世界古代史の伝説との関係(続)

  by 九尾信貴  Tags :  

前回、エジプトが人類文明最古であると、宗教の祖もエジプトにあると述べた。
確かに、お隣のチグリス・ユーフラテス両河周辺のメソポタミアには、もっと古いシュメール文明があるが、有史という観点や文明の高度さからも、エジプトを第一と考える。シュメール文明は、日本でいうところの縄文時代になるわけだが、同様にまだまだ民度、文明度は低いと思われる。
 
いずれにしても、中東から北アフリカに掛けてが要衝の地となっている。これは一体何故なのだろう?!
最初の人類がアフリカで誕生して以来、その拡がりを見せる最も近いところだからだろうか?
この最古の民力の高まりには、多くの謎が付いて回る。

エジプト文明が生まれ、その後、古代ローマ帝国となった。キリスト教・ユダヤ教・イスラム教が生まれる。エジプトは多神教、多神信仰の国で、これは、日本の神道と同じである。

エジプトの最大の謎は・・・
ピラミッドだ。一体誰が造ったのか?

ビザの砂漠にある三つのピラミッドのうち、クフ王のピラミッドが最大である。伝承によれば、ギリシャの歴史家ヘロドトスが、紀元前5世紀にエジプトを訪れ、記録を残した。それによると、ピラミッドを建造するのに、10万人の奴隷労働者を、3ヶ月交代で使役して、完成するのに20年掛かったとされる。

クフ王のピラミッドは、高さは、42階建てのビルに匹敵、広さは、アメリカンフットボール場10個分。積み上げた石のブロックは膨大。石のひとつひとつは、2.5t~10tと云われる。
現代建築でも、非常に困難。それは科学的、物理的、数学的に無理と結論される。

それも、ただ積み上げたものではなく、正確に真北を指していること。ピラミッドの四面体は、それぞれの面が、東西南北を、向いている。どうやって、正確な方位を知りえたのか?

ピラミッドの重さは、総計600万t。建造当時から、ほとんど沈下していない。1cmだけである。また、四方の壁面の誤差も、これまた、1cmしかない。
4000年前の古代エジプト人に本当に造ることができたのか?
 
巨大で重い石のブロックをどうやって運ぶのか? まず、ここからが難題なのである。
一般的に流布されているのは、石切り場から、丸太の上に石ブロックを載せて、転がしてきたとなる。そして、42階高層ビルの高さまでのスロープを造る。その上を転がして積み上げて行くというものだ。

ピラミッドは建造不可能でも、実際にあるわけで、納得できる答えを無理矢理こねくり上げると、こういう解答になるわけである。ただ冷静になると、呆然となる。
1)
丸太とは何なのか? 椰子。ブロックの重みで木は粉々に粉砕し、貴重な食料である椰子の木を伐りまくって、すぐに森は消えるだろう。
2)
スロープの土砂は、少なく見積もっても、300万tになるという。ピラミッドが出来上がった暁には、その土砂をどこに移すのだ。
3)
10万人の奴隷労働者がいれば、それを管理する側は、その何倍、何十倍もいなければならない。1対1では反乱を招くのが必至だ。太古の人口はそれほど居たのか?! 日本の縄文時代の人口は、一説に数万人言われる。
4)
ピラミッドとは何か。建造に20年もの歳月を掛けるには、確固たる目的があるはずである。ファラオの墓であり、権力の象徴といわれるが、万里の長城の外敵を防ぐという明確な目的のまえでは薄れてしまう。ファラオの墓は、王家の谷にある。

今日では、再現することができない建築技術。未知のテクノロジーがあったとしか思えない。それでは一体誰が建てたものか。実は異性人が建てたものではないのか。神に畏敬を祓う祭壇であり、モニュメントだったのではないか。それを単に荒唐無稽と片付けていいのだろうか。

エジプト文明が生まれ、その後、古代ローマ帝国となった。キリスト教・ユダヤ教・イスラム教が生まれる。エジプトは多神教、多神信仰の国で、これは、日本の神道と同じである。
そのなかに、神として、異性人がいたのでは?と脳裏によぎる。

遊神と危道の探求を信条に。ただ迷想も間々あり。 あらゆる分野のリーディングカンパニーでSEとして従事という特異な経歴を持つ。旅・歴史探訪・テーブルゲームをこよなく愛し、古き良き日本を探すことに生甲斐を覚える。

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