真相を確かめるべく、浮舟の女房だった侍従を呼び話を聞きます。それに遅れて、薫は自身で宇治へと向かいました。
もう幾度となく通った宇治への道。(はじめ、僕は八の宮様に仏の教えを請うために宇治へと行っていた。ところがそこで大君と出会い、彼女を好きになった……。
しかし大君は亡くなり、中の君は匂宮の妻となり、そしてついには浮舟までも……。結局、僕は三姉妹の誰とも一緒になれず、幸せになれなかった。僕とこの一家の間には、どういった因縁があるのだろう? これが、当初の志を違え、清い心を忘れてしまった僕への、御仏の戒めなのだろうか?)
宇治へつくと薫は山荘へは上がらず、牛車の榻(しじ・牛を引っ掛けるバーを置く台)を椅子代わりにし、右近を戸口の前へ呼び出します。誰かが死んだ時、その場所も立ち会った者も死穢に触れると当時の人は考え、穢れの期間が終わるまでは、その家に上がったり、直接会って話すことはNGでした。
右近は、薫が来たらああ言おう、こう言おうと算段していたのですが、いざとなるとその言葉もどこへやら。(嘘をついてもいずれ本当のことはバレてしまうわ。下手にごまかして後で辻褄が合わなくなるよりは、ここは正直に)と、浮舟の苦悩からの入水自殺を語ります。
ついに明かされた真相……後悔と悲しみの入り交じる帰路
薫は思いがけぬことに二の句も継げませんが、やはりにわかには信じがたい。(あのおとなしい浮舟がそんな大胆なことを? 密かに宮を選んでついていったことを、女房たちが取り繕ってこういうのではないのか。
でも、二条院での宮の嘆きようは演技とは到底思えなかった。それに、この山荘のものたちも嘘くさいところは見られない。浮舟のことを心から悲しんでいるようだし……)。
「浮舟とともに姿を消した者はいないのか。僕は身分柄、自由に動き回れない。だから彼女を迎えて末永く幸せにしていたいと思ってもなかなかすんなりとはいかなかった。それを冷たいと感じて、誰かに心を動かしたんじゃないのか?
……匂宮のことだよ。今更こんな事は言いたくないと思っていたが、今、ここには僕しかいない。一体何があったのか、隠さずに具体的なことを話してくれ」。
右近は来るべきものが来た! と思い、しばしためらったあとこう説明します。
二条院の中の君に会いに行った際、匂宮に見つかってしまったが事なきを得たこと。その一件がショックで三条の隠れ家に籠もっていたこと。その後は何の音沙汰もなかったが、この2月から急に宮から手紙が来るようになり、無視していたが、恐れ多いので2、3回は返事を書くよう勧めたこと。「でも、本当にそれだけでございます。後のことは何も存じません」。
「もうご存知のことかと思いますが、浮舟さまは薄幸のご境涯でした。もともと大変内気なご性格で、はっきりとお心を示されることの少ないお方でしたが、常にそのことで悩んでいらっしゃいました。
でもこうして殿とのご縁ができてからは、いつも殿のおいでになる日を楽しみに、そして京へお移りになる日を心待ちにしていらっしゃいました。お母君はじめ、私どももついにこれでお幸せになられると、一同喜び勇んでおりましたのに……」。
薫は(右近の立場ならそう言うしかないだろう、これ以上聞いても気の毒だ)。でも彼女が浮舟を必死でかばうほどに、宮との関係が揺るぎないものになってしまうのも皮肉です。
(浮舟は宮にも心を動かしたようだが、僕のこともいい加減には思っておらず、その板挟みに悩み苦しんで、死ぬしかないと思いつめたのだろう。ああ、こんな大きな川が近くになければ、そんな事は思いつかなかったかもしれないのに!
