「受験勉強」の意味
私は、塾講師だから塾生の方と保護者の方に自分の学力を示す義務がある。授業という商品は、見せて評価してもらいにくい。だから、講師の学歴や、指導した生徒の方の合格高校や合格大学を示すのは講師の義務だ。
それで、名古屋大学を卒業して、アメリカに渡り、英検1級や通訳ガイドの国家試験に合格した。指導した塾生が、京大医学部、阪大医学部、名大医学部などに合格したと公表してある。
すると、やっぱりというか
「何を威張ってんねん!」
という反発がつきまとう。慣れたし、反発より義務の方が重いので無視している。また、そういう態度が気に入らないらしいが、どうでもいい。
ある程度の年齢まできた人なら分かるはず。厳しい現実に向き合った人は、
「どうして、こうなtってしまったんだ?」
と真剣に考える。そして、たいていは学生時代の所業にいきつく。私は長年受験指導に携わってきて分かるのだ。真剣に受験に向き合って、限られた時間を有効に使おうと真剣だった塾生の子たちは、みんなそれなりの仕事をしている。
逆も、また同じだ。
自分も、北勢中学校ではトップクラスだったのに、四日市高校ではイマイチ。名古屋大学では、さらにイマイチ。そのショックとトラウマがなければ、その後、英語や数学にそれほどこだわらなかった。
楽しかったし、いい思いをさせてもらった。ユタ州、ローガン中学校での生活は夢のような生活だった。英検1級にチャレンジしていた頃も、京都大学を7回受けていた頃も楽しかった。
今は、数学や物理、化学、フランス語、ネットなどいろいろ面白い生活をさせてもらっている。
自分と同じような目標を持った塾生の指導をさせてもらっている。だから、自分の経験を伝えさせてもらっている。ハッピーだ。
そういう子たちは、実証的だから話が通じやすい。自分の就きたい職業に就くには旧帝レベルの大学に行かねばならない。そのためには、入試で合格しないといけない。ならば、合格するノウハウを知っている人に教えてもらいたい。
そう言うので、自分でチャレンジして合格して見せた。私はセンター試験を受けたことがない。京都大学を受けたこともなかった。英語講師だったので、今の高校生と同じ参考書や問題集を使って、同じ模試を受けて、一緒に本番の二次試験を受けた。
現役の子は7回も受けることができない。オジサンだから、私には気の済むまで研究できるわけだ。そして、分かったノウハウを成績開示とともにネットで告知してみた。
すると、北海道から九州まで通信生が英作文の添削を依頼してきてくれた。会わなくても、私がどういう思いで指導させてもらっているか、分かる子には分かるらしい。ありがたいことだ。
ここに「京大の英語」という赤本がある。著者は大月照夫という方だ。私の知らない人だから、ググってみたら出てこない。たぶん、予備校の講師か大学の講師なのだろう。
私は、大学時代に大学受験用の参考書や問題集を使った。アメリカに渡って、頭に詰め込んだ受験英語を使ったら
「きれいだけど、古いし big words を使いすぎ」
と言われた。考えてみたら、受験用の参考書や問題集、模範解答の作製を依頼するなら権威者に頼むだろう。つまり、実績や肩書きのある人。つまり、大学の教授やそれに類する人。
ある程度の年齢がいっている人に依頼して、出版されて、それが流通するわけだ。古い英語が使われているのは当たり前だ。
それで、合格できたら問題はない。試す必要があるので、自分で7回京都大学を受けてみた。その結果は、こちらに書いておいた。
http://storys.jp/100002507170434
結論は、
「受験英語では6割。資格英語では7割。ネイティブの英語は8割」
ということ。
その実証のために、全国から通信生を募って自分の知ったことを教えてあげた。すると、京大医学部、阪大医学部、名大医学部などに合格できたので、自分の得た経験に確信を持った。
