安心?して貧乏生活できる街のはなし

  by genn33  Tags :  

 戦前の人ながら、同じ東北出身の詩人・石川啄木が次のような一文を日記に残している。

「東京に行きたい。無暗に東京に行きたい。
北海道まで来て貧乏してるようなら、東京で貧乏した方がよい。」

 啄木が貧乏であったのは、若くして養うべき家族を抱えながら、文学を志すも思うにまかせなかった事、そして何より異常なまでの浪費癖、借金癖のためであった。盛岡から函館へ移り職を転々とするも、貧しさから抜け出すため最終的に東京へ乗り込む事になる。

 貧乏の話はさておいても、東北出身ならずとも作家・芸術家を目指す者はまず東京を目指す、という傾向は現代においても根強いが、新しいモノや情報のある場所が東京・大阪といった大都市に限られていたこの時代ならばなおさらの欲求であった。啄木と同じ時代を生きた東北人としても宮澤賢治、佐々木喜善、金田一京助といった同県人はもちろん、太宰治、石川善助(仙台の詩人である)などとにかく大半の志ある者が東京を目指したのである。

 作家や芸術家を目指す、というと、まず第一に安定した定職の事を考えてから、というのが一般人の考える事である。
 確かに、啄木の時代などの話をドラマなどで再現する時、人は作家の貧乏生活を面白がって観ているが、現実の現代生活において、まさか隣の住人が本当に生活を顧みず、ろくに金にもならない創作で身を滅ぼしかねない日々を送っているなどとは夢にも思っていないものである。つまり、一般の人々にとって、作家の貧乏生活というのはファンタジーに過ぎず、大抵は
「小説なんて、働きながら書けるでしょう。」
「本当に才能があれば芸術だけで食えるし、本当に能力があれば他の仕事と両立もできるでしょう。」
などと知った風な事を言っているのである(笑)。

しかし、人が本気で作家・芸術家を目指した瞬間というのは、第一に安定した生活の事を考える、という事の方がむしろファンタジーである。現実には、確かに他の仕事をしなければならないとしても、所詮その仕事は優先事項ではないため、時に、いやしばしば本当の優先事項のために蹴る、つまりないがしろにせざるを得ない場合がある。その傾向が強まるのに関わらず、優先事項での稼ぎが増える訳でもなければ、生活は貧乏に傾いてゆく。これは昔も今も、基本的には変わらない、作家・芸術家を目指し、生きる人々に付き纏う現実なのである(そして、その多くは結局、安定した生活がいつの間にか優先事項になっていく・・というのもまた、現実であろうが)。

ところで、なぜ啄木は、「東京で貧乏した方がマシ」と考えていたのだろうか。
「北海道で死ぬより、東京で死んだ方がマシ」
という意味だったのだろうか?
いや、そうではないだろう。
「北海道で貧乏したら悲惨だが、東京で貧乏したならそれほど悲惨ではない(かもしれない)」
と考えたからに違いない。もっと言えば、
「東京でなら、貧乏しても楽しみがいろいろあり、生き延びる道、可能性があるに違いない」
という事である。啄木は、あくまでも東京まで死にに行ったのではなく、生きるために目指したのだ。まあ、当然の事だろうけれど。

 実際、啄木のみならず、多くの日本人にとって東京はそれぞれの地域の厳しい現実から逃れるためのアジールであり、憧れの地でもあった。東京にしてみれば、あらゆる事情を抱えた謂わば「難民」が押し寄せる訳で、いい迷惑という事になろうが、東京とはその需要に応える場所だった。何とか定住した「難民」たちも次に来る「難民」たちのために、更にそのための環境を整えていった。だから、啄木の目論見はもちろん、間違ってはいなかったのだ。

 松本零士の漫画『男おいどん』に代表される「大四畳半シリーズ」は戦後の高度経済成長期の頃の話だが、ろくに職もない地方出の若者が、安アパートに住みながら貧乏をたくましく、時に楽しげに生き抜く姿が活写され、戦前からの「貧乏が生き抜ける街」という伝統(幻想?)を東京が根強く有していた事を物語っている。
 ただし、啄木を始め、多くの貧しい芸術家たちが、結局東京で倒れていったのもまた、現実である。その心情が、郷土東北に生きて倒れていった、宮澤賢治と比べて悲惨ではなかったかどうか、は本人にしかわからない。

 そう、もうひとつここで言及しなければならない、肝腎な部分はそこである。すなわち、
「本当に東京の貧乏は、北海道の貧乏よりマシなのか」
という事だ(笑)。
 特に、時代が変転し、東京・地方、双方が大きく変貌した今、これからの貧乏を生き抜くべき街、地域とはどこなのか。

 東京が「貧乏でも生きやすい」と目された大きな理由のひとつが、まず温暖な気候であって、これは特に東北、北海道の人々にとって強い魅力であり続けた。しかし現在、東京はむしろ暑くなり過ぎているようで、富裕な人々が使いまくるエアコンで更に外が暑くなって、貧乏な人までエアコンを欲しがるという悪循環に陥っているのではないか、とは今さら指摘するまでもないごく一般的な認識だが。

