【小説レビュー】自分の中に毒を持て。著者岡本太郎

  by 9216sinkiro  Tags :  

 岡本太郎というと画家でもあり、彫刻もやり多彩な芸術家です。
 太郎は修行中パリで生活をしていましたが、後、戦争が勃発。兵隊として駆り出され日本に帰国します。戦争終戦後、太郎は『画家』もやっていましたが、『文章』の仕事の依頼がきて原稿を書き出します。
 これが、太郎の画家とは違った、もう一つの(言葉の芸術)を産みだします。
 
 ここで、『自分の中に毒を持て』の太郎の(言葉の芸術)作品を紹介します。
〈第三章。相手の中から引き出す自分それが愛〉
 太郎は人間だれしもが「孤独」を感じながら生きているとこの章では語っています。
 しかし、太郎は神話の中に隠されたか「キーワード」を見抜いていました。
 〈天地創造のとき、イザナギとイザナミという男女の神が出現した。二人はそれぞれ、「なりあまる」ところと「なりたらぬ」ところがあった。それで、宇宙の中心である柱のまわりを廻る〉と書いてあります。
〈自分が何か充ち足りない。欠落した部分がある。それを求める渇望はうずいてるだけど、それが何によって充たされるのか。ひたと向かい合って一体になれる相手は誰なのか。〉
 ここで太郎は、「愛」だと言ってます。人は自分にない者を求めそれを相手にももとめられることから、寧ろ、反対の者に惹かれると。つまり、イザナミとイザナギの意はここから来てるいるものだと推測します。

 人間は盲目であり、運命的な出会いを果たし時に、相手を充たすと同時に自分が本当の自分になることだと太郎は悟っています。

【太郎の中のプレイボーイ説】

 太郎の中で、「今」のプレイボーイと「昔」のプレイボーイの違いについても、太郎自身が昔の文化と現代の現状を照らし合わせて持論を展開します。
〈外見を飾ったり、持ち物に疑ったり、女の子にモテるからプレイボーイだとは言えない。まあ、それもまず第一段階かもしれないが、因ったことに大抵の場合、ほんとうの中身ができてないから、かえって外見を飾りたてたがるんだ。そういう男はいわゆるキザだ。〉
〈それは人によってさまざまだけども、平安時代のプレイボーイは、性に命を賭けることにロマンを持っていた。在原業平を知っているだろうか。天皇の女を盗んで、背におぶって逃げたんだ。〉と書いており、[性]は昔のプレイボーイにとって[命]を賭けて女性を落とす者。それが昔のプレイボーイだと太郎は語り、今の時代は性的な者が自由になり、自分の命を賭けてまで女性を追い求めるプレイボーイなんて、今の時代にはいません。
 今はインターネット、出会い系、風俗。確かに太郎の言葉を思い返すと未来を見据えた言葉だと思えます。
 最後に太郎は〈自分がものにした女性の数を誇ったりするのは野暮の骨頂。本当のプレイボーイじゃない〉と一喝しています。

 もし、この記事を読んで興味が沸いたら岡本太郎の『自分の中に毒を持て』を読んでみてはいかがでしょうか。 
http://www.neweracap.jp/pickup/2017/taro_okamoto/画像の提供岡本太郎 | New Era Japan

小説書いてるクニヒロ(9216)です小説書いて四年になります。もしよかったらよんでみてください。