滋賀県と言えば、まず思い浮かぶのは…
滋賀県と言えば、多くの人がまず『琵琶湖』を思い浮かべるのではないだろうか。かく言う僕も、ここ数ヶ月前まではそんな感じだった。何を隠そう滋賀県の面積の約1/6は琵琶湖なのだから!
ところが昨年10月のある日、その認識に変化が生じた。きっかけは10月の末に京都で舞台関連の仕事が入った事である。年に何回か地方での仕事がある僕は、仕事終わりにいつもその土地をぶらり旅する事がひとつの楽しみになっていた。しかし京都は、実家のお墓があるなど様々な縁からしばしば訪れており、この10月だけでも3回行く事となっている。見所満載の京都ではあるが、さすがに定番スポットは行き尽くし、マイナーなスポットもそれなりに開拓していた。そこでここ数年は、京都に用事がある際に奈良へと足を伸ばしていたのだが、奈良市内はもとより飛鳥や橿原、はたまた県南部の天河まで巡ったとなれば、いよいよ奈良も極めた感(?)がある。もちろん京都も奈良もまだまだ魅力は沢山あり、再び訪れたい場所もあるのだが、この時は折角なので見知らぬ地へ行きたいという想いが先行。
…そして目をつけたのが京都府の東隣ながら未踏の地、『滋賀県』であった。
琵琶湖だけじゃなかった、滋賀県!
調べてみると、多くの歴史を持つ近畿の中で、この滋賀もまた独特で深い歴史を持つ土地だという事が分かってきた。滋賀県の方には大変失礼な事かもしれないが、生まれてから約24年間、僕は滋賀県の魅力に全く気付けていなかったのである。まだまだ知らない事だらけであるという自省の念も抱きながらさらに書籍等でも研究してみると、かるたの殿堂とされ映画『ちはやふる』でも舞台となった近江神宮や、日本三大山車祭のひとつに数えられる長浜曳山祭が行われる長浜の街など、興味をそそるスポットが幾つも出てきた。
その中でも、滋賀の京都側に位置し今回まず行ってみたいと感じた場所が、京都の表鬼門を護るという『日吉大社』だ。
京都の表鬼門を護る、『日吉大社』
『表鬼門』と聞いて、ピンとくる人はどれくらいいるだろう。表鬼門とは、平安時代に重要視されていた陰陽道という思想において、最も悪い方角とされていた“北東の方角”の事である。
“鳴くよウグイス平安京”でお馴染みの西暦794年、今の京都の地すなわち平安京が日本の都となった。その平安京の北東の方角にあったのが、この日吉大社がある『比叡山』であった。比叡山といえば延暦寺を思い浮かべる人も多いだろうが、この延暦寺こそ平安京の表鬼門を護る寺とされ、古くから比叡山の地主神であった日吉大社は、延暦寺の守護神とされるようになったという。ちなみに日吉は古来“ひえ”と言われたとされ、比叡山の名の由来となったとか…
いざ護り神の元へ…
つまり僕が何かとお世話になっている京都の街を、平安の世より今もなお延暦寺とともに護り続けてくれていたのが、滋賀県の日吉大社と言えるだろう。そんな事実を知ってしまったなら、その護り神の元へ御挨拶に行かなければ!
…なんて想いを抱き、迎えた10月30日。前日の仕事は無事完了し、青空に秋風が心地良い。絶好のぶらり旅日和であった。朝の神社仏閣の空気が好きな僕は、この日も朝早く京都のホテルを飛び出した。そして京都駅から列車に揺られること約20分。気付けば、そこはもう滋賀県だった。降り立ったのはJR湖西線の比叡山坂本駅。駅から西へと歩き出せば、その道はすでに日吉大社へと続く参道であった。
幾つか鳥居を抜ける。
道が徐々に狭くなるにつれ、風が洗練されて行くような心地を抱く。
さらに進む誰もいない小径に、朝陽がゆれる。
そして比叡山坂本駅から歩くこと約20分、ついにその杜(もり)の入口へと辿り着いた。
これまで参道でくぐってきた鳥居とは違い、朱塗りの大鳥居が青空にそびえる。
何を物語る?境内の独特な鳥居!