 また、このエアコンにも関連するが、かつて地方出の若者にとって、風呂なし四畳半アパート・家賃月2~3万円という居住物件は貧乏生活の強い味方であったが、今や銭湯も激減し、地方から上京する大学生の大半が始めから月5~6万円以上の賃貸に住むという現実からして、どう考えても東京が依然「貧乏しながら生きやすい」街であるとは思えなくなってくる。

 戦前の東京は浅草・銀座が中心で、人々はその周辺に住み、貧しい人でも浅草や本郷に住んで移動にも歩いて生活できた。戦後は新宿や渋谷が栄えたが、70年代までは貧しい若者たちも新宿に住んでいた。だからこそ発展した新宿でもあったのだが、結果この街は副都心と言われるまで開発されて、とても貧乏な若者が暮らすような場所ではなくなってしまった。そこで今は、皆練馬や杉並、世田谷と、かつての「郊外」にひしめき合って住んでいるのだが、その為に誰もが交通機関なしでは生活できなくなってしまった。

 もちろん、高円寺や二子玉川からほとんど出る事なく生活する人はいるし、また近年はシェアハウスに半共同生活するなどして生活費を抑える工夫は各々凝らしているようだが・・。その辺りの柔軟な適応・許容能力も東京の伝統だろうか?

 東京一極集中が問題視されてはや数十年が経っているが、未だ東京には、地方から大勢の人々が押し寄せ続けている。これまで見てきたように決してかつてのようには住みやすくなくなっている可能性の高い東京に、何故尚も人々は集まるのか、というと、やはり地方の生活に依然絶望的なものがあり、結局様々な形での「難民」たちの行き着く果て、というアジール的役割を、東京が未だ負わされているという事だ。

 現実には、最近川崎市で起きたかつての簡易宿泊所の火災のような事件により、実際にはその役割が過去のものになっている可能性が表面化しつつある気もするのだが、それでも尚、最終的に残る東京の吸引力の要は「出会い」とそれを求める幻想の連鎖である。
 多様な出会いが、珍奇な人々をも、一流の人々をも惹きつける。その代表が、芸能界やマスコミ、出版業界で、その世界を目指す者は半ば否応なく、東京を目指す事になるのだ。

 ではやはり依然、「東京で貧乏した方がマシ」なのか、といえば必ずしもそうではないような気もする。例えば北海道の札幌や函館だって、啄木の時代に比べれば状況も、イメージも全く様変わりしている。今や全国的に絶大な人気を誇る観光地であり、札幌の都市機能の充実度には東京の人間すら目を見張るものがある。
 地方都市の賃貸では前述の、東京での月5~6万円に当たる物件が月3~4万円であり、しかもまだまだ都市中心部に住めるので徒歩や自転車で移動できる。
 
 かつては東京を目指すのが当たり前だった作家・芸術家にしても、例えば大勢のクリエイターを要する映画製作とか、多数のアシスタントを要する漫画制作とかでない限り、東京でなければならないケースは少なくなったように思う。事実、小説家や音楽家が地方に在住する事は今や珍しい例ではない。

つまり、かつては東京でしか得られなかったものの大半が、今や地方にあり、しかも地方には、そこにしかないものもある。作家や芸術家にとっては、むしろネタの宝庫であり、また精神的な拠り所にもなる可能性がある、いう事なのだ。

 ただ、問題は地方の雇用状況の悪さ、時給の低さなどで、仕事を求めるならやはり「東京の方がマシ」という事になるかも知れないのだが、特に作家・芸術家にとっては、生活のための仕事をする事自体が生きる目的ではない。それは、決して忘れてはならない事だ。

 最後に、かく語ってきた私自身は、東北の仙台在住である。何故敢えて己が地方を引き合いに出さなかったかといえば、手前味噌になり恥ずかしかったからである(笑)。
 仙台は札幌に比べれば都市の充実度は引けを取るかも知れないが、やはり都市中心部に住む事ができ、移動に金がかからない。優れた気候を有し、多くの小説家や音楽家も住んでいる。一方でこれもやはりだが、雇用状況は悪く、私のような貧しい者らが生活するには大変だという現実もある。

 私はかつて長年東京に住んでいたが、その頃は目指す道もそっちのけで、とにかく生活の為の仕事に埋没したものである。やはり金がかかるし、ずっと生活していると息が詰まって旅に出たくなるし(笑)、雇用状況がいいのでつい働いてしまうのだった(爆)。

 つまりは、東京で貧乏するのが怖かった、という事であり、少なくとも私にとっては、

「東京で貧乏するより、東北で貧乏する方がマシ」

だった事を、後になって知るのである。
 誰だって、貧乏なんかしたくない。私の場合は、自ら選んだ道で貧乏になっているのだが、この先は誰もがどうなるかわからない時代である。だが結構自信を持って言えるのは、東京にしろ、地方にしろ、今や絶対的なアジールはなく、自らが愛し生きていきたい場所で貧乏するのが一番だ、という事だけだ。

山形県鶴岡市生。札幌、東京を経て全国旅生活の果て仙台在住。『電子新聞 東北復興』に2012年より毎月エッセイ、翌年より小説など寄稿中。

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