件の大学不認可問題において、結果として問題の3大学は認可が下り、新聞その他各メディアこぞって「謝罪」「白旗」「暴走」等々、散々に大臣がこきおろされているこの話題。果たして田中大臣は「不適格」であったのだろうか?
本来であれば許可が下りてから大学になるための準備を行うのが筋であって、「施設を作ったのに認可が出ないなんてそんなのおかしい」という事自体がナンセンスであろう。
例にならって一般企業に直してみれば、
社長(上司)の知らないところで新商品を勝手に企画・立案して、勝手に業者に発注だして買い手を探していた。
といったところだろうか。いざ自信満々で上司に「売れる商品作りました!売るところまで段取りとっときました!」と話したらどうなるだろうか?想像しただけでも背筋が凍る。
不文律のルールがあったことは周知のことであるが、「素人の」大臣がそのルールを知らなかったのか、知らないフリをしたのかは定かでないけれども、少なくとも国が定めた「確かでいて、誰がみても明らかな」ルールに則って行動をとった氏が、即「クビ」だなんだと言われるのは不思議なハナシである。
以前から田中氏は「大学が増えすぎたせいで大学生の質が下がった」という論を展開している。大学生の質が下がったかどうかはさておき、少子化も相まって、定員割れの大学が増えてきており、大学が多すぎるということについては事実そのとおりであろう。
穿った見方をすれば、「この問題」はクローズアップされることによって、数十年なあなあでやってきた不思議な状態も数年のうちには解決されるのだろう。そういう意味で田中氏は「大臣として」評価されるべき仕事を結果として果たしたのだとも捉えられる。
本稿執筆時点(2012/11/15)で、国会の解散が決まりかけている訳だが、就任して一カ月余で、(そして恐らくそう任期が残っていない事を前提として上で)大臣としてひとつ過去の悪例を正せたのだとすれば、それは評価されるべきことではないだろうか。結果オーライかもしれないけれども。
そもそもの話、大臣、あるいは国会議員に求められている資質は「その人の理念・信念を通す力」、或いは「国を治める能力」であって、聖人君子である必要はないのではないか。
漢字が多少読めなくても、カップラーメンの値段が分からなくても、結果として国が豊かになれば、国民が満足であればそれは「優れた政治家」である。自分の意見もろくろく言わず、当たり障りのない言葉を並べて庶民感覚をひけらかすのが良い政治家であるとするなら、この国はこんなにも発展していない。
そういう視点で見ていると、田中氏は良くも悪くもお父さん譲りの「政治家」だなあ、と思う。現状、あまり国民のウケが良くないようなので、今後の選挙でどうなるかは分からないが、「投じた一石」がどうなるのか、興味が深く見ていようと思う。
画像引用http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121111-00000519-san-pol.view-000