大鳥居をくぐり境内へと足を踏み入れれば、どこか凜とした風が髪を揺らす。
参道の脇を流れる水の音が、豊かで心地良い。
そんな旅情に心打たれながらさらに歩みを進めると、参道の奥にまた一つ鳥居が見えた。
しかしそれは、これまでくぐってきた鳥居とは明らかにデザインが異なる、独特な姿であった。
これは『山王鳥居』呼ばれている鳥居の一種で、この日吉大社を総本宮とする『山王信仰』の神社を表す鳥居なのだとか。東京で言えば赤坂の日枝神社が山王信仰であり、その境内には同じ形の鳥居が存在する。この山王鳥居の特徴はやはり、スタンダードな形の鳥居の上に屋根のようなものが乗っかっている事だろう。これは神道と仏教が調和した日本ならではの考え方である『神仏習合』の一つの象徴とされており、この屋根のようなものはまさしくお寺の屋根、すなわち『破風』を模しているそうだ。そのことからこの山王鳥居は『破風鳥居』とも呼ばれている。そうした仏教との調和が見られる山王信仰は、まさに延暦寺の守護神というこの社(やしろ)の立ち位置を色濃く表していると言えるだろう。鳥居一つからその土地の歴史を感じられるとは、まさに旅のロマンかな。…などと物思いに更けながら、ついに境内の一番奥にある社『西本宮』の手前へと辿り着いた。
仏閣の風情も…『西本宮』
この日吉大社は、『西本宮』と『東本宮』を中心に幾つもの社からなる。その中でも境内の一番奥、すなわち一番西側に位置するこの西本宮は、参拝順路に則れば一番最初にお参りとなる社だ。多くの神社では入口側の社から参拝するようになっているが、日吉大社は一番奥の社から順に参拝というから面白い。さぁ、荘厳な二階建ての“楼門”をくぐって、いよいよ西本宮へお参りだ。
楼門の先では、また一つ空気が洗練された感覚を覚える。そして目に飛び込んでくるのは、反り屋根を青空へと広げる拝殿。そしてその向こうに悠々と佇む本殿だ。西本宮ではこの拝殿でお参りをする。拝殿は重要文化財、本殿は国宝である。
この西本宮に祭られているのは、出雲大社の神として知られる『大己貴神』だそうだ。しかしこの西本宮の造りは出雲大社とは趣が異なる点が面白い。例えば、出雲大社や伊勢神宮などの屋根に見られる『千木』や『鰹木』がない。どこかお寺・仏閣の風情も感じる檜皮葺き(ひわだぶき)の屋根は『日吉造』と呼ばれる日吉大社特有のものだとか。独特な『縋破風(すがるはふ)』が美しい。
水の流れに導かれ?
西本宮の本殿に近づくと、水路が見えてきた。よく見ると山奥から流れてきた水が水路に注がれ、本殿を囲むように流れているよう。なかなか幻想的な光景である。
神職の方に訊けば、古来より『清めの水』と伝えられているそうな。
確かに、その厳かなせせらぎに心が清められる感覚を覚える。
清めの水はさらに境内を東へと流れて行くようであった。参拝順路もここから東へ向かうため、この水流とともに僕は少し階段を下り次の社へと歩みを進めた。するとどうだろう、次に現れた『宇佐宮』の本殿もまた清めの水が囲っている。
この宇佐宮は、この清めの水を渡り本殿に直接お参りできる。そしてその瞬間思った。もしかしたらこの清めの水は、境内の東端にある東本宮までの社を囲みながら流れているのではないだろうか… さすれば、この流れを辿れば、それが順路なのかもしれない。僕は一応“順路”と書かれた看板を気にしつつも、この玄奥な趣漂う清めの水とともに杜をめぐる心地で参拝して行く事にした。
緩やかな階段を下り振り返れば、清めの水は小滝に白糸を描いていたり。
そしてさらに水流を追いかければ、『白山宮』や『三ノ宮遥拝所』などをめぐり、清めの水はますます東へと流れて行く。
さらにめぐる流麗…『東本宮』
そうしてついに辿り着いたのは、境内の一番東に位置する『東本宮』のエリア。ここにも大きな楼門がそびえる。西本宮と同様に荘厳な佇まいではあるが、木漏れ日をまとった東本宮の楼門の方がより玄奥な印象を受けたり。
