「どうして、才能のない大バカが、大成功することがあるのか。そのわけは・・・」
今もそうかもしれないが、私が英検1級をめざした20歳の頃は、三重県で合格するのは毎年1名か2名だった。それなのに、私は四日市高校で英語がナンバーワンだとか、英語を専門に学ぶ学部だとか、そういう立場ではなかった。だから、こっそりチャレンジを始めた。合格したのは30歳。ちょうど、10年もかかった。
私が中学生に5科目指導しようと思ったのは、30代。中学校では、科目別に担当が決まっている。だから、1人で5科目を指導しようとすると「どうせ片手間」と思われるし、そもそも仕事があって、そんなことしている時間もエネルギーもない可能性が高かった。それで、失敗した場合にみっともないのでコッソリ始めた。
「京大を自分で受けてみるかな?」と考えたのは、40代の後半だった。私は、名古屋大学の教育学部卒の文系。「高校生の数学の指導をするには、数学Ⅲが独学になってしまうなぁ」と諦める気持ちが強かった。ハゲ頭で、高校生に混じって受験となると、いくら隠してもバレバレだよね。
それで、誰にも告げずにコッソリ始めた。
何かを始めようとすると、たいていの場合、「これは無理だ!」というもっともらしい理由があるものだ。「やめた方がいいよ」と親切心から言ってくれる人もいる。
私は大学生の頃、司馬遼太郎さんの「竜馬がゆく」を20回以上読んだ。竜馬は、土佐藩を脱藩するときに威勢はよかっただろうが倒幕を成功できると考えてはいなかったはずだ。「よせ!」と言う仲間は多かった。
山岡宗八さんの「織田信長」も何十回と読んだ。織田信長は、尾張の大うつけと呼ばれていた。天下布武などという大それた目標を立てたところで、狂人と思われたはずだ。
佐治さんの言われた「やってみなはれ」という言葉が好きだ。
私には特別の才能がないので、英検1級だけで10年もかかってしまった。中学校の5科目も、高校数学も、それぞれ10年かけてやった。私の塾生なら3年間で身につけるのだから、呆れてしまう。
大学で英検2級に落ちたときに、英検1級は雲の上の存在だった。高校時代に文系に決めたのは「数学はダメだ」と諦めたからだ。勉強しすぎて、入院騒ぎを起こしたとき、ムチャはしないと決めていた。
でもね。ある時に思った。「少々ムチャをしないと、一生負け犬かもなぁ」。娘が生まれて、「これでは娘に、オレが父親だと自信を持って言えないなぁ」。それで、コッソリ挑戦を始めた。
また倒れたら仕事に支障がでるので、ゆっくりと、のんびりと、を心掛けた。英語の資格試験は、39通の「不合格通知」「合格通知」を受け取ったし、センター試験は10回、京大模試も10回、京大二次試験は7回受けることになった。
コッソリやっても、やっぱりみっともなかった(笑)。
ところが、塾生の子はそう思わなかったらしい。才能が無いから、試行錯誤の四苦八苦。ダメ出し無数。こんなダメダメ状態な方が、生徒がコケる理由がよく分かる。
大切なことは、天下をとったのは私の好きな信長ではなかったこと。天才の信長や、「鳴かせてみよう」の秀吉ではなくて、「鳴くまで待とう」の家康だった。
現在でも、ノーベル賞をとった山中先生は、受験業界的に言うと関西では、京大、阪大に次ぐ、神戸大出身であること。その後も、腕が悪すぎて「ジャマ中」と呼ばれていたと告白されていること。
才能にあふれて連戦連勝の人が社会的に成功したり、歴史に名前を残す業績を残すかというと、そうでもないのが人生の面白いところ。イエスの弟子の中で最も才能があったのは誰だろう?
ユダは、他の弟子たちほとんどがガリラヤ出身の田舎者だった中で、都会で培った会計管理の才能があったのか、彼は12使徒の一人に加えられ、弟子団の財務担当者になっていました。かなり優秀で、人からの信頼も得ていた人物と言えそうです。その彼が、極悪人・悪魔の化身などと言われるのは、何かの間違いではないかと思うほどですが、間違いなく彼は、イエスさまをユダヤ人たちに売り渡し、イエスさま十字架の発端となっていくのです。
もちろん、「だから、怠けていていいんだ」と言うつもりはありません。家康にしろ、山中先生にしろ、何事かを成し遂げる人には共通点があります。塾講師として、長年受験指導を行ってきた私の私見では、それは2つ。
1、言い訳をしない。
2、人のせいにしない。
この二点が、とても大切です。
賢い人ほど、できない理由を思いつきやすい。怠け者の人ほど、失敗の原因を他人のせいにしたがるのです。