この文章を使って集客する意図はないし、意図があっても信用はされないだろう。なぜなら、ほとんどの人は私のような無名の人間の言うことなどに耳を貸さないからだ。
落ちる子は、無意味なアドバイスを喜ぶ。何でもいいので答案用紙にいっぱい赤い文字が並んでいると喜ぶ。合格する子は、たった一行のアドバイスの意味が分かる。
長年受験指導をしていると、世の中には建物や有名俳優のCMで指導者を決める人の方が多いことに気づくし、そういう子が合格できる確率がきわめて低いことも分かる。
したがって、分かる人を相手に指導をしないと合格実績が上がらないという結論に至る。
でも、めんどうくさいから議論はしない。こういう実証論は理解できる人にはできるし、理解できない人には説明しても理解できない。
そもそも、学歴を信奉するのはどうかと思う。私は中京地区では有名な名古屋大学出身だけれども、金持ちでもないし、バツイチだし、有名でもない。塾講師だから、学歴が役に立っているけれど、プライベートの幸福には関係ない。
幸福な生活って簡単ではない。名古屋、刈谷、アメリカ、いなべ市と移り住んだが、一長一短。都会に住むと幸福かというと、便利だけど落ち着かない。田舎は不便だけど、落ち着ける。それだけのこと。
勉強のできる子とできない子は明らかに違う。それは、テストの点数なんか関係がないことだ。時間を守れるとか、向上心があるとか、整理整頓ができるとか、そういうことだ。
私が塾を始めた頃は、素行の悪い子も混じっていた。その頃は、備品が破壊されたり盗まれることも多かった。月謝を踏み倒し、モンスターペアレントが怒鳴り込んできたり、便器にウンコが流さないままだったりとか、ひどいものだった。
ところが、塾の評判があがって塾生の平均学力が上がったら、上記のようなことが全くなくなった。多くの会社が、履歴書の学歴欄を重視するのは、このような理由があるからだろう。学力と素行の良し悪しは、かなり比例することが経験的に分かっているのだ。
基本的な生活習慣ができていないと、受験勉強なんかできるわけがない。
塾は勉強を教えるところだから、躾は教えない。基本的な生活習慣は、中学生の頃にはできあがっているので生徒をすべて受け入れたら授業にならない。
アメリカの中学校で指導しているときは、パトカーを見ることもあった。手に負えないと警察に任せる。成績が良くないと、別室に集められて普通の教室に戻るにはかなりの努力が必要だった。
日本の学校のように、ぬるま湯ではなかった。ダメなものはダメだと教えてやらないと、グローバル社会で生き残れないだろうに。
私は、そんなに親切ではないから、素行の悪い生徒の指導はごめんだ。
マジメな生徒は、よく
「ちょっと待って。言わないで」
と言う。自分で解かないと意味がないというわけだ。だから、ヒントに苦労する。自分で解いてもらえるギリギリのヒントを与えるのは楽ではない。以前は、そんなヒントを与えても
「授業と関係のないことはやめて下さい」
と言われた。ヒントであることさえ気づいてもらえなかった。思いやりを持って、優しく注意すると
「この先生は、扱いやすい」
と誤解する生徒もいた。力づくで押えつけられるまで気づかないわけだ。こういう子は、見込みがない。
受験制度は、そういう見込みがない生徒と、見込みのある生徒をうまく振り分ける機能をはたしていると思う。
ただし、これは塾講師としてのスタンスだから言えることで、個人としては違う。
私は、いつかフーテンの寅さんのように全国を旅したい。寅さんは、個人としては好きだ。学力は最低だろうが、素が善人だから。塾講師としては、他のマジメな生徒の迷惑になるので受け入れないが、個人としては嫌いじゃない。
だいたい、四日市高校や京都大学に入るためのノウハウを知っているからといって、知りたい人など成績上位の数パーセントの人だけであって、99%の人には関係がない。
それに、見事合格したからといって、そこに幸福な生活が保障されているわけではない。私のケースでは、英語のおかげでアメリカ生活もでき、数学のおかげで、生徒に来てもらえる。
