第三章
「京大を7回受けることになりました」
私の作戦は、京都大学を実際に7回受験して、成績開示をする。その際、最初の2回は「オリジナル」、次の2回は「チェック&リピート」、最後の2回は「1対1対応の演習」を使用すること。
その結果の平均値を比較することにより、文系人間に分類された英語講師が京大レベルの数学が合格ラインを越えるられるのかを検証する。年度による難易度の差、学部により採点者が異なると思われるので、そこも考慮して考察してみる。
高校を卒業して30年を経過して50代での受験となるため、ほぼゼロからのやり直しとなった。しかし、この試みが成功したら、生徒の方の信用を勝ち得る可能性が大だった。失敗は、許されない。
灘やラサールや東海の過去問を集めて練習する授業を、A子ちゃんのリクエストから始めた。そして、当然のように四日市高校の国際科に合格した。
その頃、メールやファイルが普及し出したので私はさっそく
「家庭学習中に出た質問はなんでも送れ」
と塾生に檄を飛ばした。私は中学生は5科目、高校生は英語と数学に対応できるのだ。ところが、そんなサービスも怠け者には何の意味もない。
しかし、A子ちゃんはほとんど毎日ファイルを送ってきた。その質問の内容も勉強していないと出来ない質問ばかりで感心することが多かった。私は、A子ちゃんからどれほどの力をもらったことだろう。実は、白状するが高校の数学を指導しようと決めたのは彼女の影響が大きい。まさか、塾生に背中を押されるとは。
日曜も、祝日も関係なく、365日働いてもダメだった。奥さんが連れていった時、末娘はわずか三歳。残された次女は小学生の低学年、長女は高学年だった。そんな子供たちの顔を見ていたら、過労死など怖くなかった。
そんな子たちも、大学受験が近づいていた。
父が私のためにかけてくれていた生命保険を解約し、母の年金ばかりか、葬儀のための積み立てさえ崩させてしまった。娘にお金をせがまれても、出せなかった。もと奥さんのために買った指輪は、下取りでも1万円にしかならなかった。
本当に亡くなった父に顔向けができなかった。ろくでなしの息子だった。
土地を売ろうにも、遺産相続がうまくいかないし、リバースモーゲージは都会のみと言われるし、もう万事休すで夜逃げか首吊りだと思った。
英語に関しては、A子ちゃんは高校の時に英検の準1級に合格した。だから、英検1級の先生が必要になった。私は彼女の書いてくる英文の日記を読みながら添削をし始めた。これが、後にネットによる通信生の募集につながった。まことに、A子ちゃんが私に与えた影響は大きい。
1級レベルのアドバイスをすると、たいていの生徒の方は
「何を言っているのか分からない」
という反応だったけれど、A子ちゃんは私の意図することを即座に理解するため、授業も楽しかった。語彙や文法が正しければ良い英作文が書けるわけではない。
その当時、講師を2名雇っていたが、どうしても1人クビにしなければならなかった。そしたら、1人の講師と大喧嘩になりクビにできた。外国人の講師で、日本が嫌いな講師だったのだ。
京都大学を受けた結果は、以下のようだった。
平成18年、20年(文学部) 正解率の平均 33%
平成21年、22年(教育学部) 正解率の平均 39%
平成23年、25年(総合人間) 正解率の平均 64%
最高が70%であった。京都大学のボーダーラインは医学部以外65%程度なのでボーダーを越えたと判断した。