粋な風を追いかけて… イタリア『ナポリ』ひとり旅

その憧れの遥か地へ

ローマから南へ約200km。イタリア第三の街、地中海に寄り添う『ナポリ』は、もうそこまで迫っていた。

2009年に開業したイタリアの高速鉄道『.italo(イタロ)』は、その身を紅く纏いイタリアを北から南まで縦断する。僕は2014年のある日、友人達と訪れていたローマの街をひとり抜け出し、イタリアに吹く新たな情熱に乗り込んだ。差し詰め、イタロで行ったろー!というところだ。

駆け出した窓に観入れば、それは幼い頃からずっと見てきた、某車窓ミニ枠番組の世界そのものだった。緩やかに波打つ大地は、生まれ育った遥か東の国とは違う草模様を描いている。

さぁ、あの憧れの街までもうすぐだ。

粋な街の息遣い

辿り着いたのは、ナポリのターミナル、ナポリ中央駅。

行き交う人波に、ローマとは違う歩幅を感じた。どこかゆったりとした空気感に、何となく気分が高鳴る。心なしか雨が降っているのはご愛嬌。初めての国。初めての駅。いよいよ日本語なんて通じない世界に、どうやら東洋人は僕ひとり。こんなエキサイティングな冒険、楽しくない訳ない。

地下鉄駅員のおじ様は優しかった。何言ってるかさっぱり分からなかったけど、粋だった。行きの切符を買えた。ローマとは違い空いている地下鉄の車内も、降り立った駅の階段にそびえるアートなやつも、石畳に注ぐ雨音も、街ゆく紳士の赤い傘も、全ては粋な息遣いに感じられた。

スパッカナポリ!

そうして辿り着いたのは、ナポリの旧市街『スパッカナポリ』だ。この場所に、小学校の頃から憧れていた “アレ” がある。街並みを愛でながら、歩き進める事にしよう。雨はいつしか止んでいた。

“スパッカ”とは、“真っ二つに割った”という意味。通りが街を二分するように貫く模様から、スパッカナポリと呼ばれるようになったのだとか。紀元前から存在するという世界文化遺産のこの街で、気付けば通りの空へ向かい今だとばかりに洗濯物が干されている。やはり粋な息遣いだ。

それにしても雨に濡れた石畳を歩いていると、スパッカと滑りそうになる。え?もう滑ってるって?

そこは〇〇の故郷

ときに僕の大好きなピッツァ(ピザではなくピッツァと綴ってしまうのは、ナポリの風のいたずらという事で…)の歴史を紐解くとその原始こそ諸説あるが、現代におけるピッツァという名前のそれが誕生したのは、ここナポリと言ってほぼ間違いないだろう。いくつかの文献を読み漁ったが、その全ての物語はナポリに通じていた。

16世紀後半から17世紀頃にイタリア南部で栽培されるようになったトマト。それに続くようにナポリ近郊で誕生したモッツアレラチーズ。この街にやってきたそれらを、伸ばしたパン生地に散りばめたのが、今日のピッツァの始まりだという。

そして19世紀後半。当時ナポリで有名だったピッツァ職人であるラファエレ=エスポジトが、ナポリを訪れた当時のイタリア王妃・マルゲリータに2種のピッツァを献上したらしい。そして、そのうちの一つ、トマトソースにモッツアレラチーズとバジルを施したピッツァを、王妃は大層気に入ったそうな。そう、これこそが今日『マルゲリータ』と呼ばれ、世界中で愛されているそれだ。その名は、時の王妃を記念し刻まれたものだったのである。

…と、しばしばご存知の方もいるであろう知識を語るのはこの辺にして。つまり僕は、本場のピッツァ・マルゲリータを味わいたくて、この地にやってきたのだ!

まぁ他にも目的はあったような気がするが、それは後という事で。

今はピッツァだ!!

まるまるマルゲリータ!

