「男の子よりも女の子」当時の貴族の子育て事情
「娘をどうにかして源氏と結婚させたい」と繰り返していた明石の入道は、やっと思いを打ち明け、約束を取り付けます。源氏も、以前みた夢の内容とリンクする入道の話から「この明石の君は、自分の娘を産んでくれる運命の相手ではないか」と強く感じたのです。
現在のところ、源氏の子供は2人(世間的には1人)。どちらも男の子です。あれほど女性と関係を持ったわりには子供が少ない。頭の中将はこの点では源氏に勝り、正妻の間にも、他の女性の間にもすでに10人以上の子供が生まれています。でも、女の子は2人だけです。
当時の貴族の間では、男子よりも女子のほうが喜ばれました。結婚することで他の貴族と婚姻関係が結べるほか、条件を満たしていれば後宮入りして立后、うまく皇子を産めば皇太后になれるからです。臣下に生まれた以上、男の子の出世はどう頑張っても大臣どまり。でも、女の子はそれ以上の出世が望めるわけです。
源氏よりも以前に書かれたと言われる長編物語『宇津保物語』でも、初めての子が男の子でがっかりし、「男なんてつまらん。女の子が良かった」とガッカリして、ろくに様子もみてやらないという貴族が登場します。ずいぶん極端ですが、そういう時代があったわけですね。
当時は厳格な身分の差があるので、地方出身では後宮入りは難しい。中央の貴族でも、源氏の母の桐壺更衣のように、美しくとも後ろ盾のない娘では前途多難ですし、朧月夜のように盤石の体制で送り込んでも、うっかりスキャンダルに巻き込まれて台無し、というケースもあるでしょう。
親の身分やバックアップ体制も重要ですが、肝心の子の誕生や性別に関しては運頼み。でも娘が多くいれば、それだけ可能性が増えます。貴族にとって娘とは、まさに産む機械であり、出世のための重要な手駒です。源氏や頭の中将の浮気グセは男の甲斐性でもありますが、同時に家系繁栄のための努力、と捉えることもできます。
紫式部は明石と同クラスの出身で、やはり同クラスの夫と結婚して娘をひとり産みました。彼女は母の死後、女房として仕え、皇子(のちの後冷泉天皇)の乳母を務めました。乳母としての功績を讃えられ、天皇が即位する際に三位という高い地位を与えられたので、大弐三位(だいにのさんみ)の名で知られています。地方出身の女子の出世パターンとしては最高で、こういった形もアリでした。
紫式部の没年ははっきりしませんが、40歳前後で亡くなったとすると、娘の出世する様子は見届けていないことになります。明石の君に託す夢と希望は、紫式部自身が父親から託されたものや、自分の娘に寄せた期待なのかもしれません。
初めてもらった、彼女のお父さんからの代筆ラブレター
入道の意を受け、源氏はとても久しぶりに、まだ見ぬ女性へのラブレターを書きました。京を出てからこのかた、まったく女っ気のない暮らしでしたし、「こんな所に素晴らしい女性がいたら、意外で面白いだろう」という期待もあり、高麗産(今の朝鮮半島)のくるみ色の紙に、とてもきれいな字で随分気合をいれた手紙を出します。
明石の君の住む山側の邸では、入道が今や遅しと手紙を待ち構えていました。使者は届け先でもてなしを受ける決まりなのですが(密通などの場合は別)、入道はもう恥ずかしくなるほど使者を歓待します。それも、入道の敷地内で海から山の方に来ただけなんですけどね。
入道は勇み足で娘に「さあ、返事を」と催促しますが、彼女はなかなか筆をとりません。源氏の美しい文字や、甘い言葉に感動し「やっぱり私とは住む世界が違うお方。お手紙のやり取りなんてとても…」。そのまま引っ込んでしまいました。私の気も知らないで、お父さんが勝手に約束してきたんじゃないの、ってところでしょう。
使者も待っているし、長々と待たせるのは失礼です。入道は仕方なく「娘は身に余る幸福に恐縮してしまったようです。娘もあなた様と同じく、寂しさに思いを馳せておりましょう。出家の身で恋文のお返事など、誠に失礼致します」。お父さんが娘の気持ちになって代筆してくれたラブレター……なんて恥ずかしいんだろう!
もらった源氏もビックリです。数多くの恋文をもらった源氏でも、お父さんの代筆したラブレターというのは初めて。字は味のあるいい字です。とても珍しいものをもらったと、源氏はいろんな意味でマジマジと見ます。親に認められない恋も辛いですが、ここまでお父さんが前面に出てこられるのも、当人としてはやりづらいですね。
同時に、素直に返事を書かなかった明石の君への関心もそそられます。「相手にとって不足なし…」というところでしょう、もとより「源氏の君、素敵!抱いて!!」みたいな女には興味がなく、攻略しづらい相手にこそ燃えるのが源氏。明石の君としてはそんなつもりはなかったのですが、見事にフラグが立ってしまいました。
「代筆のお手紙は初めて頂きました……独り心を悩ませています、いかがですかと尋ねてくれる人もなく、言うこともできないので」。最初の手紙に彼女からの返事がなかった事をあてています。今度は柔らかく薄いきれいな色の薄様紙に、とてもソフトな筆跡です。「若い女性がこれを見て、胸がときめかないのは残念だ」と作者が書いていますが、たしかにちょっと最初の手紙は気合が入って、凝りすぎていたのかも?
