「この子は実父の喪中なのに」絢爛な祝宴の裏の苦悩
女三の宮の出家に続く柏木の死。世間を揺るがす大事件が立て続きましたが、その間にも月日は流れ、既に季節は春。宮の産んだ薫の五十日(いか)のお祝いになりました。色白のとても可愛い赤ちゃんで、生後50日の割には体も大きく、もうむにゃむにゃとおしゃべりもします。
宮にも子供にも冷淡な態度を取り続けた源氏ですが、彼女の出家後は毎日こちらを訪れ、かえって優しく接するようになっています。
さて、通常なら賑々しくお祝いすべきところですが、この子の場合、母親が出家しているという特別な事情があります。母宮が尼姿では縁起が悪いのでは、と心配する女房に、源氏は特に問題ないとして、宴席を設けさせます。
各方面から寄せられる豪華絢爛なお祝いの品、若い乳母たちや女房たちのきらびやかな衣装。贅を尽くした祝いの席で、事情を知らぬ人たちは無邪気におめでたいと喜んでいます。が、源氏はひとり「本当は、この子は実の父親の喪中なのに……」と、苦い気持ちになるのでした。
キラキラピカピカの会場に、尼姿で女三の宮が入ってきます。髪はおかっぱにせず、背中のあたりで切りそろえたロングヘア。パッと見の後ろ姿では、出家した人とも見えません。暗い墨染の法衣もしっくりこない彼女の横顔は、まさに美少女といった趣です。
宮は裾広がりになる髪の毛をうっとおしそうにしつつ、夫から顔を背けるようにして座りました。源氏は、この期に及んで宮への未練をとうとうと述べたてます。
「ああ、墨染とは。なんとも目の前が暗くなる色ですね。これからも一緒に暮らせると信じていますが、やはり悔しくてなりません。こんな風に捨てられたのも私の不徳の致すところでしょうが、なんとか取り返せないものだろうか……。
出家だって、本当は病気のせいじゃなく私が嫌になったからでしょう?そう思うとなんとも情けなくてね。せめて、あわれとだけでも思ってくださいよ」。
宮が「僧侶は、“もののあはれ”など弁えないもの。ましてや、あわれなどわからぬ私です」と突き返すと、源氏は意味深に「おやおや、“もののあはれ”がお分かりになったこともあったはずですよ」。と当てこすり、薫の方を見やります。嫌味ですね~!
哀れだけれど憎い……漢詩に込めた複雑な想い
源氏は今日の主役、薫を「かわいそうにね。パパはもうおじいちゃんだから、君の大きくなる姿を見られないな」と言いながら抱き上げます。抱っこされて、薫はニコニコです。
彼の顔は、どう見ても夕霧や冷泉院の赤ちゃんの頃には似ていません。しかしなんとも言えず上品で、不思議と人を引きつけるものがある。目元には既に貴公子らしさも備わり、やはり柏木に似たところがあるように思えます。
明石の女御(ちい姫)の産んだ皇子たちはお父様似で、いかにも高貴な血筋の子という感じはしますが、客観的に見て美男という顔ではありません。それに引き換え、薫の清らかな美しさは特別だと源氏は感じます。
生まれた時は疎ましく思った源氏も、日に日に可愛くなる赤ちゃんを憎むことはできません。なんとも可愛い子だと思うたび、本当の父親は、息子を抱くこともなく死んだのか……と思うと柏木が気の毒でたまらなくなります。
「あわれな男よ。あれほど優秀な若者が報われぬ恋に死ぬとは。なんと儚い人生だったか」。お祝いの席にもかかわらず、源氏は人知れず柏木のために涙を流します。
自分を裏切って宮と通じた柏木を憎み、心身を貫き通すほどの睨んだのも本当なら、こうして薫を抱くことなく死んだ彼を哀れだ、かわいそうだと思う気持ちもまた真実。自分の子でない子を可愛いと思う心も本当なら、大きくなれば実父に似てくるのが忌々しいと思うのも事実です。矛盾しているけど、どちらもリアルな感情ですね。
複雑な胸中を抱え、お祝いの席でひとり孤独に葛藤する源氏は、ある漢詩を吟唱します。
「五十八翁方有後 静思堪喜亦堪嗟……」唐代の詩人・白楽天が58歳にして子をもうけた喜びと嘆きの詩です。詩はそのあと「慎勿頑愚似汝爺」と続きます。