そんな風情に誘われ門をくぐると、これまた西本宮とは違い、東本宮の他に『樹下宮』や『大物忌神社』などいくつもの社が見えてくる。
そしてそれぞれの社に向けて、清めの水も枝分かれして行く。
さて、ここで今までに無かったことが起こる。ここまでずっと緩やかな坂道や階段を下りながらやってきたが、東本宮の拝殿ならびに本殿は階段を上がってお参りとなるのだ。すると清めの水はどうだろう。水は上には上がれない。それでも東本宮本殿の周りにも、水路があった。
…どういう事かと思い水路を見てみると、そこには水の代わりに石が敷き詰められていたのだ。なるほど枯山水に通ずる趣だろうか。どうやらその昔はこの水路にも水が注がれていたようであるが、今日においては石を水に見立てる小粋な風情が注がれている気がしたり。そんな玄妙な光景にまた心をくすぐられれば、僕はその写真を撮る事も忘れていた。なのでここは是非、本物の東本宮の清めの水を覗いてみて欲しい。そこには、清らかな流れがあるはずだ。
そして西本宮とは違い東本宮では本殿にもお参りする事が出来る為、そんな清めの水を渡って東本宮本殿へお参りとなる。
東本宮に祭られている『大山咋神』は、まさにこの比叡山の地主神とされており、この東本宮への信仰こそこの日吉大社の始まりと言えるだろう。ちなみにこの東本宮は、西本宮と同じく拝殿が重要文化財、本殿が国宝である。
『清めの水』の謎を求めて…
さて境内の一番東の東本宮エリアを後にすれば、この日吉大社でのお参りも終了となるのだが、僕はどうにも『清めの水』に魅せられていた。そして何故この清めの水が存在するのかが、如何せん気になっていた。神職の方も、古来より清めの水と呼ばれている以上の事は分からないらしい。もちろんその名から、お参りの場を清める、あるいは参拝者を清めるといった事は想像できる。しかし他の神社では見られないこの純な水の流れに、ほのかな謎という名のロマンを抱かずにはいられなかった…
清めの水は、西本宮の西側から来ている。そこで僕はまず、この水流がどこから来ているのかを探るべく、今一度境内の奥、西側へ向かった。最初訪れた時はこの西本宮のエリアが境内の最西端だと思っていたが、どうやらさらに山奥側へと行けるようだ。謹んで、さらなる風の気配に足を伸ばしてみる。
…すると深奥な森の中で、比叡山の奥方向から西本宮エリアへ注いでいる湧水があった。
ここが境内の中で一番西側であり、日吉大社で見られる一番奥側の水であろう。そして湧き出るせせらぎの向こうを見れば、石造りの塔があった。いわゆる“石像宝塔”と呼ばれるものだ。気付けば僕はその塔へと、吸い込まれるように近づいていた。
遥か奥妙な『延暦寺』の気配…
『延暦寺 飛地境内』
石造宝塔の前にはそう記され、この日吉大社がこの山の上にある延暦寺の守護神とされている事を改めて思い出す。そして、僕はハッとした。
比叡山から流れ来る水。それはまさに延暦寺とのつながりの象徴であり、それを清めの水とする事は、延暦寺を尊ぶという事にもつながるのではないだろうか。さらに想いを馳せれば、神社とは元来自然信仰の場所とされ、山から注ぎ来る水はまさに自然の象徴ともいえる。あくまで推論ではあるが、そんな水の先に仏教における祭祀の場である寺院の流れを感じれば、やはり『神仏習合』の風を汲む事は容易である。
飛鳥時代に仏教が日本に伝来して以来、神仏習合という考え方は日本の風土に根強く築かれた。諸論あるものの、明治までは神社と寺院はしばしば密接に結ばれており、神社の中に寺院があったり、寺院の中に神社があったりということはざらであったという。ところが明治になり、いわゆる神仏分離令がとられると、神社は神社、寺院は寺院という区分けがなされたほか、寺院はしばしば取り壊されたともいう。しかし東京から離れるほど明治政府による神仏分離令の影響は薄くなった部分もあるといい、そうした中において滋賀県にあるこの日吉大社は、神仏習合の流れを色濃く残す稀有な場所になったとも言える。
