10月5日から3か所で開演している舞台『MOTHERマザー~特攻の母 鳥濱トメ物語~』を取材した。
脚本・演出を藤森一郎氏が務め、主演の鳥濱トメ役を大林素子さんが務める。
鳥濱トメ(1902-1992)は、鹿児島の知覧で「富屋食堂」を営んでいた実在の人物。
食堂を開業し、その後に飛行場ができ陸軍指定食堂になったことにより特攻隊員が利用するようになる。憲兵隊の検閲を恐れて遺書を彼女に託す等、隊員の面倒をみた。
戦後、進駐軍が出入りするようになり特攻隊員と戦った米兵が出入りする事実に心の葛藤が。
本舞台は戦後すぐまでの物語だが、件の富屋食堂は知覧を訪ねてくる特攻隊員の遺族等の宿泊の便を図るため「富屋旅館」に改装して現在に至る。
食堂は記念館となり、旅館は現在でも彼女の御孫さんが経営している。
さて、公演前の全キャストによるフォトセッションをご覧いただいたところで、藤森氏と大林さんの囲み取材をノーカットでご覧いただこう。代表質問は報知新聞社。
■『MOTHERマザー~特攻の母 鳥濱トメ物語~』囲み取材
https://youtu.be/5swOry1rZWQ
続いて記者が行った大林素子さんへの個別取材の模様をノーカットでご覧いただく。
■『MOTHERマザー~特攻の母 鳥濱トメ物語~』個別取材
https://youtu.be/CCcGxZ0XCSc
舞台公式のあらすじは次の通り
大東亜戦争末期、戦況の悪化に伴い、日本軍は爆弾を抱えて体当たりをする「特別攻撃」を採用した。
鹿児島県知覧町にある航空基地からも、連日のように特攻隊が出撃していった。そんな中、特攻隊員たちが、出撃直前に連日、訪れる場所があった。軍指定食堂の「富屋食堂」である。食堂の経営者である鳥濱トメは、明るく気さくな人柄であった為、出撃していく若き特攻隊員たちの心 のよりどころとなっていた。隊員たちは、トメに自分の母親の姿を重ねていたのである。彼らは、残されたわずかな時間を富屋食堂で過ごし、よく飲み、よく歌い、夜更けまで語り合った。様々な思いを残 して出撃していく特攻隊員たち…トメはただ、彼らを見送ることしか出来なかった…
富屋食堂に集う 「特攻隊員」と、彼らに母のように慕われた「鳥濱トメ」の姿や心情を丁寧に描いた「MOTHERマザー ~特攻の母 鳥濱トメ物語~」がここに誕生!!
本舞台は藤森氏が囲み取材で語っている通り、イデオロギーの左右で作られた物語ではないと信じる。
もちろん誰もが戦争を望まないのは議論の余地はない。ただ、それがため大東亜戦争開戦の是非や特攻隊の是非を論じるための題材ではなく、事実としてこういうことがあり、こういう人物がいたということを心にとどめ、そこから自分自身で考えていく契機にしていけばいいのだろうと思う。
戦争には必ず相手(敵)があり、それぞれに言い分(大義名分)がある。どちらが正しいのかはどちらの側につくかによって変わり、結論を出すことはナンセンスだろう。もっとも、当時の常識としては戦勝国が敗戦国を軍事裁判で裁くということが正義であり、正しいことであったことは事実として押さえておく必要があるだろう。
物語の中では朝鮮人(当時朝鮮は日本に併合されており朝鮮人というのは朝鮮系日本人という意味で現在でいう朝鮮人とは意味が異なる)が特攻隊員として出撃する場面があり、主に日米間の戦争であっても、大日本帝国軍人として散った朝鮮人についても歴史の事実として触れられている。
舞台の最後は、幻想とも夢の中とも確定ができない抽象的な設定の中で、散っていった大日本帝国軍人と現在食堂に出入りしている米国軍人に手を引かれ食堂に入るトメの姿が象徴的なメッセージとして演じられている。
舞台のほとんどは涙あふれる物語で、新国立劇場はすすり泣きをこらえられない観客で一杯だった。
しかし、涙一辺倒ではなく爆笑できる演出もあるので、思わず笑いが出る救われる場面もある。
特筆すべき点は、舞台で使用されている「遺書」は特攻隊員が残した本物であるということである。
自分の命と引き換えに日本の将来(つまり私たちが生きる現在)を手に入れようとした軍人さんたちがいたのは事実であり、その上に今こうして原稿を書いている記者がいて、それを読んでくださる読者の皆様の生活があるのもまた事実なのである。来年以降も機会があればまた見たい。そんなオピニオンを持った観劇だった。
※写真及び動画はすべて記者撮影・収録
なお写真は記者がオフィシャルスチールを務めたので他で使用される可能性がある。