京都大学レベルの英語や数学が7割や8割をとれる予備校講師があまりいないために、生活できるくらいの生徒の方には常に来てもらえる。というか、30年間、一度も赤字になったことがない。
映画も、字幕なしで分かるし、微分積分はこの世の見方を変えてくれて、実に興味深い。知らなきゃ損だと思う。
しかし、世の中に微積分に興味を持つ人は何万人に1人だろうから、私がここに書いても虚しい。つまり、共感も同意も得られまい。
共感どころか、反発だな。今の日本は、「ビリギャル」なんぞという落ちこぼれストーリーがヒットする。頑張る生徒は無視して、落ちこぼればかり持ち上げる。注目する。病んでいるなぁ。
塾や予備校も、暴走族講師や、タレント講師ばかり。堕落している。これでは、日本が衰退していくのも納得。それがウケるのだから、仕方ないけどね。
本物を見抜くことができるのは、ほんの一握りの人だけ。
同級生のYさんが亡くなった。家族以外は、どこの誰かも知らないので、何もなかったかのように日々が過ぎてゆく。アメリカに行って、「オダノブナガ」や「サカモトリョウマ」と言っても、知っている人はいない。
ましてや、誰かがトーダイに入ったなんてハエが飛んでいったと同じように、世間ではどうでもいいことなのだ。受験なんて、その程度のこと。私は、そう認識しているので、大騒ぎする人の気持ちが分からない。
「バカだと思われたくない!」
と言う子が多いけど、成績が悪いのなら料理人でも、美容師でもやって金儲けをすれば尊敬されるでしょうに。京大をでてフリーターの方がカッコ悪いと思うよ。寅さんみたいに勉強ダメでも好かれる人の方がいいでしょう。
私が勤務していた名古屋のある大規模塾では、支部教室の成績イマイチの塾生を「お客さん」と呼んでいた。本来の意味ではない。講師どうしでの話だが
「月謝を運んできてくれるだけの子」
という意味だ。塾の合格実績を上げてくれるのは、本部に来る子が多いので、本部にはベテラン講師を配置するけれど、支部教室は問題講師とかルーキーを配置しておく。
「どうせ、お客さんの生徒ばかりだからね」
というわけだ。本部は、小学生から高校生までのクラスが設置されていたけれど、支部教室は「小学部・中学部」のみにしておく。高校の内容を指導できるような優秀な講師を支部に派遣するなんて、モッタイナイ。
教師があまりにもエロ関係の事件を起こすものだから、注目を浴びているけれど、塾や予備校業界だって同じこと。隠蔽するのも同じこと。私の知り合いの予備校講師は、教え子とそういう関係になっている。
私は、バツイチになってから女性と関るのは懲り懲りだけど、講師も聖人君子ではないから。特に、大規模塾の支部教室はあぶないんだよ。ロクな講師がいないのは塾や予備校講師の常識。
では、個人塾はどうかというと、こっちもあやしい。要するに、大規模であろうが、小規模であろうが、玉石混交なので、見る目がないとダメなのだ。個人の定食屋さんでも、おいしい所とマズイ所があるでしょ。同じことよ。
ファミレスなんかより、ずっと美味しいところもあれば、どうしようもないところもある。大病院でも、不祥事で問題を起こすところもあれば、開業医で腕の良いお医者様もみえる。
世の中は、そんなもの。よく調べた方がいいよ。
私は、Z会を8年やりました。京大模試は駿台、河合を合わせて10回受けた。よく研究しました。皆さんは、Z会の採点をしている人を知ってますか?河合や駿台の問題を作っている人を知っていますか?
知らずに、大丈夫と信じているのでしょ?スゴイよね。
どんなことでも、楽屋をバラすのはよくないので、黙っておきます(笑)。
こうして、今日も平和な時間がながれていく。
受験とは、こういう欺瞞だらけの社会を直視して、流されず、自分に役立つものだけを利用して、地味にコツコツ練習を繰り返したものだけが勝利をする、社会に出る準備期間なのだ。