明石の君は「なんて素敵」とドキドキしますが、だからこそ私なんかじゃダメよ…と思ってまた落ち込んでしまいます。しかし今度は入道も許さず、しつこくせっついてなんとか返事を書かせました。まったく誰に似たんだか、頑固な娘だよ!
「その言葉のお心のほどはいかがなものでしょう、お会いしたこともないのに、噂だけで悩まれることなどあるでしょうか」。娘の筆跡は京の貴族の娘に負けず劣らず、大変素晴らしいものでした。
源氏は京での華やかな恋模様を思い出します。とは言え、連続でガンガン出すのもさすがに…と思うので、数日おきに、明け方や夕暮れなどのセンチメンタルになりそうな時間に合わせて手紙を出し、2人の交際(といっても文通)が始まりました。
手紙からは彼女の聡明さや奥ゆかしさが感じられ、源氏はますます魅力を感じます。「ぜひ逢ってみたい。でも、良清が以前からアプローチしていた相手でもあるし、目の前で横取りするのもどうだろう」。いくら主従関係とは言え、さすがにそれは気の毒です。彼のことはまったく顧みず、源氏にはせっせと娘を差し出す入道を、良清はどんな気持ちで見ているんでしょう。彼もつらいですね。
「こっちから仕掛けていかず、向こうからOKを出してくるようなら言い訳も立つだろう」。源氏は都合のいいことを考えて、明石側の呼び込みを待ちます。なんだかんだ言って、事が成った時の逃げ口上を今から考えているのがこの人らしい。
ところが、源氏の腹づもりとは裏腹に、明石の君は高貴な姫君以上にプライドが高く、おもねったりへりくだったりする様子は見られません。両者とも譲らず、ただ時間が過ぎていきます。
「目が…目が…」気弱な帝、夢でにらまれて眼病に
少し話が戻りますが、源氏が九死に一生を得た嵐の直後、京も激しい雷雨に襲われました。その夜、朱雀帝の夢には桐壺院が現れ、怒りのこもった眼差しで睨みつけ、源氏の事をいろいろと仰せになりました。源氏の夢に現れ「とても疲れたが京へ行く、帝にもお話がある」と言っていたのは本当だったようです。
もとより、源氏を須磨へ追いやったことを非常に後悔していた帝は恐れおののき、眼病を患ってしまいます。気が弱いといえばそれまでですが、ずっと心苦しかったのでしょう。それでなくともこの年は、年始からずっと天変地異が続いており、迷信に弱い貴族たちは「祟りだ」とすっかり縮み上がっていたのです。
怖気づいた息子を、太后は一喝します。「荒れ模様の夜は神経が尖って、悩み事が夢に出ることもあるでしょう。それをいちいち結びつけて、動揺したお姿を臣下に見せてはなりません!」夢でお父様ににらまれたからって、それがどうしたっていうのよ!!
何かにつけて祟りだ、怨霊だと大騒ぎするこの時代に、ここまでいい切ってしまえるのはスゴイとしか言いようがない。自分から呪詛とかはするのに、都合の悪い非現実的なことは一切信じないタイプ。彼女の夢には、怨みがある人も出てこられないでしょうね。
ところが、天候が回復したあとも、帝の病気は快方に向かいません。宮中でも、太后の方でも病気平癒のお祈りをしますが効果なし。そのうちに右大臣が急死します。高齢だったので無理もないのですが、頼りにしていた父の突然の死に太后は動揺し、彼女自身も病気になって寝込んでしまいました。
うち続く身内の病と死に、帝はますます心を痛めます。「やはり源氏を京に呼び戻したほうが良いのでは」と提案しますが、太后は「まだ3年と経っていないのに、そんなに簡単に許してはあなたが非難されますよ」。OKなんかしてくれるはずないんだから、もうお母さんにお伺いを立てるのをやめればいいのに…。
こうして、源氏と明石の君、朱雀帝と太后の2組は、双方譲ることなくこう着状態に陥ります。その間にも月日が経ち、季節は秋へと移っていきました。
簡単なあらすじや相関図はこちらのサイトが参考になります。
3分で読む源氏物語 http://genji.choice8989.info/index.html
源氏物語の世界 再編集版 http://www.genji-monogatari.net/
(画像は筆者作成)