ジム&ルーシーのコンビとはかれこれ10年近い付き合いだった。ルーシーはミックス犬、ジムはその飼い主で、いわゆる犬友達というやつだ。
ロサンゼルス郊外の住宅地の真ん中にある広大な公園は、朝夕は犬連れたちの格好の溜まり場になる。犬を介して挨拶したり、獣医情報を交換したりしながら、年に1度か2度はポットラックパーティーを催したりする罪のない犬友付き合いが続いていた。
ルーシーはその名の通り、とても女の子らしい雰囲気の犬だった。フワッとした巻き毛が愛らしく、茶色い丸い目でいつもいつもジムの姿を追っていた。70代のジムは息子たちも独立し、妻と二人暮らし。ジムのことが大好きで仕方ないという風情のルーシーは、彼にとって孫娘のような存在だった。
私が初めてルーシーに出会った頃、彼女は既に9歳を過ぎていた。うちの犬は当時まだ若くてエネルギーの爆弾みたいだったから、ルーシーがうちの犬とじゃれあったりすることはなかったけれど、物静かで人懐っこいルーシーが私は大好きだった。
毎日のように顔を合わせていたルーシーとジムを見かける回数が数年のうちに少しずつ減っていった。足元が少しおぼつかなくなり、瞳が少しずつ白濁していったルーシーは、それでもやっぱりジムの方にしっかり目を向けて、ゆっくりと満足そうに歩いていた。
今年の春先のまだ少し寒い時期、犬用のカートを押しながら散歩をしているジムに会った。カートの中にはもちろんブランケットに包まれたルーシーがジムの方向に目を向けている。「ルーシーはもうすっかり目が見えなくなったんだ。歩くのも辛そうだから、毎日こうしてカートで外の空気を吸いに連れ出してやってるよ。」一瞬言葉に詰まったけれど、「ルーシーは幸せでラッキーな子ね。見えなくても毎日風の匂いを嗅ぐといろんなことがわかるもんね。まだ寒いから、二人とも体に気をつけてね。」と、微笑ましい気持ちと少しの切なさを抱えて別れた。
その後何度かカートで散歩するルーシーとジムを見かけたけれど、初夏の頃「ああ、そう言えば最近ルーシーたちに会ってない」と思い当たった2~3日後に、一人で散歩するジムとすれ違った。それだけで「ああ、そうなんだ。」と悟ったけれど、普通に朝の挨拶をして、黙って並んで歩き始めた。「My Girl left me(わしのあの子がわしを置いて行っちまった。)」と静かに話し始めたジムに「うん、今日会った瞬間にわかった。穏やかだった?」「ああ、ウトウトと居眠りするみたいに静かにな。体を撫でてやってな。穏やかだったよ。」「よかった。ルーシーは世界で一番ハッピーでラッキーな犬の1匹だったよね。それに可愛らしくて賢い良い子だった。」「まだルーシーがいない日常が信じられんのだよ。ルーシーは吠えたりしない静かな犬だったけど、今の家はもっと静かすぎるんだ。ちょっとだけ落ち着いたら旅行にでも行こうかと思ってるよ。ずいぶん長いこと旅なんてしてなかったからなあ。あんたも犬たちも体に気をつけてな。」
ルーシーは推定18歳だった。推定5歳の時にシェルターからジムの所に引き取られ、たくさんの友達を作り、たっぷりの愛情を受け取って13年間を過ごした。ジムの胸の中には今も間違いなく小さいルーシーが住み着いている。
(画像は著者撮影)