今年の3月11日に起きた東日本大震災、大津波。
あれからまだ7カ月しか経っていないのに、被災地に対する人の気持ちの温度差を感じます。
冬を間近にして、今、現地はどうなっているのか。
先日ボランティアとして宮城県・石巻へ訪れました。
■ 未だガレキが多く残る住宅街。
仲間と集めた支援物資を届けたり、ボランティアとして泥かきへ参加したりと今回で5回めの訪問となりますが、まだまだ復興への体制が整っているようには見えません。
スーパー、コンビニ、ガソリンスタンドといった店は営業しているものの、横を見れば曲がったガードレール、壊れたままの家、動いていない信号が目に飛び込んできます。
活気を取り戻しつつある石巻駅周辺も然り、壊れたままのビルが多く目立ち、曲がったシャッターが降りたままとなっていました。
「震災直後」と比べれば随分と綺麗になったとはいえ、それでも元通りとは言えません。
「ボランティアの皆さん、ありがとうございます」と書かれた文字を見て、果たしてお礼をいわれるだけのことをしているのかと自問をすると、胸が痛くなりました。
■ 個人ボランティアへの葛藤。
ボランティアの受付を行っているボランティアセンターは各地域に設置されていますが、個人ボランティアの受付を取りやめ、8人以上の団体ボランティアのみ受付けるセンターが増えました。
手が万全に足りている…ということではなく、対応しきれないのが一番の理由です。
人が多ければそれだけ手が増えますが、個々の対応然り、トラブルも同じ分だけ増えるので、忙殺してしまうのでしょう。
地元の方が「役所がボランティアを追い出すような決まりばかりつくる…まだまだ来て欲しいのに」と漏らしていましたが、これから到来する東北の冬を知らない県外の人間が訪れることで起こりうるトラブルの可能性を考えると、役所の判断について肯定も否定も出来ませんでした。
今回ボランティアの申し込みをした牡鹿ボランティアセンター(宮城県牡鹿公民館)の中も、いまだ津波の爪痕を生々しく感じさせます。
その日は週末だったので、旅行会社が企画するボランティア・バスツアーの方が多く見られました。
ボランティアをする場合、ボランティアセンターに登録→受付→ニーズのある場所へ行く…という流れが基本的です。
ここでは個人の受付をしていないので、ボランティアを通じて知り合った仲間たちと一緒に団体受付をしました。
どんな作業に割り当てられるかはその日によって違います。
この日は重機の入れない場所に埋まっているガレキ撤去を任され、牡鹿半島の海沿いへと向かいました。
雨が降り足場が悪い中、埋まってしまったガレキの撤去作業は思うようにいきませんでした。
錆びた釘が飛び出している可能性もあるので、無暗に踏み込まないよう慎重に歩きたくても、どうにも足が取られます。
生い茂る草は時間の経過を物語っていましたが、目の前に建っていた津波が直撃した介護施設だっただろう建物は半壊したまま時が止まっていました。
背丈のある草を取り除くのも手間がかかり、雪が降ってくるこれからの季節への不安がよぎります。
なんとも言えない悪臭と泥を気にする余裕もなく作業は進められ、トラック3往復のガレキを撤去したところで、雨による足場の悪さから作業は終了。
人の手ではとても取り除けない大きなガレキはそのままにするしかなく、歯がゆい思いが残りました。
宮城県から帰る直前「ありがとうね」と声をかけてくれたお婆さんがいました。
仮設住宅の抽選が当たり、もうすぐ引越すると教えてくれましたが、決して手放しで喜んでいる様子はなく「仮設(住宅)は家具もテレビも何でもあるけど、ここよりうんと遠い場所でしょ。もう寂しくて寂しくて…」と、「寂しい」という言葉を何度も何度もお話されているのが印象的でした。
―…今、被災地を過去の出来事のように遠い場所を眺めるように見ていないでしょうか。
人が人を忘れていくことが一番「寂しい」ことだと、被災地から離れた場所にいる私たちが思い出さなければなりません。