ゆとり世代より問題かもしれない。 今回の教育改革は将来世代へ負担を増やす?

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昨年12月22日、前慶應義塾大学学長の安西祐一郎氏を会長とする中央教育審議会(中教審)が、大学に入試に関する改革案、つまり答申、を下村文科相に手渡した。この改革案は、ゆとり世代以上の世代を生む要因になるかもしれない。

改革の狙いは、これまで批判の多かった暗記型のテストから知識の活用力をはかるテストへと変更するところにある。しかし、この安倍首相の「脱・暗記」の意向に近い答申に対して多くの疑問の声が上がっている。

「知識の活用力をどうはかるのか。保護者や生徒は不安に思っている」

(PTA連合会顧問 相川順子氏引用元:日本経済新聞 平成27年1月14付朝刊2面)

この言葉に表されるように、ペーパーテストを廃止し、「知識の活用力」をはかるための基準をいったいどうやって設けてるのか。この具体的な方針に対して、答申は、具体的にどのような問題が出されるのか例示を示していない。

これまでのペーパーテストがなくなってしまえば、絶対的な基準がなくなる。それだけではない、ペーパーテストは、知識偏重型とはいえ、誰に対しても平等な機会を与えていたことは事実だった。勉強のやりかたさえわかれば、誰でも成績はのびるようになっている。

最近映画化にもなって話題にもなった「学年ビリのギャルが1年で偏差値を40あげて慶應大学に現役合格した話」(KADOKAWA/アスキー・メディアワークスより出版)など、たとえ、ある時点で落ちこぼれていたとしても、何かのきっかけで成績が上がり壁を乗り越えられる、と言う点で、機会平等だったと言えよう。

さらに、多くの人が誤解しているが、全ての筆記型入試が暗記で解けるわけではない。覚えたことをそのまま使えば溶ける問題ばかりではなく、「知識の活用力」をはかるためのテストになっている。

そもそも知識がなければ考えることさえできない。ある程度の知識がなければ、活用も何もない。十分な語彙力のないまま英語でコミュニケーションをとることが難しいのと同じことだ。アメリカの大学院でさえ、入学時にGREという基礎学力をはかるためのテストが求められる。ある程度の基礎学力を備えているのを確かめるのにペーパーテストほど合理的なものはないだろう。

もう一つ問題がある。それは、ペーパーテストがなくなってしまえば、大学や地域による教育基準の格差が出る可能性がある、と言う点だ。さもすれば、人権侵害にもつながる恐れがある。単純に、好き嫌いで選んでしまう恐れさえある。つまり、多様性や個性を育むことを目的とした方針が結果として、真逆の結果をもたらす恐れがあるわけだ。

確かに、知識偏重型は避けるべきである。しかし、知識がなければ、知恵が生まれないこともまた事実だ。また、選ぶ側に十分なコミュニケーション能力がなければ、相手の能力を引き出すことができない。入試を実施する側に大きな負担となるのに違いない。

そのうえ、ゆとり教育世代と言う言葉に表されるように、社会問題と化している世代が生まれたのは、知識偏重型教育を変更したからではなかったのか。

今回の答申が本当に子どもの未来につながるのかはなはだ疑問である。ゆとり教育以上の問題が生まれ、さらなる負担を将来の世代へ強いるかもしれない。

画像元:写真素材 足成 http://www.ashinari.com/2012/11/19-373282.php

最近、マラソンに挑戦しようとジョギングを始めました。休日には10km以上走ってます。なのに、体重が増えてます。謎ですね。