源氏は最後まで詠いませんが「汝は父に似ることなかれ、柏木のようになってはいけないよ」と、言いたかったのでしょう。父の心配をよそに、薫は無邪気な笑い声をあげています。
怒り、同情、悲しみ……真実を言えないもどかしさ
薫の出生の悲劇を思うにつけても、源氏は「この場にも、秘密を知っている女房がいるだろう。私をさぞかしバカにしているのだろうな。それも腹立たしいが、何より宮を軽蔑しているだろうと思うと、彼女が気の毒だ」と気を回します。
更に、長男の死に絶望している頭の中将夫婦に対して、「あちらは“どこかに忘れ形見でもいてくれたら”と嘆き暮らしているらしい。本当のことを知ったらどんなに喜ぶか」。しかし、口が裂けても「この子がお宅の孫ですよ」なんて言えません。
すでに孫を持つ源氏には、親友の気持ちが痛いほどわかります。「お前をこんなところに残して、実の祖父母に知らせることすらできない。本当に、柏木の大馬鹿者め」。源氏は返す返すも悔しく、涙をこらえきれません。やっぱり源氏って、柏木が好きだったんですねえ。
柏木の正当な子として生まれていれば、頭の中将家の跡取りになったであろう薫。しかし彼は准太上天皇と皇女の息子として、生きていくしかないのです。
優しくなったかと思いきや…当てこすりのイビリ復活
源氏の行き場のない感情はまた宮に向けられます。部屋にふたりきりになると、宮に近寄って「この子をどう思います。こんな可愛い子を捨ててよくもまあ出家できたものだ。ひどい人だ」と不意打ち。
更に「誰が世にか種は蒔まきしと人問はば いかが岩根の松は答へむ」。いったい誰が蒔いた種かと訊かれたら松(薫)はどう答えたものでしょうね、かわいそうなことだ、と当てこすりの和歌まで読みかけます。これももう、セクハラとかいうレベルじゃないですね。
宮は答えようもなく、顔を赤くしてその場に打つ伏してしまいました。当たり前ですね……。ちょっとは優しくなったかと思いきや、彼のイビリは完全に止んだわけではないようです。タチが悪いですね。
もとより深く考える人ではないが、平気でいられるはずはない。不幸な恋に破滅した男女を憐れみつつ、彼女が柏木を本当はどう思っていたのか、思いを巡らせるのでした。
痛みと苦しみの化学変化……彼女を劇的に変えた“罪と罰”
宮は柏木を、結局のところどう思っていたのでしょう。
非常に難しいところですが、最初はただただ不快にばかり思っていたはずなのに、出産直前には「あなたと一緒に死んで辛さを煙で比べてみたい。死におくれるものですか」とまで言っているあたり、相当大きな感情の変化があったことは確か。とはいえ、別に彼を愛していたというわけでもないでしょう。2人を結びつけた、辛い罪の共有と連帯感のようなもの。そこに生まれたのが世にも美しい薫という男の子です。
今まで誰に対しても大した感情を持ち得なかった彼女も、柏木の死には「かわいそう」と思っています。彼女がはじめて他人に対して共感的になった瞬間です。今までは、会話の仕方もわからないような人だったと思えばものすごい進歩です。そして、瀕死の状態で強い決断力も発揮し、ついには出家へと至ります。
何も知らなかった彼女を劇的に変えた柏木との関係、その苦しみと罪の意識の中で何が化学変化を起こしたのか。瀬戸内寂聴先生の『女人源氏物語』では、そのあたりの心のひだを官能的に描いています。彼との密会の中で何が罪であるかを思い知り、出家(死)への決意を固める経緯の生々しさ。そして一度たりとも自分を心から理解しようとしなかった夫・源氏に対し「私の心の底などどうしてお見せするものですか。決して。死んでも」と、強い抵抗を秘めた結びが圧巻です。
簡単なあらすじや相関図はこちらのサイトが参考になります。
3分で読む源氏物語 http://genji.choice8989.info/index.html
源氏物語の世界 再編集版 http://www.genji-monogatari.net/