スパッカナポリを北へと歩けば、幼い頃テレビで見たような、立ち食い用のハイテーブルを通りへと並べるオープンでカジュアルなピッツェリアが姿を現した。

「ピッツァ マルグェリィータぁ ウーノぉ!」

その注文は、多分通じていた。僕はついに本場のマルゲリータを手にしたのだ。日本でよく食べていたものよりもやや小ぶりなそれは、紙に包まれ手渡してカウンターの向こうからやってきた。

ナポリではこうしたスタイルのピッツァが、ひとりランチや食べ歩き自由人の舌を魅了しているらしい。まったく、いちいち小粋でどこか鼻につく。いや、鼻についたのはトマトソースだった。

はー、香りも鮮やかなBuono!!

ナポリを見てから…

ついに幼い頃からの夢を頬張った僕は、もう死んでも良いのかもしれない。

“ナポリを見てから死ね”

どこかで聞いたそんな言葉が脳裏に浮かぶも、しかし、またふと思う。僕はまだ、ナポリを味わっただけであり、あまり見てはいないのではないだろうか…

そう。ナポリといえば、世界三大夜景にも数えられる夜景の名所だ。これを見なければ、ナポリを見たとは言えないのかもしれない。昼下がりの僕は、まだ死ねなかった。

そうしてまた街を行く。気づけば、もう一つのナポリグルメ『スフォリアッテッラ』なんぞを片手にしている。これが最後の晩餐でも良いほど美味であったが、やっぱりまだお昼過ぎだった。

スージーが知っているもの

ローカルな列車に揺られトンネルを抜ければ、ナポリ郊外のメルジェリーナ駅へと到着する。

すっかり晴れ渡った街を駈け、丘を登る。浮き足立った旅路は、陽の高さも気にせずに、夜景の名所として名高いポジリポの丘へと辿り着いた。

丘の上の広場から地中海を望めば、陽気なナポリっ子たちは、まだ潮風と戯れている時間。しかし青空に輝くナポリの街も、それはそれは素晴らしい訳で。白壁の街並みに、紺碧の地中海。広場にはサッカーを楽しむ親子と、手を繋いだ恋人達。ナポリを見ている。僕はナポリを見ている。

そんな時間の中で、地元の学生2人組に声を掛けられた。見慣れない東洋人の姿を珍しく思ったのだろうか。お互いにカタコトの英語で話していると、そのうちに双方英語があまり得意ではない事を悟る。するとそこからなぜか会話は楽しくなった。言葉が通じていないのに話が盛り上がったのは、つまり心が通じていたという事だろうか。… とか言ってみる。

2人のうち1人は、スージーという名前だった。彼女が名乗った時、僕はスージーが “寿司” に聞こえ、「Sushi??」と言ったら、食べ物じゃないよ!と大笑いしていた。スマートフォンのマップに映し出された北京の位置を指差して、ここが東京?と聞いてきた彼女たちも、寿司は知っている。そこには、この地球を駆け巡る、遥かなるも確かな風の気配があった。

遠いけどどこかで繋がっている。2人と別れたころ暮れてきたナポリの空に、ふと東京の夕焼けを思い出せば、懐かしく甘酸っぱい心模様にトマトソースの香りが重なった。

終着点は、始まりの場所

まんまるのマルゲリータを赤ワインに沈めたような空が、ゆっくりと夜風に嗜まれていく。比喩もいよいよ酔いどれだ。そうしてしばらくすると、ついに憧れの輝きが目の前に広がり始めた。

一気に光を着替えるナポリの景。世界三大夜景のドレスコードは格式高い。その美しい姿に胸を撃ち抜かれたなら、僕は息をすることも忘れていた。だから僕は、このとき死んだのかもしれない。思えば、目の前に広がる光の海は、天国というやつだったのではないだろうか。

“ナポリを見てから死ね” というが、つまりはナポリを見たら死んでしまうのだ…。しかしそれではお話にならないので、そこで生き返ったという事にしておこう。

そう…

“ナポリの街は、人を生まれ変わらせるほど美しい”

…という事だ。

この世界は美しい。まぁ色々あるけど、どんなに難儀が諸々あっても、全てはこの美しい景色に繋がっているのだ。…そんな気づきを得たなら、その心地を “生まれ変わった” と表現しても良いように感じた。そういう事にしておけば、きっと人生楽しい。

