”ヒトは死なない・・・”最近話題の本のタイトル。そう、確かにヒトは”死ぬ”ことはないのだ。ただ、体が無くなるだけである。そのことを思うと、生きていることに対する考えが変わってくるのではないだろうか・・・
”死”とはそもそも肉体が滅びること。肉体は機械のようなものだから、朽ちたりさびたりして、やがては壊れるのは自然な成り行きである。壊れたら修理すればよいのだが。その修理も何度も繰り返していると、しまいにはもうこれ以上修理できない状態になる。で、廃棄処分に。ヒトでいえば、これが”死”というわけだ。(ヒトとしてあるべき、天寿をまとうする死であれば。)機械は廃棄してしまえばそれで終わり。でもヒトは違う。まだ、”魂”が残っている。実態のない魂は、無くなるということはない。魂は、連綿と受け継がれていく。また次の、そのまた次の肉体へ。肉体という乗り物を何度も乗り換えて、永遠に続いていくのだ。そういう意味で、ヒトは死ぬことがないのである。
胎内記憶という言葉がある。生まれたばかりの子供が、以前に自らの魂が宿っていた肉体が経験したことを覚えていることがある。胎児のころ、以前の肉体の記憶を受け継いだのだ。それこそまさに、肉体は滅びても、魂が連綿と続いていくことの証拠である。不思議なことのように感じるかもしれないが。ならば、無念にも今生で果たせなかったことをしっかり記憶していれば、来世でそれを実現できる可能性もでてくるわけだ。まあ実際には、そんな悠長なことを考えて生きていく余裕なんてないものだが・・・来世のことなど考えない方が、今生を一生懸命生きていくことができるかもしれないし・・・
もちろん、魂が続いていくというのは、ヒトに限ったとではない。動物たちだって、その魂は別の肉体へと受け継がれていく。今生で飼い主とペットの関係であったヒトと犬が、来世でも同じ関係になることは大いにあるのだ。当然、ヒトとヒトの場合も、前世で出会った者同士が、次世で出会うこともある。初めて会った相手なのに、どうもそんな気がしないという経験はないだろうか。ひょっとしたら、その人とは前世でも出会っていたのかもしれない。
ヒトは肉体の衰えや病に悩まされる。肉体は機械だから、それは致し方ないとではある。でもそんなとき、思い出してみようではないか。魂は受け継がれる。無くなるのは肉体だけだと。実はかの本の著者の意図は、そういう考えを人々に呼び起こすことで、多少なりとも前向きに生きられるようにということではないかという気がしてならない。

