ママ友という言葉が出てきたのはいつからだろうか?最近ではママ友同士でイジメなどのトラブルが起きるなど、ただの親同士の付き合いという言葉だけでは済まされないのが現実だ。
■ママ友出来た?
独身の友達から何気なく聞かれたこの言葉にうまく答えることができなかった。子育て支援センターなどで会えばそこそこ話をする程度のママはいるが、それってママ友ってやつなのか?そもそも子供の名前は知っているがその子のママの名前は知らない。
結局その質問には「何人かいるよ!」と答えてしまい、ママ友はいないとは何となく言えなかった。
■ママ友要らない自分VSママ友欲しい自分
ママ友なんて要らないって思っていた。子供がまだ未就園児だからか尚のこと必要無いと思っていた。しかし、ママ友がいない自分、は周囲にとてもかわいそうに思われているように感じたし、また自分も心のどこかでは育児の孤独を分かち合える同じ立場の人が身近に欲しい気持ちもあった。
公園などで自分の子供同い年くらいの子を持つ見知らぬ母親達が、集まってピクニックなどをやっているのを見ると、非常になんとも言えぬ疎外感と焦燥感のようなものを感じたことがある方は多いのではないだろうか。それは子供に同年代の子同士で遊ばせてあげられていないことへの申し訳なさと、自分にはそんなふうに集まってピクニックをするようなママ友がいないという孤独感がそうさせるのかもしれない。
■ママは何となく群れているイメージがある
前述したピクニックしかり、何となく小さい子を持つ母親は群れているイメージがあるのではないだろうか。横に並んでベビーカーを押し、公園ではこれから円陣でも組むのかってくらいきれいに丸くなって井戸端会議していたり。そして極め付けは皆見た目が同じように見えがちだ。抱っこ紐に大きなカバン、ベビーカーというアイテムも似たり寄ったり。
■ママ友はいないといけない風潮は、自分自身の思いと周りのイメージで作られている
つまり、まずはママ友はいないとだめだと自分自身で思っていること、そして多かれ少なかれ欲しいという気持ちもあること、そして周りから子供を持つ母親ならママ友はいて当然というイメージを持たれていることから、こんな風潮になっているのかもしれない。
いる人はいていいし、欲しい人は作ればいい。でもママ友という言葉がちょっと一人歩きしている気がするのは筆者だけではないのでは?
子供同士が遊んだことがある、母親同士でちょこっと会話したことがある、いつも公園ですれ違う、顔見知りなんていうゆる〜いくくりじゃだめなのだろうか?
(写真は筆者がよく行く灼熱の公園)