自主制作ポルノ映画・トラウマ映画劇場『朝子』(2005)

【自主制作ポルノ映画】自ら命を絶った人妻の堕落詩

2003年1月31日、豊島区南長崎二丁目のアパートで自殺してしまった
僕の彼女が、生前に話してた企画が、原案になってて、
ひとりの人妻が自殺するだけの、ただそれだけのシンプルな映画を
作りたい、と言っていた。
彼女の死後、友人だった女優の村井美波子さんに何気にその話を
したことから、この映画のスタートが始まった。
詳しくは村井さんのコメントを下に添付したので
読んでいただければと思う・・・。
そういった意味で、僕は雇われ監督みたい。
真の監督は村井さんかもしれない・・・。
まぁ、僕も若かったし、この映画の一番の動機が、
憧れていた村井さんがヌードOK!を頂いたことで、
ただ単純に村井さんの裸が見たい!
それも全裸が見たい!の一点だった。

それはもう監督の権限だから、ここで脱ごうと指示していたんだけど
いま振り返ってみれば、僕も共演者の一人として、
村井さんとセックスしてればよかったと、とても後悔している。
朝子の父親役でアル中の変態オヤジで登場しているが、
同じ変態なら村井さんと絡んでおっぱいくらい舐めたり
しておけばよかった。

当時はFILMからDVカメラの移行時期だったので、
カメラ操作も編集も手探り状態のてんやわんやだった。

★ストーリー
何不自由なく幸せに暮らしていた人妻、朝子。
ひょんな事から封印していたはずの過去のトラウマが目を覚まし、
妄想の世界に足を踏み入れる。
やがて混沌と自棄の中、何一つ報われないまま自らの命を絶つのだった。

★【暑くて長いあの夏の映画という記憶】(主演 村井美波子)
今思い返してみても、『朝子』の撮影は何かの熱に浮かされているような日々だった。
クランクインが5月、アップが10月だったと思うが、私にとっては熱く長い夏の記憶のように感じる。
数年ぶりに会った監督は、生涯を誓った女性の死という越え難い苦しみの渦中にあった。
目黒駅ビルののどかなカフェで、似つかわしくない内容の会話で向かい合いながら、監督は、私に新作の構想を語り、『また映画を撮れるようになるかわからんけど、いつか撮れるようになったら』と言った。
それに対して『いつかじゃなくて、今撮りましょう!』と言ったのは、
私であって私でない。何かに押されるようにして出た言葉だった。
撮影中もよく何かに守られているような気がしたものだった。
監督はストイックで、現場はいつも真剣だった。
助監督兼役者だった小澤発情君は、全裸で野外撮影中、降り出した雨にカットがかかった瞬間迷うことなく監督に走り寄り、自分の局部ではなくカメラを守った。
スタッフだけではなく、監督が役者たちの熱に、予定外のシーン増を余儀なくされることも多々あった。誰もが真摯で、本当に余計なもののない現場だった。
撮影は概ね天候に恵まれ、演出上効果的なタイミングでいつも雨は降った。
クライマックスの屈辱シーンでは、これ以上ないというタイミングで
大粒の雨が降り出し、役者の一人が『雨、降ってきた!』と叫ぶと同時に
みんなのテンションが狂気に舞った。
朝子にとって残酷なシーンにも関わらず、
私はその光景を美しいとすら感じた記憶がある。
張り詰めた緊張感のなか、土砂降りの雨に打たれカメラを回す監督とスタッフの元、出番を終えたエキストラの役者たちもが、誰も傘をささなかった。
主演 村井美波子

【自主制作ポルノ映画】自ら命を絶った人妻の堕落詩
●本編視聴サイト 北田直俊監督作品『朝子』

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