清めの水の存在に遥かな歴史の時流を感じれば、何か満ち行く旅心を抱き、僕は日吉大社を後にする事にした。
つながりの注ぐ先…
さて、僕は境内を出た。すると日吉大社を背にして参道の左端で、清めの水から続く流れが、さらに東へ向かって水音を奏でている。そう、まだ旅は終わっていなかったのだ。(笑) 自然の摂理に則れば、水の流れが山の中腹で止まる事は無く、この境内を抜けてさらにどこかへ流れゆく事は明らかである。僕が日吉大社にやってきた時とは反対側、参道の北側へと水流が続いている事に気付けば、僕はやはりその玲瓏を追いかけない訳にはいかなかった。
そして歩き始めると、その水は参道をずっと下って行く。なおも旅路を共にする。
そのうちに、追いかけてはみたものの、途方も無い流れの気配を感じ、少しだけ心細くなってみたりする。この先どこへと続くのだろうか。僕はどこまで水流を辿るのだろうか。そう思い、ふと参道の先を眺めた。するとそこには…
何かの本質を語るかのように、大きな水の景があったのだ。
琵琶湖だ。
そう。比叡山から流れ、日吉大社をめぐった清めの水は、琵琶湖へと注がれていたのだ。その遥かな水流の旅路に気づいた時、僕は真に今回の日吉大社へのお参りを終えたような気がした。
それは、水の都の護り神?
さて、日吉大社境内を流れていた清めの水を追いかけ、ついに見えたは琵琶湖の景。冒頭で『琵琶湖だけじゃなかった、滋賀県!』と綴っておきながら、結局は琵琶湖に辿り着いてしまうところ、やはり琵琶湖の存在の大きさに畏れ入るばかりである。ところで、その琵琶湖の水はどこに続いているのだろうか。それはご存知の方も多いだろう。
そう、京都だ。すなわち、京都の街を護る2つの社寺を紡ぎ、清めの水と呼ばれたその流れは、琵琶湖を通して京都へと注がれ、街を潤していたという事だ。もっとも琵琶湖の水を直接京都へと繋ぐ有名な琵琶湖疏水は明治になってつくられたものであり、琵琶湖から流れる川は京都の街へは向かわず淀川となり大阪湾に注ぐものだけだ。しかし、かねてより平安京を潤していた京都の地下水は琵琶湖からも流れてきているという説もあるほか、琵琶湖疏水の計画は平安時代からあったともいう。さらに、琵琶湖から平安京の用材を運んだり、琵琶湖が平安京への交通の要衝になったりと、琵琶湖の存在が京都へと続いていることは、今も昔も変わらない。そして古来より、京都の街には水を貴いできた文化がある。
さすれば清めの水の一つの由来として、京都の街を清める為の水という解釈も出来るのではないだろうか。するとそこには、京都の街を起点とし、延暦寺、日吉大社、琵琶湖、そしてまた京都の街という循環の構図も浮かび上がる。循環とはまさに自然の姿とも言え、自然信仰たる神社の源流をふたたび思い起せば、この日吉大社が物語る水の存在に、深く果てしない理を覚えたりする。さらに神仏習合の風に遥かな繋がりの奥ゆかしさを感じれば、日吉大社はさながら京と人々を清め、悠久の時を超え今日へと注ぐ“水の都の護り神”と言ったところだろうか。
…なんて生熟れな思案をめぐらせたところで、とある秋の日の旅行記を終わりにしたい。
という事で、ここまで玲瓏な水に誘われた僕の旅路を、夢見がちな推察を散りばめながら長々と綴ってきた。されど遥かな歴史と風土の語り口は深淵で、僕のほんの少しの足跡では、まだまだ多くを繙くには至らないだろう。また今回は、日吉大社の奥宮とされる比叡山系八王子山山頂近くの『牛尾宮』や『奥総社』などは訪れていなかった。どうやらこの場所が日吉大社の始まりの地であり、琵琶湖が一望できるらしい。そこにはもっと清冽な軌跡があるかもしれない。さらに饒舌な二の句があるかもしれない。
さぁ今こそ、滋賀の隠れた魅力を辿る旅に出てみてはいかがだろうか。きっと素敵な水先案内人が待っている。
ちなみにこの後、僕は琵琶湖へ向かいとある島へと渡る事になるのだが…
それはまた別のお話という事で。
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