「負けるね。君は、死にものぐるいで無罪を勝ち取ろうとしていないから」 by 古美門
受験指導を長くやっていると、合格していく子は本当に「死に物狂い」の子が多い。落ちる子は、適当に生きている子が多い。
経済的に厳しい環境にあったA子ちゃんに
「高校時代は、クラブをやって、生徒会もやって、・・・」
などという贅沢は許されなかった。国立大学以外の医学部は経済的にムリ。だから、成績が伸び悩んだらクラブ仲間に非難されようと(実際は、どうだったか知らないが)自主的に引退した。
「友達関係を切り捨てるなんて」
とか
「クラブ活動は、人間形成に必要だ」
なんて、学園ドラマや脳天気な教師のママゴトにつきあっていられない。人生の岐路に立っている必死な子の気持ちなんて、恵まれている子には分かるわけがない。
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学校の教師の言いなりの生徒では、使いものにならない。
「うちの子は、先生の言いつけをきちんと守って・・・」
というのは、幼稚園か小学校の低学年までの話だ。死に物狂いになったら、勉強時間を確保できないなら、クラブを切り捨てる。役に立たない授業なら、内職に励む。命がけなら、当たり前のことだ。
それが、良いことか悪いことか論じることができる余裕などあるわけがない。法律だって、非常事態なら緊急避難を認めている。私は少林寺拳法の有段者だけれど、試合でないケンカだったら石も投げるし噛み付きもする。
死に物狂いとは、そういうことだ。
私が英語が専門でもないのに、英検1級に合格できたのは、
「娘を三人かかえて億に近い返済をしなければならなかった」
からだ。本当に死に物狂いだった。京大を7回受けたのも同じことだ。数学Ⅲを勉強して、数学講師になったのも同じことだ。もと奥さんから、「エリート教育だ」と非難されても方向転換できる余裕などあるわけがなかった。
幼い三人娘の顔を見たら、倒産・夜逃げ・首吊りのリスクがある落ちこぼれ向けの塾など論外だった。私は、もう二度と女性に関るつもりはない。再婚など絶対にしない。
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人生なんて、人それぞれ。自分の生き方を人に勧めはしない。ただ、平凡な家庭を持ちながらオリンピックをめざすとか、芸能界で生きるとか、一流の料理人になろうとか、それは欲張りすぎ。
何かを手にしたいなら、何かを捨てるくらいの覚悟が必要。そういう場合、そういう人も多い。たかが、英検1級や京大レベルの数学をマスターするのも、子ども三人を養うのも、私の場合は捨てるものがあったというだけの話。
何も目指さず、闘いもしない人の言うことに耳を傾けるつもりはない。
「今日はクラブで疲れたから(勉強できない)」
「今日は生徒会で送れたので(塾は休みます)」
こんな泣き言は聞かない。何があっても、毎日のノルマをやり遂げている子と競争なのだ。負けたら、医者になる夢は崩壊する。人生が変わる。医者ではなく、フリーターになるかもしれない岐路なのだ。
野球やサッカーをやることの方が、この人生の岐路より重要か否かの選択を迫られている。野球をやって、ランク下の大学に行ってフリーターでも親が助けてくれるのならいいだろう。
しかし、そんな恵まれた家庭ばかりではない。サッカーをやりながら、京大に合格できるのなら、私は何も言わない。私は脳天気に生きている中学生や、高校生を見ると
「受験に負けるね。君は、死にものぐるいで合格を勝ち取ろうとしていないから」
と思う。いいかげんな態度で勉強しているくせに
「今、ここで娘を桑高に合格させると約束してください!!」
と怒鳴った母親がいた。もちろん、出来ないと答えた。すぐ、激怒して塾をやめていった。
受験というのは、生き方そのものが出る。どの問題集を使ったとか、どの予備校に通ったとかいうテクニックでは乗り越えられないものだ。少なくとも、難関校はそうだ。
私は、好きで死に物狂いの生き方をしている。娘たちに、そんな生き方を勧めるつもりはない。人は人。好きにやればいい。ただし、その結果受け入れられる大人ならば、だ。
私に
「どうやったら英検1級に合格できるんですか?」
とか、
「どうやったら京大数学で7割とれるんですか?」
と尋ねる方が多い。私は、その方法を知っているので、自分でやったことを話してやる。すると、たいていの子は
「そんな生き方はできそうにない・・・」
と言う。
ところが、言う前から私と同じように死に物狂いの子もいる。京大に合格していくのは、そういう子が多い。勝手にやればいいけれど、勝手にやって落ちても当たり前のことだから、誰も恨まないように。
ぬるい生き方をしていたら、負けるね。落ちるね。当たり前じゃないか。
勝ちたければ、合格したければ、それだけの対価を支払え。それだけの覚悟がないなら、難関校の合格など夢見ないことだ。どうせ、かなわない。2万円以上するフルコースを、定食代の800円で食べようなんて、どだいムリな話なのだ。
何もかも捨てて、全てを勉強に賭けて、捨て身で勝負に臨んでいるA子ちゃんと、学校の宿題だけをやっているBくんが同じ受験場に座るのが受験だ。私がここで書くまでもなく、どちらが合格し、どちらが落ちるかは明らかだろう。
勝負とは、善悪ではない。勝つか負けるかなのだ。
「あの人は善人だから、医者にしてやってくれ」
とか
「あの人は悪人だから、医者にしないでくれ」
というのは、通用しない。
だって、腕の良い悪人の医者と、ヤブ医者だけど善人の医者と、どちらに身を任しますか?命がかかっているとき。善人のヤブ医者を選ぶ人は、満足して死んで下さい。
くれぐれも言っておくけれど、これは受験で合格をつかむノウハウを書くブログだから、書いている。一般的に、このような生き方は嫌われる。事実、私はバツイチになってしまったし、友達もいない。必要とも思っていない。
古美門だって、杉下だって嫌われる。
私程度でも、蛇蝎のように嫌われることもある。しかし、京大をはじめとする旧帝受験生には重宝な存在なので、高木教育センターは30年も生き延びている。合格したい子は、どんな時代にもいるものだ。
ゆるい子、怠けた子、努力を嫌う子は、受験に向かない。誰が指導しても、難関校の合格はムリ。だから、最初から指導しない方がいい。恨まれるだけなのだ。そういう子は、放っておいても甘い誘いをかける塾に行くからいいけど。
中学や高校で甘い生き方を選んでしまった子は、一生甘い生き方しかできない。初めが肝心なのだ。芸能人のバカ息子やバカ娘の例は枚挙に暇がない。最初に間違えると、そのまま墓場までダメな場合が多い。
なんだかんだ言っても、どの国も「学歴」を重視するのは以上のような理由があるからなのだ。「中学、高校時代に怠けたヤツは使えない」。そう経験的に分かっているので、履歴書に記入を求める。
もちろん、例外はいくらもあるだろうが、そんな個別のケースを見る余裕はない。自分で証明するしかない。