思えば中の君と、浮舟のことを”人形(ひとがた)”などと呼び合っていたのも不吉なことだった。穢れを祓って川に流し捨てる人形と、彼女はまったく同じ運命をたどってしまったではないか。
とにかくすべては僕の至らなさが招いたこと。今となってはこの宇治川も、宇治の里も、言葉通りの”憂し”としか思えない……)。
当初、京の生活に空虚さを覚えていた薫にとって、宇治は自分を開放してくれる場所でした。八の宮は敬愛する師であり、心の中の父であり、彼の娘たちは薫の心の拠り所だったのです。……でも今や、薫はもう二度とここへ来るのも嫌でした。
「我もまたうきふる里をあれはてば たれ宿り木のかげをしのばむ」。僕もまたこの宇治の里を去っていったら、誰がこの荒れ果てた宿を思うだろう。薫は阿闍梨に法要を頼み、弁の尼にも声をかけますが、弁は「私自身が不吉な存在と思われて」と出てこようとしないので、そのまま帰ります。
もし浮舟がいたら暗くなって帰るなどということはなかったはず。次第に遠のく川音を聞きながら、薫は(いま彼女の亡骸はどこを漂っているのだろう。もう水底の貝などに混じって、跡形もないのだろうか……)。
今までは匂宮を見返ったと思うと悲しむ気持ちも失せたものですが、こうして右近の話を聞いた後は、浮舟への愛しさがこみ上げてきていたたまれません。薫は涙を流しながら、事情も知らずにすぐに遺体を探してやらなかったことを後悔するのでした。
「ちょっと余計だね」新たに出来た親戚づきあいに困惑
詳しい経緯を聞いた薫は、浮舟の母・中将の君のことを思いやって手紙を出しました。当初はすぐに葬儀を出してしまったのを、彼女の軽率な判断と非難する気持ちが強かったのですが、事情を知った今は「僕のせいで大事な娘を死なせてしまったわけだし、お母さんも僕をよく思っていないかもしれない」と、反省する気持ちになったためでした。
浮舟の母は、例の少将と結婚した下の娘のお産に気をもんでいましたが、浮舟の死の穢れがあるために立ち会うことも出来ず、一人あの三条の隠れ家にいた所でした。茫然自失していた彼女は突然のことに驚き恐縮し、喜ぶ一方でまた悲しくも思いました。
「姫君を末永く大切にするつもりでいたのに、その誠意を見せられなかったのは残念です。代わりと言ってはなんですが、あなたのご子息の今後の力になりたく思います。将来、出仕なさる時はぜひ後援をさせて下さい」。
本来なら慎まねばならないところですが、母君は強いて「この場所に大した穢れはありませんから」と使者を入れ、感謝の返事に贈り物までつけてお返ししました。当時の紳士のおしゃれアイテム、石帯(せきたい(ベルト)で、飾りの部分がサイ(牛)の角で出来ている、ちょっとした品です。
「故人の志ということでお預かりして参りました」と使者が言うと、薫は「それはちょっと余計だったね」と困惑気味。あちらにとってはありがたいご縁でも、薫からすると格下の身分の低い縁者が出来てしまったわけで、それ事態は悪いことではないかもしれないが、あんまり仲良くするのもどうかなあという所です。ああ、格差社会。
でも薫は「まあいいや。それで娘を亡くした親心が慰められるのなら。彼女の弟たちも、できるだけ世話をしてあげよう」と思うのでした。
コンプレックスむき出し!急に態度を変えた田舎者の夫
しばらくして、夫の常陸介がドカドカとやってきました。「娘のお産が大変だってのに、なしてこんな所にいるっぺさ!」
母君は浮舟が薫のもとに引き取られた後、何もかも(自慢がてら)知らせようと思っていたのですが、今となってはそれも空しいだけ。すべてを夫に打ち明け、薫の手紙も見せました。
田舎コンプレックスの強い常陸介は、薫の名前を聞いただけでびっくり仰天。ワナワナしながら繰り返し薫の手紙を読んでは恐縮しきりです。
「わすも薫の大将さまの家来の一人だども、近くで拝見したことなど一度もねえ。なんつってもご立派で恐れ多い方なんだ。その大将さまに愛されたってのは、えれえ幸運の方だっぺ。だども、残念なことだったべな……。そんでも、大将さまがわすの子らを目にかけて下さるっつーのは、ありがてえこった」。
継子の浮舟に冷淡だった常陸介も、こうなると死んだ彼女があわれに思え、夫婦は共に泣くのでした。このオジさんも悪い人じゃないんですね。そして薫は本当に雲の上の存在、ちょっとやそっとのことでは話すことも出来ないような超セレブだということがよくわかります。
とはいえ、浮舟が無事でいたなら、薫はそのきょうだいに目をかけるつもりはなかったのです。あくまでもこれは彼なりの罪滅ぼし。薫の思惑はともかくとして、ふたりは子供の将来に希望を持ったのでした。
「いったい誰?」参列者も首を傾げる四十九日の舞台裏
そのうちに、四十九日の法要が宇治の阿闍梨の寺でしめやかに営まれました。まだ浮舟がどこかにいるのではないかという疑いはあるものの(死んでいても生きていても)仏様の供養をするのは善いことだし、ということで行われます。
浮舟の存在は極秘にされていたので、集まった人々は「いったいどういう方のために、このような立派な法要を行うのだろう」と不思議に思いました。彼らには、なぜか常陸介が主人顔で進行を取り仕切っているのも謎でした。
ちなみに常陸介は、生まれたばかりの初孫のお祝いを豪勢にやろうと気合を入れていたのですが、相変わらずセンスが無いために大量に集めた豪華なアイテムを使いこなせず、四苦八苦。それに比べるとこの法要は密やかなものでしたが実に洗練されており、(やっぱし、生まれ持っての違いっつうのはあるんだべな……)。
中の君からもお布施があり、匂宮は右近あてに白銀の壺に黄金を詰めて贈りました。関係上おおっぴらには出来ないためですが、これもまた事情を知らない人たちの憶測を呼ぶことになりました。一介の女房が出せるようなものじゃないですもんね。
このことは帝のお耳にも入り(薫も女二の宮への遠慮から、宇治に愛人を置いていたのだろう。かわいそうに……)。帝も、過去に女二の宮の母女御を愛しながらも、明石中宮の手前、冷遇せざるを得なかった後悔を思われたのかもしれません。
こうして時は過ぎ、ふたりの貴公子は浮舟の死を悲しみながらも、匂宮は次第に浮気歩きを再開。薫は浮舟の弟らを身近で世話する日々が始まります。しかしどちらも、浮舟を死なせた喪失感からは抜け出せないままでした。
簡単なあらすじや相関図はこちらのサイトが参考になります。
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