アラカン(阿羅漢)とは、アルハットの音写で、尊敬を受けるに値する聖者という意味の普通名詞です。ラカン(羅漢)ともよばれます。釈尊もアラカンと呼ばれたり、ブッダと呼ばれたりしました。
とこでアラカンはなぜ尊敬される価値があるのでしょうか? アラカンは煩悩を滅ぼして六道輪廻の束縛を離れた聖者であり、衆生を二つの力で救う力があるとされるからです。どのように救うのかというと、第一に仏法を説いて衆生を六道輪廻から脱出する道を示します。第二に供養を施した衆生に福を授けます。そしてこの福には現世で受け取る福と死後に受け取る福があります。死後に受け取る福とは、天上界に転生する福です。
スッタニパータという古いパーリ聖典にあります。
“「先生! わたくしのような者の施しを受け得る人、祭祀の時に探し求めて供養すべき人をわたくしは―あなたの教えを受けて―どうか知りたいのです。」
「争いを離れ、心に濁りなく、諸々の欲望を離脱し、ものうさを除き去った人、限界を超えたもの(煩悩)を制し、生死を究め、聖者の徳性を身に具えたそのような聖者が祭祀のために来たとき、かれに対して眉をひそめて見下すことをやめ、合掌してかれを礼拝せよ。飲食物をささげて、かれを供養せよ。このような施しは、成就して果報をもたらす。」
「目ざめた人(ブッダ)であるあなたさまは、お供えの菓子を受けるにふさわしい。あなたは最上の福田であり、全世界の布施を受ける人であります。あなたにさし上げたものは、果報が大きいです。」”中村元訳『ブッダのことば』p.98
また別のパーリ聖典サンユッタ・ニカーヤでは
“「この世で、人たる身を得て、気前よくわかち与え、ものおしみをしない人々が、ブッダと真理の教えとに対して信仰心あり、修行者の集いに対して熱烈な尊敬心をもっているならば、かれらは天界に生まれて、そこで輝く。もしも人間の状態になっても、富裕な家に生まれる。そこでは、衣服、食物、快楽、遊戯が労せずして手に入る。また来世には他人の貯えた財物を、他化自在天のように、喜び楽しむ。現世ではこの報いがあり、死後には善いところに生まれる。」”中村元訳『神々との対話』p.77
漢訳:阿羅漢
Skt.:arhat pali:arahat
仏教語大辞典 中村元著 p11a.
The practical Sanskrit-English dictionary
http://dsal.uchicago.edu/dictionaries/apte/
The Pali Text Society’s Pali-English dictionary
http://dsal.uchicago.edu/dictionaries/pali/