教えてもらうのが当然だなんて。

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朝の通勤途中、電車でスマホのニュース画面を眺めていたら、「蜘蛛を殺すのをどう思う?罰当たりか?」という内容の読み物が目に入った。
これ常々自分の中にもあった疑問であり、「年代的なものか?もしかして現代ではあまり気にしている人は少ない?」「殺虫剤でシューと殺してもいいと誰かに言ってほしい…(ティッシュでつかむ勇気すらない)」と小さくくすぶっていたので、どうなんだろうどんなもんだろうと記事を開いてみた。

結果、読んでみると「殺す」「殺さない」派、どちらかというと「殺さない」が多めだったようだ。
ネット上で出た声もいくつか載せられており、どれも「あぁやっぱり他の人もそうか」と普段なかなか周囲の人と話すほどのことでもないからこそ、確認するような気持ちにもなり、なかなか興味深い記事であった。昔話の影響を述べる人もいて、改めて言い伝え、日本人の蜘蛛に対して持つイメージの影響に気づいた。
そもそも解けない疑問ではあるけれど、どこか腑に落ちる気がした。ちょっとスッとする内容だった。
ところがふと、その下に出ていた、記事を読んだ人から寄せられたいくつかの感想に仰天した。大げさではなく、かなり驚いた。
「参考にならない」「読者に丸投げ」、挙げ句記者に「ちゃんと調べようよ」とまであったのだ。
このことに答えがないことが読んでわからないのか?「蜘蛛というのは危険なものもいますから、こういう蜘蛛だったら役所に連絡しましょう。またこういう蜘蛛なら自分で殺して大丈夫です。判断がつかない場合は…」と書かなきゃならないのか?というか、そもそもこの記事はそういう主旨の記事ではない。
この人達はこのネット記事で蜘蛛に関しての指示を出してもらいそれに従う気満々だったのか?指示待ち…?
鵜呑みにできる情報なんてない。新聞でさえ信じる前に自分の頭の中で処理しないといけないのに、そんなネットで出されたものをダラダラ口開けて入れるだけだなんて。
「全部説明して、結論まで出してる話しか世に出すな」と思っていたら、それをしてもらうのが当たり前のことだと思っていたら、自分の脳みそに失礼だ。

ひなた

神奈川や東京にぼちぼち現れます。