その憧れの輝きは…

さて、そろそろ帰らないと、街に飲まれ感嘆に酔い潰れてしまう。丘を駆け下り、メルジェリーナ駅からタクシーに飛び乗る。流暢なナポリ語の運転士さんに、僕のたどたどしい「an-;k;~fs;*^#$…€!??」というイタリア語は通じなかった。それでも「Go! Station!!」と明るいナポリテイストな英語で、僕をきちんとナポリ中央駅へ運んでくれた。それどころか、メーターを早々に切って、運賃を大マケにマケてくれた。

思えば、みんな優しかった。ジーンズ屋のお姉さんも、靴屋のおじさんも、定価なんて知らないふりだ。Made in Italy の靴が、なんでこんなに安くなっちゃったのよ…。そういえば、靴屋のおじさんは、スリランカの生まれだと言っていた。ナポリっ子ばかりのこの街で、アジア生まれ2人。「僕たちはフロンティアだ!(笑)」なんて明るく語ってくれた、靴屋のおじさん。

“おじさんのお蔭で、今度はスリランカが憧れの地になりました。今度この靴を履いてスリランカを旅したいです。”

そして、ふと気づく。そうか。この街の輝きの由来は、この街の人の明るさだったのか…。人が街をつくる。そんな事に、今更改めて気づいた。

ナポリ中央駅から動き出す車窓に映った街灯りは更に憧れを増し、そっと手を振るように揺れている。さぁ、東京へ帰ろう。それで、帰ったなら… 少しだけ、そう少しだけかもしれないけど、あの街の灯火になれるように、ちょっと頑張ってみようと思ったんだ。

◆ 画像クレジット
1・4・5・10〜13・15・16枚目 – 筆者撮影
2枚目 – moonrise/stock.adobe.com
3・6〜9・14・17・18枚目 – Pixabay

追記

この度は、最後までご覧いただき、ありがとうございます。

何やら、いつにも増してキザでダジャレ満載の記事になってしまいました…。それはそうと、今回は少しだけ追記をつづりたいと思います。
 
ときに、ナポリは治安が悪いという事を、耳にした事がある方も多いと思います。そしてやはり、今もナポリには治安が悪いという側面があるものと思われます。ただ今回の旅の中では、幸い治安の悪さは全く感じなかったというのが正直なところです。とはいえ、外務省の安全対策基礎データでは、日本人観光客等犯罪被害が多い地域のひとつとしてナポリが挙げられており、残念ながら今回の経験だけでナポリの治安が良いと言う事は出来ません。それでも、行ってみないと分からない事というものは、あるのだなと思っている次第です。
 
先日、都内の西アジア料理店に行った際に、仕事で海外数十か所を転々とされていたという方と出会い、興味深い話を聴きました。それは、スリや置き引きというものは、会う人は良く会うし、会わない人は全く会わない… というもの。大切なのは、心構えであると。隙があると狙われるが、きちんと意識している人をわざわざ襲ってくる者はあまりいないとか。
 
現在、イタリア政府は犯罪組織の取り締まりの強化などを中心とした総合的な治安対策に取り組んでおり、イタリア国内の犯罪は少しづつながら減少傾向にあるといいます。この世界がより安全になることを願いつつも、旅をする際には、適切な情報に触れ、その地に即した心構えを持つ事。そしてなにより、訪れる場所への恭敬の念が大切なのだろうと、僕は思ったりしています。

宮沢信太朗

1992年1月7日生まれ。シンガーソングライターを一応の本業とするも、その活動は何処へやら…。現在は、舞台音響や映像制作などを行う。ブログが好評であった事から、2017年より一人旅のコラム等を中心にエッセイを書く事も始めた。なお執筆は非常にマイペース。2010年に音楽レーベルを設立。2012年度の日本作詩大賞新人賞入選。2015年3月に日本大学理工学部を卒業。同年4月より同大学と共同研究を開始。

ウェブサイト: https://www.7s-me.jp

Twitter: @Shintaro_Mysw